第三十七話 帰還
勢いって大事だよなぁ……(遠い目)。
相変わらず勢いです。
そろそろ、他勢力の視点も書きたい。
1558年 美濃 岐阜城 【視点:須藤惣兵衛直也】
帰って来たぞ美濃~!!
あー、懐かしの岐阜城だ。
お、随分と市井も賑わってるなぁ。
”稲葉山城の戦い”の時に焼き払った場所も、元通り――寧ろ繁栄している――になっている。
松永を降伏させた信長は、三好衆と共に抵抗をしていた池田勝正を臣従させ、足利義昭を第十五代将軍位に擁立した。
将軍位についた義昭は信長に菅領である斯波家の家督継承もしくは管領代・副将軍の地位などを勧められたが、全部「いらね」と突っぱね、美濃へと帰還した。
俺が雇用した”雑賀衆”は、大和一国を任された松永――勿論、この件で信長と義昭はまたも言い争いになった――に与力する事となった。
因みに、現在の俺の役職は”軍監捕”。
なんじゃそりゃ、と言いたくなるが、つまりは半兵衛の補佐である。
織田の軍略調略系統トップの補佐って事だな。
だからと言って半兵衛の家臣にはなっておらず、信長の直臣という扱いである。
城持ちでも、家持でも、由緒正しくもないのに良いのかねぇ?
ま、良いや。
……さて、そんなこんなで、俺には家が無い。
どうするかと信長に聞くと、
「古出に頼んである。手前が良ければ以前と同じ様に古出の屋敷に世話になってくれ。……柊の奴も喜ぶだろうしな」
とニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言われたのだが、はて? 柊殿が喜ぶ?
何のことだ?
そんなこんなで古出殿に挨拶し、また部屋を借りる事になった。
さて、実は、既に俺と半兵衛は次の事を見据えて動き始めている。
それが本願寺との和睦……というか、同盟を結ぶことだ。
これは”織田包囲網”を瓦解させ、敵を減らす為である。
いや、だって考えてみてくれ。
信長は石山本願寺に十年以上も苦しめられたんだぜ?
そんなもの相手になんてしてられんわ面倒臭い。
「皆で死ねば怖くない」なんて言いながら武器を取って吶喊してくる連中を相手にするなんざ御免被る。
と言う訳で、”織田包囲網”の現状を整理してみよう。
”雑賀衆”=既に織田傘下。史実よりも傭兵色が強い為、金と食事さえ工面すれば味方になってくれる。現在は松永の与力になっているが、状況に応じて俺が指揮を執る事になっている。
朝倉・浅井=敵。是非は無し。”金ヶ崎の退き口”をどう回避するかが重要。
武田=放置気味。奇妙丸様と晴信 (信玄の事)の娘が婚約関係となったのだが、如何せん晴信は婚姻関係だの血脈などを屁とも思っていない奴なので油断は出来ない。
そんな訳で、現在は本願寺を調略している訳なのだ。
三好衆を匿った事で義昭に関白位を追放された近衛前久に書状を送り、『俺等織田は義昭と仲悪いんだよ~。だから仲良くしようね~』と公方には秘密にラブコール。
それと同時に、史実では行っていた本願寺を主とした寺社勢力に対しての締め付けをせず、寧ろ金の援助や武器や食料の調達なんかも援助する事を約束――勿論これも公方には秘密である――した。
確かに本願寺が拠点としている石山御坊は立地的には最高なので、是非とも手に入れたいのだが、俺としては『味方にしちゃえば良いじゃん』と思う。
史実の信長はなんで味方にしなかったのだろうか?
敵を安易に増やすのは馬鹿であると言うのはこの時代でも適用されると思うんだが。
だって、史実では金を要求されたのに加え、信長からの要求がエスカレートして、『勝手に他の大名と関係を結ぶな』、『指示を出す際には逐一信長からの許可を求めろ』、『信者の動きは逐一報告しろ』、果ては『石山御坊を寄越せ』なんて言われたのだから、そりゃ怒るわ。
寧ろ本願寺側に同情するね。
敵対するのもさもありなん、って感じだわ。
だが、この世界ではそんな事にはさせないもんねー。
信長からどうにか出来ないか、という問いに、俺と半兵衛は揃って
「そもそも”信仰厚き者”程面倒な者はいない。敵対したら何年かけても、全滅しようと死すら恐れず突っ込んでくる。敵にするだけ無駄」
と即答したので、信長は石山御坊を取る事を諦めてくれた。
信長としてもそんな事にはかまけてられないだろう。
この世界の信長は家臣の話をよく聞いてくれるので、本当に楽だ。
そして、そんな状況の中、事は起こった。
畿内より撤退した三好衆、そして美濃を追われた斎藤龍興等が本國寺に滞在していた義昭を襲撃する、所謂”本國寺の変”である。
幕間というか小話を書こうと思っているのですが、「こんな話を書いて欲しい」、「あのキャラはあの時どう思っていたの?」、「このキャラとこのキャラの話が見たい」などありましたら、案を出して下さると嬉しいです。




