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第八十三話 足利幕府の最期

文句言いたい方も多い展開だと思いますが、何卒お許し下さい。

平に、平にお願い致します。

 1561年 九月 京 槇島城 【視点:須藤惣兵衛元直】



 阿波・摂津の三好、越前・若狭の朝倉・浅井を滅ぼした織田勢は、京にて合流、義昭の籠る槇島城を包囲した。

 その数総勢七万。

 槇島城は後世にはなくなっている巨椋池の中州に位置する要害である。

 俺は本陣からそれを眺めていると、浮かない顔をして槇島城を眺める人物を見掛けた。

 俺はその人物に後ろから近付き、声を掛ける。


「――明智殿、如何なされた」


 浮かない顔をしていたのは、織田家中からの信頼も厚い、織田四天王の一人、明智光秀だった。

 礼節と忠義を重んじる人物ではあるのだが、少々生真面目過ぎるきらいがある人物だ。


「――須藤殿」


 明智光秀は振り返り、声を掛けたのが俺だと知ると、その顔に弱い笑みを浮かべ、その視線を槙島城へと戻す。


「……某は……某は、公方様に仕える者として、上洛を手助けしてくれるなら、と織田に降りました。それが……公方様に忠義を尽くして来た某が……公方様に刀を向ける事になるとは思いませんでしたので……」


 成程。

 明智の考えは分からなくもない。

 明智は元々、公方の保護の代わりに織田に仕える事となった。

 そして、公方の為になるならと働いてきた。

 だが、いつの間にやら織田と公方は敵対し、自分はあれよと言う間に織田方として参戦していた。

 明智としては、現状と志の差に苦心したのだろう。

 自分が仕えていた相手を、攻撃するのである。


「……明智殿、この世は常に盛者必衰。足利は――()()()()()()だったのですよ。足利は、ただ道を少し踏み外しただけ。幕府成立後に、幕府が家臣達に所領を分け与えなければ、この様に将軍家が衰える事は無かったでしょう。織田と相反しなければ、ここまで追いつめられる事等無かったでしょう。幾つかの選択肢を、彼等は違えた」


 それは、今更言っても仕方が無い事だ。

 足利は――義昭は、間違えた。

 権力に縋り付き、権威があると勘違いし、力があると考え――間違えた。


「”この国の形”――それは人によって千差万別。ただ、公方の考える”この国の正しき形”が、我等(他者)と相容れなかっただけ」


 足利公方が、この日ノ本で最も偉大で権力を持つ――そんなモノ、一瞬で崩れる幻想だ。

 少なくとも、この時代(とき)にとっては。

 そんなモノを理想として掲げる公方(存在)は、この戦国乱世では、ただ御輿として担ぎ上げられ、良い様に利用されるだけだ。


「……時代は”新しき形”を求めておるのやもしれませんな。……では、某はやるべき事があるので、これにて」


 俺は明智の言葉を待たず、その場を去った。






 十七日程で、足利公方、足利義昭は槇島城を退去した。

 それは降伏したという意味では無い。

 織田軍の手薄な箇所を突破して、細川藤孝とその手勢数十人と共に逃げ出したのだ。

 史実においては、息子を人質にして降伏し、妹婿である三好義継を頼り、その後は毛利輝元を頼り安芸へと移った。

 信長も、”将軍殺し”の汚名を嫌い、足利義昭を殺そうとはしなかった。

 だが、この世界においては、違う結果を辿った。

 ”降伏”と”脱出”の違い。

 史実とこの世界での義昭の僅かな、思想の違い。

 それが、どういった結末を迎えるのか。

 それは誰にも分らない。




 1561年 九月下旬 



 深い森の中を、足利義昭と細川藤孝及びその手勢は馬を進めていた。

 義昭の着ていた豪奢な着物は薄汚れ、何日も洗っていない身体からは汗等によりキツイ臭いが漂う。

 織田軍に追われている為、満足な休憩もとれぬ儘、逃亡を続けていた。

 だが、それでも義昭の表情は意志が感じ取れた。

『必ず足利幕府を再興し、栄華を極めん』という、断固たる傲慢な意志が。


「与一郎よ。……余等はどこへ向かっておるのか?」


「今、我等は毛利の領地へと向かっております」


 少し先で馬を歩かせる藤孝が、振り返りながら答える。


「おぉ! 毛利か! うむ、あの広い領地を持つ毛利ならば、織田を京より追い出す事も出来よう。かの鎌倉殿 (源頼朝の事)も、一度は伊豆に流浪したというしな」


 あくまでも庇護される立場ではなく、公方として発言する義昭。

 それを見て藤孝が溜息を吐くのを、義昭は気付かない。いや、見てはいない。


「毛利に上杉、長宗我部、島津に大友、大内……まだまだ利用出来る者達はおる。ククク……足利が統治する世こそ、正しき日ノ本よ。何れ大号令を発し、織田とそれに連なる愚か者共を駆逐し、足利が世を統べるのだ!」


 それは理想――いや、願望だ。

 ”公方”の権威が落ちている事を理解出来ていない”世間知らずの貧乏公方”の大言壮語である。

 だが、それは場合によっては成す事が出来る程には力を持っているのだが。



 ガサリガサリ



 と、草木の揺れる音がし、義昭達一団は動きを止める。


「だ、何奴だ? 織田の兵か、それとも獣か?」


 月と兵達が掲げる僅かな松明が照らす中、草が揺れた方を注視する。

 だが、


「――アンタが公方か」


「公方……手前が!!」


 宵闇から現れたのは、襤褸を着た村人達だった。

 老若男女関係無しに、手には鋤や鍬等の農具を持ち、その顔には憎悪が浮かんでいた。

 その理由も思いつかず、義昭はただ怒鳴り散らす。


「ただの村人共風情が、公方である余の姿を見るなど無礼であるぞ! 何故にこの様な無礼を働くか!!」


「――家族を殺され、土地を追いやられたからですよ」


 ふと、そこに声が響いた。




【視点:須藤惣兵衛元直】



 義昭は、軍を動かし、石山本願寺に協力していた村々を襲い、虐殺し、略奪した……という事になっている。

 勿論、それは俺達が偽装して行ったことだが、村人達は公方が命じた事だと信じ切っている。

 だからこそ、彼等は義昭に対しての憎悪を滾らせているのだ。

 家族を、友人を殺され、家を、故郷を焼かれ、石山本願寺へと追われたその”復讐”を成す為に、こうしてここにいるのだ。

 さっきの義昭の言葉は、暗く、澄んだ空気の森の中では良く響き、待機する俺達の耳にも入って来た。

 その瞬間、俺も、そして恐らくは彼等も悟ったのだ。


 此奴はダメだと。

 最早救いようが無い程、腐りきっていると。


 史実の義昭がどうだったかは知らない。

 もしかすると、後世での評価程悪人でも、愚劣でも無かったのかもしれない。

 だが、少なくとも、俺の目の前にいる”足利義昭”は、ただ権力に溺れた人間だ。

 今見逃しても、他家を頼り、再び上洛を目指し、この乱世を更に乱す光景しか、見えてこない。

 それは天下統一を目指す信長にとっても、それについていく俺達にとっても、平穏を願う民達にとっても、万に一つも良い事にはならない。

 ただ乱世を長引かせるだけだ。

 例え、此奴に国を纏める権力があろうとも。

 俺は一つ溜息を吐き、騒ぐ公方の後ろでやれやれと肩を竦める細川殿に話しかける。


「……細川殿、公方のここへの手引き、苦労様でした」


 対して細川殿は笑い、


「いやなに、赤子よりも喚く公方一人の子守りは慣れておりますよ」


 そんな細川殿の反応に、騒いでいた公方が愕然とした表情を浮かべる。


「……待て、手引きだと? まさか――」


 信じられないといった様子の公方に、俺は真実を叩きつける。


「左様。細川殿は織田が浅井を滅ぼす前より、織田と通じておりました」


「――ば、馬鹿な!! 裏切ったのか与一郎!!」


 助けを乞うような表情で細川殿を見る公方。

 俺がこれを提案したのは、初めて会ったあの時だった

 まぁあの時は『もしもの時』の策として提案しただけだったんだけど。

 公方の視線を平然と受け止めた細川殿はただ肩を竦め、


「……拙者、己が命が大事ですからなぁ。……それに、公方様の我が儘と大言には、いい加減呆れておりますし……今まで幕府に忠誠を誓ってましたが、その幕府の象徴たる公方様がこれでは、幕府の先も見えましょう。共に滅ぶつもりはありませぬ」


 そして右腕を上げると、今まで護衛していた細川殿の兵士達も公方へと向き直る。

 ここには最早、公方の味方は――いない。

 無言で近付いていく村人達が兵士達を押しのけて公方を取り囲む。

 その中心で、へたり込んだ公方が公方としての尊厳や威厳等一切なく、ただ哀れに叫ぶ。

 村人達はそんな声に一切耳を傾けず、農具を振り上げ――


「――やめろ、やめろ! 余に、余に近付くな! あ、あぁ……ぁぁぁぁぁああああああああ!!」


 グシャ、グシャという肉を貫く音と、村人達の怨嗟の声が響く中、俺は細川殿と共に村人達が殺到している光景を離れたところから見る。


「……公方は落ち武者狩りにあわれ、無惨にも殺された。……そう喧伝します」


 俺がそう言うと、細川殿が笑みを消して、


「……それが宜しい。知らなくても良い、伝わらなくても良い事はありますからな」


 と呟き、儚げな笑みを浮かべ、


「……真に”()し”と言われるべきは、拙者の様な不忠者でしょうが、ね」


「……某もですよ」


 本当の”悪人”とは、俺の様な人間の事を言うのだろう。

 人々を騙し、それを利用する俺の様な人間を。


 目の前では、未だに”哀れな犠牲者達”による”復讐”が、続けられていた。

 ある意味では因果応報なのだろうが、それによって何が起きるのか。

 俺は、その事がすっかり頭から抜け落ちていたのだった。





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