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第七十二話 事前調査と武田の動き

 1560年 九月 美濃 【視点:須藤惣兵衛元直】


 さて、対武田において問題となるのが戦場だ。

 史実において織田が武田と戦った戦で有名なのは”長篠の戦い”だろう。

 だが、長篠――戦場となった設楽原(したらがはら)は美濃でも、尾張でもなく、三河にある。

 しかし、今回の戦では三河で行う理由が無いし、もし三河で行うと言えば、三河勢が物言いしてくるだろう。

 主には織田と武田の戦であり、それなのに三河で行うと言われれば、文句の一つも言いたくなるのは理解できる。

 だが、ここで一つ疑問に思う事があった。


 史実は兎も角、この世界では今川が健在であり、更には織田も”織田包囲網”が機能していない為、武田が動けば大多数の兵をそこへと向ける事が出来る。

 故に、武田は遠江の今川、三河の徳川、尾張・美濃の織田という三方面への戦を展開しなければならず、幾ら精強で天下一と名高い武田騎馬軍団であっても、圧倒的に不利な状況なのだ。

 それなのに、晴信は戦う事に決めた。

 それが、本来ならば諫めてくれる典厩信繁や、軍師として多大な信頼を寄せていた山本道鬼斎が死んだことで、晴信から冷静さを失わせているのか、それとも晴信()に焦る理由があるのか……。

 それは忍達に任せて、俺は俺の出来る事をしよう。




 恐らく、攻めてくるとすれば、駒ケ岳や中津川等の方面からだろう。

 一番簡単なのは長篠と似た地形を探す事だが、完全に同じ場所を探すのは無理だろう。

 なので、関東方面から敵が来るとして、山や丘などで此方の陣が見えにくく、武田の騎馬隊が機能しにくい場所。

 それが、理想的な場所となる。

 そんな訳で、衛星写真がある訳でもないので、自分の足で調べる事になるのである。




「……ここは少し見晴らしが良過ぎるな」


 馬に乗り、浪人か商人の様に扮しながら、美濃の各地を転々とする。

 騎馬部隊が最も効果を発揮するのは平原地帯だ。

 なら、なるべくは平原地帯は避けたいものだ。

 沼地とかがあれば良いんだけど……まぁそうも言ってられない。


 今向かっているのは苗木城。

 東美濃の岩村城の支城として築城された木曽川を望む”天空の城”だ。

 武田の上洛戦の際、主城の岩村城が武田家家臣秋山信友に攻め落とされた際も耐え忍んだ城である。

 恐らくは武田が攻める際、一番最初に攻めるであろう城なので、どれ程の城なのかを見ておきたかった。




「おー高いもんだ」


 ぱっからぱっからと馬を歩かせ、やって来ました苗木城。

 ここの城主は岩村城城主遠山景前の弟である直廉だ。

 流石、後世で”天空の城”と呼ばれた名城である。

 その景色は感嘆の一言だった。


 苗木城を出た俺は、美濃可児郡の金山城に向かう様に馬を歩かせる。

 金山城は織田の美濃調略以降は、今は京にいる三左殿が城主を務める城である。

 まぁ一番見る必要があるのは途中で戦場に相応しい場所があるかどうかなんだが。

 んー……報告だけして判断は半兵衛と官兵衛に任せよう。

 そうしよう。





 甲斐 武田陣営 



「逍遙軒様! 御館様は如何でしたか?」


 評定の間に現れた武田家一門衆筆頭である”逍遙軒”こと武田信廉に、武田家臣団の中から馬場美濃守信春が訊ねた。


「うむ、どうやら兄上は二つの方策をお考えの様だ」


「二つ? ……とは」


「うむ。……一つは今川の遠江に入り、今川を撃破した後、徳川の三河へと至り、その後尾張から美濃、そして京へと至る道。もう一つは今川、徳川への守りとして幾つかの軍勢を残し、残る軍勢で美濃へと一気呵成に突撃し、織田の軍勢を討ち果たし上洛する、というモノだ」


 それを聞いた武田家家臣団の反応は三つに分かれていた。

 一つ目の策を指示する者、二つ目の策を支持する者、そして戦自体を避けるべきという者。

 戦を避けるべきと言った者達の理由は簡単だ。

 武田家は今、敵が多い。

 北条、今川、徳川、織田。更には越後上杉もいつ牙を剥くかもしれない。

 その様な状態で攻めてしまえば、包囲された挙句一網打尽にされかねない。

 だが、それを主張する人間は少なかった。

 圧倒的に、戦をすべしと主張する者達の方が多かったのだ。

 評定に集まった家臣団達の中でも、”不死身の馬場美濃”馬場信春、”逃げ弾正”高坂昌信、”赤備え”山県昌景等、武田四天王にも数えられる武勇優れる武闘派達を筆頭に、家臣団のほぼ全てを占めていた。


 彼等は信じていた。

 自分達こそが戦国最強である事を。

 彼等は信じていた。

 自分達が一度軍を率いれば、敵など無い事を。

 彼等は確信していた。

 自分達が勝つ事を。


 彼等は――過信していた。




 評定が解散となった後、家臣団の一人であり、信濃の小豪族の一人であるにも関わらず、譜代達と同様の待遇をされていた”攻め弾正”こと真田一徳斎幸隆は、物憂げな顔で甲府の屋敷へと戻っていた。


「「「父上!!」」」


 そこに、三人の若い青年達の声が聞こえてきた。

 長男、槍の腕優れる豪勇の持ち主である信綱。

 次男、「兵部は我が両眼なり」と武田信玄に言わしめた昌輝。

 そして三男、かの有名な真田幸村こと真田信繁、真田信之の父であり、”表裏比興の者”と称され、徳川家康を大いに恐れさせた逸話を持つ智将……となるであろう、既にその才の片鱗を見せている源五郎。

 幸隆自慢の息子達である。


 信綱は、幸隆の表情を見て不思議そうに訊ねる。


「父上、何故にその様に憂いたお顔をしていなさるのですか?」


「うむ、どうやら近い内に織田等と一戦交える事になるようでな」


「父上、武田騎馬軍団は戦国最強の誉れ高き軍勢! 織田や徳川の将兵など、容易く打ち倒せましょう!」


「然り、信綱兄上の仰る通り! 我等はただ殿の矛となるのみ!」


 そんな父親を見て、長男信綱と次男昌輝は意気揚々と答える。

 二人はこうはしていられない、と槍の鍛錬をする為に駆け出していく。

 それを呆れた様な、感心する様な複雑な表情で幸隆は見送るが、源五郎だけが自分と同じ表情をしているのを見て、


「源五郎、お前はどう考える?」


 と訊ねた。

 源五郎はそんな父親からの問いに、少しばかり思案すると、


「そうですね。……織田は浅井、朝倉を下し、”雑賀”、石山本願寺、比叡山延暦寺等、周囲を味方に取り込み、今や一大勢力となっております。下手を打てば、我等が壊滅することもあり得るかと。……ですが、家臣団の皆様方は織田がどれ程の脅威なのかを理解していない様子。ですが、我等が諫言したとて、武勇優れ、勇猛果敢な方々は聞き入れませんでしょうな」


 と淀みなく答えた。

 幸隆は、その答えに満足気に頷き、


「そうだな。見極めねばなるまい。織田がどれ程の強さなのかを」


 と、美濃のある方の空を見上げ、そう呟いた。





ブックマーク、評価等していただければ嬉しいです。

宜しくお願いします。


この作品とクロスしております、ナカヤマジョウ様の『謙信と挑む現代オタクの戦国乱世』も投稿されております。

其方もご覧下さいませ。


http://ncode.syosetu.com/n6524ee/

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