第八十二話 公方勢力との決戦 近江・越前攻略 3
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1561年 八月 越前 一乗谷城
朝倉義景は、従弟である景鏡の進言通り、僅かな手勢を連れて大野郡まで撤退を開始した。
それと入れ違う様に、元朝倉家家臣で奉行衆の一人であった前波吉継に案内をさせ、一乗谷城へと進軍した。
だが、ここに浅井長政とその手勢が残っていた。
義景は共に逃げようと言ったが、それを蹴り、織田との決戦を望んだのである。
「我等が欲するは信長の頸一つ! 精強なる江北武者達よ! 信長の頸を取り、死んでいった者達に捧げん!!」
「「「「――おおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」
その気迫は、凄まじいモノであった。
だが、多勢に無勢。
いくら武勇に優れる浅井長政と家臣達であっても、たった数十の兵で数万の兵とどうやって戦うのだろうか。
無謀にも、信長を目掛けて突撃してくる長政等に、数百の鉛玉が一斉に放たれる。
鉛玉は、浅井の兵達のぼろぼろの鎧を貫き、命を散らしていく。
懸命に駆けていた長政の身体にも、幾つもの銃弾が到達し、馬から転げ落ちる。
「……何故、だ! 何故届かぬ! 信長さえ討てば、国で……我等が愛せし小谷で、再び――」
長政の眼には、幸せそうに笑う、いつか娶るだろうまだ見ぬ妻が、子が、そして父が、家臣達が、自分が愛した小谷の城で穏やかに暮らしている光景が見えていた。
長政は、それに手を伸ばす。
「おぉ……」
だが、それは幻想だ。
やがて、長政は力尽き、地面に倒れ伏す。
こうして、誰の――父の、家臣達の仇も討てず、織田の圧倒的な兵数に呑まれ、浅井家は滅亡した。
そして、一乗谷城に入った信長は、一乗谷の市街地に、義景が逃げ出した事、逆らわなければ殺さない事を通達させた。
多くの民達は、市街が焼き払われない事、殺されない事に安堵したが、一部の未だに朝倉家に忠義を尽くそうとした数百名が武器を取り挙兵したが、即座に鎮圧された。
八月下旬 越前 大野郡
一方、居城一乗谷城から離れ、従弟である景鏡の居城があった大野郡へと向かった義景は、愛息である愛王丸、そしてその母である小少将、そして母光徳院の三人と手勢と共に、大野犬山麓にある洞雲寺に入った。
だが、その数日後には、防衛面の都合により、居城亥山城近くの、六坊賢松寺に移る様に提案し、これを受けた義景等は、その言葉に従い賢松寺へと移ったが――
「――お待ちしておりました朝倉家御当主殿」
そう頭も下げず、表情も変えずに淡々と義景を見る男。
「……何者だ」
義景が警戒しながら訊ねると、
「某は織田家”軍監衆”が一人、須藤惣兵衛元直と申します」
そこにいたのは織田軍”軍監衆”が一人である須藤惣兵衛元直であった。
その周囲には武装した兵士達が控えており、その周囲には僧兵達が、そして寺の周囲を景鏡の軍が囲んでいた。
「……織田のだと!? ――どういう事だ!!」
義景が須藤に怒鳴るが、須藤は平然と見返し、
「既に大野郡の全寺は織田が所領を認めた事で織田軍に降っております。景鏡殿も、亥山城の城主の立場を続投する事を約束として織田軍への臣従する事を決めております。最早大野に、貴殿の味方はおりませぬ」
そう。
事前に、須藤達は大野への調略を終えていた。
平泉寺を筆頭に、大野郡の各寺を所領安堵を条件に、織田と内通させていたのだ。
更に、秘密裏に景鏡と接触、亥山城城主の立場を続けさせる事と、義景の頸を条件に、織田の傘下となる事を認めさせたのだ。
つまり、義景達は須藤達の策に嵌り、賢松寺におびき出されたのである。
「……くっ」
悔しそうに呻く義景だが、事態は好転しないと理解したのだろう。
「…………ここまでか」
肩を落とし、項垂れた。
だが、
「――殿を殺させはせぬぞ!!」
それまで大人しかった近習達が、突如立ち上がり、刀を手に須藤目掛けて斬りかかった。
だが、無駄な抵抗である。
ターン!!
寺内に鳴り響く一つの銃声。
一番先に須藤に斬り掛かろうとしていた近習の額に、穴が開いていた。
「動いたら、此奴と同じく脳天に風穴開けて死ぬことになるぜ」
須藤の後ろに控えていた”雑賀衆”の鈴木重秀が放った銃弾であった。
それを見た近習達は、思わず動きを止める。
そして、その機を逃さず動いた僧兵達に縛られていくが、当主である義景、愛王丸、小少将、光徳院は縛られなかった。
「――っ」
その光景を見て絶句する義景に、須藤は話しかける。
「義景殿、ここで一族揃って我等に討ち取られるか、それとも義景殿のみ自害なされるか、決められよ」
それは、意地悪な選択であった。
結局は、義景は死ぬのである。
愛王丸が生きているとはいえ、実質朝倉は終わりにも等しい。
戦国時代においては、当たり前の選択ではあるが――
「…………分かった。私が自害しよう。その代わり、愛王丸等は――」
義景の訴えに、須藤は返答しなかった。
その代わりに、
「御子息等をお連れしろ」
と、部屋から連れ出させた。
それを見届けた義景は、須藤より手渡された小刀を手に持つと、
「……介錯を頼む。――ぐぅ!!」
刃を腹に突き立てた。
須藤は即座に後ろに回り、
「――介錯仕る!!」
そう言うと、後ろから義景を切り裂いた。
血を流しながら倒れる義景を一瞥し、
「景鏡殿に後は任せる。……俺達は一乗谷へと帰還するぞ!」
「「「「――応!!」」」」
即座に、その痕跡を残さず、一乗谷へと去っていった。
数日後、景鏡が義景の頸を持って降伏してきた。
景鏡の降伏は許されたが、僅かに生き残った近習達は、嫡男愛王丸等の世話をしようとしたが、何れ愛王丸を担ぐだろうとして、嫡男愛王丸、その母小少将、祖母光徳院と共に人目に付かぬ離れ里に連れていかれ、そこで織田の監視の下、暮らす事になった。
何故殺さなかったのかと言えば、なるべく織田のイメージを悪くしない為である。
その他の家臣達の縁者も、一揆や反乱を起こす事を見越され、織田方の監視下に入った。
これにより、戦国大名としての朝倉は滅亡したのだった。
そして残るは、槙島城に籠る公方――足利義昭だけである。
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