第二十四話 天下布武
思ったよりも文字数が多くなってしまいました。
1556年 八月上旬 美濃 【視点:須藤直也】
俺達が安藤等西美濃三人衆に文を送り、内応の約束を取り付けた数日後、史実通り、安藤守就が稲葉山城の周囲を軍勢で取り囲み、竹中半兵衛が弟竹中重矩を含めたたった十六人で城を占拠した。
信長はすぐさま安藤等に稲葉山城を譲るように文で伝えた。
西美濃三人衆からは肯定する内容の書状が送られてきたが、半兵衛からは「ただ主を諫めたのみ」との回答が返ってきた。
そして半兵衛が城を返上、安藤達はクーデターの咎めを受けることなく龍興が城に入った。
だが、龍興は安藤等を咎めず、城から去った半兵衛に対しても追手を差し向ける事すら出来ないほどに求心力が衰えていた。
因みに、史実においては安藤等のクーデターに呼応する者が余りおらず、その為に城を明け渡すしかなかった、という説が濃厚であるが、まぁ史実は史実だ。
実際に、美濃西部の豪族たちからは続々と服従を約束する文が届いていたし、逃げ出す家臣達も多くなってきているようだ。
そして漸くその時は来た。
「――今こそ義父斎藤利政より託された美濃を手中に治める時! 皆、その武、その知、存分に奮え! ――出陣!」
「「「「オオ――ッ!!」」」」
信長の大音声を合図に、織田軍は内応した美濃勢の案内によって山伝いを密かに進軍する。
それと同時に、築城した墨俣に軍旗を翻し、敵方の気を引かせておく。
稲葉山城からは墨俣に翻る織田木瓜の軍旗が、さぞ良く見える事だろう。
「先ずは瑞竜寺山へと駆け上り陣を築く! 疾く駆けよ!」
俺が信長に授けた策は史実通りの戦法である。
瑞竜寺山に本陣を築き、そこから稲葉山城の城下町である井口の町を襲撃、周囲を焼き払って城を丸裸にする。
勿論、既に調略のついでに町の人々にはある程度の事を内応を約束している連中から伝えて貰っているので、遠慮なく焼く。
幸い、この日は風が強く、あっと言う間に火が回った。
そして美濃勢を稲葉山城へと押し込み、周囲に鹿垣を作って周囲を包囲する。
「降伏せよ斎藤龍興! 今ならば貴様の頸一つで貴様の家族や家臣達の命は許してやるが、もし降伏しなければ、家中一切を根切りにしてくれる!」
信長の大音声が稲葉山城に籠る龍興にまで届く。
「くそっ! ”尾張の大うつけ”が気を大きくしおって!!」
数え年で弱冠十八歳の斎藤家当主斎藤龍興は苦虫を噛み潰した様な顔で呻く。
しかし、周囲は織田軍によって包囲されており、”攻めの三左”こと森可成や”掛かれ柴田”こと柴田勝家の軍が突撃を掛けてくるか分からない。
弱兵と侮られる尾張兵の中でも、”攻めの三左”と”掛かれ柴田”の名は美濃ならず周辺諸国にまで聞こえている程の武勇と精強さを持つ。
城の外に森家の家紋である鶴丸紋や、柴田家の家紋である二つ雁金が見える度に、斎藤勢の兵士達は身体を恐怖で震えさせた。
更に運の悪いことに、
「殿! 家中の者達の中に城を開城し、降伏を申し出ようと画策しておる者もおります!」
稲葉山城に詰めている家臣達の中にも斎藤家は終わりだとして織田方に降伏しようとする者達が少なからず――いや、多く存在する。
まだ二十歳にも届いていない若者に、それを留まらせる事など、不可能である。
「殿! この儘では斎藤家は断絶してしまいまする! お逃げ下され!」
家臣の言葉に、悔しそうに唇を噛んだ龍興は、
「……この儘では終わらんぞ信長ァ!! ……長井、供をせよ。この城を出、北伊勢へと退却する! 私は必ずこの地に返り咲いて見せるぞぉっ!!」
「――はっ!!」
斎藤龍興は長井道利とその手勢を率いて包囲網の薄い箇所を突いて脱出。
織田軍はそれを猛追するが、長井道利等の奮戦によって城下まで逃げ延び、そこから船を使って北伊勢の長島まで逃げ延びる事となった。
斎藤龍興が逃亡した後、主君を失った美濃勢は統率を失い、織田勢に内応していた者達の手引きによって稲葉山城は開城する事となった。
難攻不落の要害として名高き稲葉山城は、こうして落ちる事となったのである。
美濃国 岐阜城 上段の間
「――尾張・美濃国主、織田上総介信長様、御出座!」
その日、織田家家臣一同及び、新たに降伏した美濃勢が一同に揃い、稲葉山城――改め岐阜城の上段の間に座る信長に平伏していた。
「一同顔を上げぃ。……此度が戦、大儀であった。今日は皆に話すべきことがあり、こうして集まってもらった」
静かに口を開いた信長は、キッと前を睨む。
その眼にはそこにない、何かが映っていた。
「心して良く聞けぃ! これより、俺は天下布武――この天下に武を……七徳の武を布き、天下を制す!」
信長の発言に、顔を上げて家臣達がざわつき始める。
そのざわつきを破ったのは、柴田勝家や森可成、丹羽長秀等織田家重鎮達だった。
「我等織田家家臣一同、殿の為、命を賭して付き従う所存!」
「戦となれば、我等森一家! 一番槍として殿が道を塞ぐ者等の悉くを討ち果たしまする!」
「殿の見る天下、某等も見とう御座います。この天下を征するその一端を担わせて下され」
そう言ってもう一度平伏する重鎮達に従い、ざわついていた家臣等も再び平伏の姿勢をとる。
それを見て、信長は満足そうに笑ったのだった。
同時期 京 御所
「――ぬぅ!」
そんな気合の声と共に振られた刃が吸い込まれる様にして兵士の肩から腰までを袈裟斬りにした。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
豪奢な装飾も綻び、火に包まれた御所で、その男はただ一人立っていた。
右手には刃毀れ激しい刀、左手には槍を持ち、ボロボロな着物には所々刀や槍によって切り裂かれた箇所があり、そこからは血が流れだしていた。
言葉通り、満身創痍の状態である。
男の周囲には何十という兵士が取り囲んでおり、男の足元には数えきれない程の屍が転がっていた。
男は周囲を見渡すと、場に似合わぬ笑みを浮かべた。
「……これよ。これだから人は面白い。主君を亡くしてその野心を表に出したか、獣共よ」
そう言いながらもまた一人、また一人と切り裂いていくその腕は並みのモノではない。
だが、多勢に無勢。
周囲を取り囲まれ、槍で一斉に突かれる。
「……ゴフゥッ!! ……フフ、フ。無念、よ。再び幕府に、力を取り戻せる、かと思うたが……時代は、既に……足利が手を放れた、か。……五月雨は……露、か涙か……郭公……我名をあげ、よ……雲の……上まで、よ」
血を吐き、何事かを呟きながらも、一歩、また一歩と歩を進ませ、終に男は俯せに倒れた。
それを恐る恐る近寄った兵士の一人が、男が死んだのを確認して、
「――は、ハハハハハ! 将軍、足利義輝! 討ち取ったぞー!!」
歓喜と、やってしまったという畏れの混ざった複雑な声音で、狂気を孕んだ表情で、槍を突き刺した兵士がそう叫ぶ。
それが周囲の兵士達に伝播していく。
男の死体は乱雑に担ぎ上げられ、彼等の主の元へと運ばれていく。
「えい、おう、えい、おう」という兵士達の声が、血生臭く、焦げ臭い臭いの漂う空へと消えて行った。




