第五十七話 主として
おくれてすいません!
バタバタバタバタ――ダンッ!!
荒々しい足音と、乱暴に開かれる障子の音。
そして、
「父上! 須藤が裏切る訳ないでしょう!」
「そうだぜ殿! 旦那が裏切るなんて万が一にもあるわけねぇだろ――ぁ?」
その日の夜、織田家当主織田信長の嫡男である奇妙丸は、森家の次期当主と噂されている森長可と共に、父親である信長の下へと突撃した。
その顔は、まるで討ち入りにでも行かんばかりの形相だ。
「……やれやれ、手前等も来やがったか」
一方、信長はまるで不貞腐れるかの様な態度であり、お濃の方の膝に頭を乗せて、所謂”膝枕”をされていた。
立派な大人が、それも尾張、美濃、伊勢、近江等を手に入れ、天下にその名を轟かせる軍勢の大将が、その息子や家臣の息子の前でそんな事をしているのに、体勢を変えようともしない。
「……父上、母上、何をしておられるのですか?」
思わず、奇妙丸がそう訊ねるのも仕方が無い事である。
だが、お濃の方は、さも当然とばかりに膝枕を続け、愛おし気に信長の頭を撫でている。
「……奇妙、私も先程上総介様に、貴方方と同じ事を申したのです。余り叱らないでやってはくれませんか?」
そう。
お濃の方も、ほんの少し前に此処を訪ね、奇妙丸等と同様の事を話したばかりなのである。
つまり、今信長は妻に叱られて拗ねている状態なのだ。
それをなるべく気にしない様に無視した儘、
「……ゴホン。父上、須藤が裏切る様な理由があると思いますか?」
そう訊ねる奇妙丸は、精神的に大人である。
「……いや……あー……”八相山の戦い”で、周囲の総評と相違無いように論功を一番低くしたり?」
近江の八相山の麓であった戦において、須藤は佐々、梁田等と共に突出してきた浅井軍千騎を相手に快勝した。
この戦において、須藤の役割は小さくない。
戦い方を指示し、更には奇襲をして浅井軍千騎を壊滅させた。
その後の”姉川の戦い”でも、半兵衛や官兵衛と共に策を弄し、自身は浅井本陣を”雑賀衆”と共に奇襲、撤退させ、更には小谷城まで迫り、奇襲を加えている。
その後小谷城の攻略時も、味方からの少なくない反発がありながらも、大将首の一つである浅井久政を見事捕らえている。
尾張や美濃での功績、松永久秀との取次や、”雑賀衆”の勧誘、石山本願寺勢力への調略等も含めれば、その功績は本来ならば織田家中でも上位に能うるのだ。
だが、本人の意向により、家臣を与える訳でもなく、城を与える訳でもなく、ただ金を渡しただけなのだ。
更に、旅に出る事も含め、裏で動きやすくする為に、”桶狭間の戦い”を信長の英断としたり、墨俣の一夜城を秀吉の功績としたりと、徹底的に名前が外に出ない様にしている事から、その功績を知らない新参者の家臣達からは”二兵衛の伝令役”等と陰で侮蔑されているのは事実だ。
だが、奇妙丸も、長可も、信長と並んで須藤と共にいる時間が長かったのだ。
特に、奇妙丸にいたっては須藤を与力として付けられている。
須藤の人柄や考え方等は、理解している。
「……父上、確かに普通の将であるならば、それを不服として敵に与する事もあり得ましょう。ですが、事須藤に限って言えば、それは無いと、父上が一番理解しておいででしょう? ならば、須藤による策を疑うべきです」
そこには期待と憧憬の感情も混ざっている。
須藤であれば、自分達を見捨てる事などしない。
須藤なら、何か策を立てているに違いない。
己等に軍略を教えた須藤ならば、と。
だからこそ、奇妙丸は覚悟を決めて此処に来たのだ。
「――殿。この奇妙丸に、摂津攻めの大将をお任せ下さいませんか?」
戦場に、”織田の嫡男であり、次期当主”として立つ覚悟を。
【視点:???】
さらさらと筆を動かし、文に文字を綴る。
蝋燭の炎が、日の沈んだ宵闇の中温かな明かりを部屋の中に灯していた。
某には成さねばならぬ事がある。
それは、我が主君の悲願でもある。
だが、それは果たして成すことが出来るだろうか?
この状況は、天が我が悲願を果たさせまいとしているかの様であり、まるでそう、我等がとるべき手を潰されている様な気がしてならないのだ。
誰が、この状況を描き、動かしているのか。
それがわからない為、成す術がない。
……もし、その悲願が成せずに、我が主がその命を散らしたとして。
果たして、某はその意思を継ぎ、悲願を達成すべきか、せざるべきか。
それを未だ、決めかねていた。
奇妙丸君の成長する話でもあります。
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