幕間 武田晴信の苛立ち
……書いてよかったんだろうかこの閑話。
設定ちぐはぐにならなきゃいいけど……。
1560年 甲斐 躑躅ヶ崎館
「――忌々しい!!」
夜も更け、虫の音が聞こえてくる将軍足利義昭の要請に応え、上洛しようとしていた武田晴信は、手にしていた杯を、割れんばかりに床に叩きつけた。
天下を得る為には上洛は必須。
将軍に媚びへつらい、臣従するなど考えてはいなかったが、良い時期と判断して、義昭の発した織田討伐令を受け入れ、上洛をしようとした。
だが、それを邪魔する者がいた。
「あの忌々しい今川の倅が! 織田の犬になんぞなりおって! 桶狭間の後の動乱で滅んでおけばよいものを……」
今川の現当主、今川氏真。
晴信の考えでは、”東海一の弓取り”とまで称された稀代の君主、今川義元公が桶狭間にて討ち取られた後、今川より独立せんとした徳川と同盟を組み、今川を滅ぼして遠江を、武田が喉から出が出る程に欲する海を得ようと考えていた。
受け継いだ息子である氏真は、剣術は、かの剣豪将軍足利義輝に剣術を教えた兵法家、塚原卜伝に学んでおり、腕はあるのだが、政に関しては凡人にも等しいと聞いており、大した脅威ではないと思っていた。
だが、氏真は早い段階で織田に書状を送り、和睦を結んだ。
更には太原雪斎に命じ、徳川以外の家中の者が寝返るのを防がせ、織田との間に技術者や物資の流通を取り付けた。
晴信は、何度か攻めようと思ったのだが、その度に今川、そしてその同盟国である北条が邪魔をし、それが無いときは越後の長尾が攻めてくる。
結果として、晴信は動く事が出来なかった。
そして気付いてみれば、織田は足利義昭を擁立して上洛、一気に天下に名乗りを上げた。
更には、どうやったのかは知らないが、紀伊の国人衆、石山本願寺、比叡山延暦寺などを味方につけ、今川を動かして義昭の要請に応えて上洛しようとした武田軍の隙を狙って挙兵、甲斐へと侵攻を始めた。
それが、織田が武田の動きを抑制する為の策だったとしても、今川程の国が武装を整え、甲斐に攻め入ってくるとなれば、晴信も躑躅ヶ崎へと戻ってくるしかなかった。
手長足長などと完全に、動きを読まれていた。
恐らくは、織田に使えている軍監である竹中半兵衛や、黒田官兵衛の考えた策略なのだろう。
『織田のニ兵衛』と呼ばれる有能な策略家達。
三つ目や歩き巫女共に調べさせたところ、軍略や調略を得手とした者を集めた、”軍監衆”なる集団を組織したのだと言う。
晴信とて、知謀策略で負けるつもりはないが、有能な知恵者がいるのは軍として強い。
「……道鬼斉と典厩が生きておればなぁ……」
ふと、寂しそうな、弱気な感情を隠そうともせずに呟いた。
晴信を支えた二人の名将は、先の川中島での上杉との戦で戦死してしまった。
戦上手で、屈強な騎馬軍団は健在だが、策略という面で頼りにしていた二人が死んでしまったのは痛かった。
だが、弱音を吐いたと思えば、直ぐに表情を憤怒へと変え、
「それもこれも、織田と上杉が若造のせいよ! 儂の邪魔ばかりしてくれおって!!」
と大声で怒鳴る。
その額には青筋が浮かんでおり、いかに怒っているかが眼に見えてわかる。
「……精強なる我が軍勢で潰してくれるっ!」
それが出来ない故に今こうなってるのだが、叫ばずにはいられなかった。
何故、何故上手くいかないのかと。
父を排し、屈強な軍を作り上げ、天下をこの手にしようと動き出したら、上杉、北条、今川という仇敵達との戦に追われ、尾張の”大うつけ”なんぞに先を越される始末だ。
怒りと、不甲斐なさで、身体が震える。
「――天は儂を、この武田晴信を拒むかっ!!」
その怒りは、何をしようと、収まりそうに無かった。
1560年 駿府 駿府館
「さて、武田の御当主殿は今頃相当怒っていような。……のぉ、泰朝?」
居城である駿府館で、今川家当主である今川氏真は酷薄そうな笑みを浮かべて笑っていた。
「――そうですな。上洛は晴信にとっての祈願ですからなぁ。それを阻まれて怒らぬ訳ありませぬでしょう」
朝比奈泰朝以外の家臣達も笑い、場は賑やかかつ、明るい雰囲気に包まれている。
それを満足気に見渡して、氏真はニヤリと笑う。
「うむ。……武田が軍を撤退させるまで、小軍を幾度か甲斐に進軍させよ。……良いな?」
「「「「――はっ!!」」」」
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この作品とクロスしております、ナカヤマジョウ様の『謙信と挑む現代オタクの戦国乱世』も投稿されております。
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