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第百九十七話 処刑と新しい時代

次回最終話になる予定です。


 1566年 三河国 岡崎城 【視点:須藤惣兵衛元直】



 景亮と共に三河国内の寺で天海を殺した俺に待っていたのは、軍監衆としての仕事だった。

 曰く、織田・上杉連合軍と徳川との戦の決着前に既に安房国の里見家との戦を終えていた北条・今川の両家が、その戦の報告及び、家康の処刑を見届ける為に両家の当主とその親族達が三河に来る――まぁ特に今川家の氏真公は信長と家康の関係と同じく、幼い頃からの仲である。家康の最期に立ち会いたいと思うのも頷けた――との事で、その仕度をしなければならなかったり、三河国内で未だ家康を助けようとしている抵抗勢力が残っているとの情報もあり、それを捜索したり、家康救出を防ぐ為の方法を話し合っていたりしていた。

 ある意味では戦の時よりも忙しかった。

 とはいえ、時間は過ぎていくものだ。




 今川・北条家の両当主及びその親族達が到着し、徳川家康と本多正信の処刑が行われる日がやってきた。

 この場には戦に参加した織田・上杉の将の殆ど、そして今川・北条の当主とその一族達、そして三河国の領民達が数えきれない程に来ていた。

 その群衆の中央、策に囲まれた中に家康と正信は映画や時代劇で見る白無地の小袖に、浅葱色の袴を着て、姿で縛られていた。

 三河国の領民達は、親に連れてこられたのだろう、状況を呑み込めていない子供以外の全員が涙を流していた。

 家康の名を叫び泣き崩れる者、俺達の方を涙眼で睨む者、今更ながらに家康の助命を叫ぶ者……家康が、どれ程三河国の民達に慕われているのかが良くわかる。

 とはいえ、今更家康の処刑を止める事は出来ない。

 敗軍の大将として、”朝敵”として、太平の世を遠ざけた責任を取らせなければならない。

 今回の処刑法は斬首だ。

 名誉ある切腹では無く、斬首である。

 腕が無い人間が行えば、下手に長引かせ、文字通り死ぬほどの痛みを味合わせてしまう――今回の場合それもありだと松永辺りは言いそうだが――ので、担当するのは久秀が松永久通に与力として与えた柳生宗厳だ。

 剣豪として、この時代でも既に名の知れた人物である。

 信長が家康達に近付き、声を掛ける。


「……家康・正信よぉ。……最期に言いたい事はあるか?」


 信長の問いに、家康は返答を返さない。

 正信は寧ろ、信長を無言で睨みつける。


「……そうかよ。……柳生、先ずは正信からだ」


「――承知した」


 宗厳は頷くと、正信の背後に立ち、静かに刀を抜き、構える。

 それまで騒然としていた民達も、場の空気に呑まれてか誰一人として――子供でさえ――口を開かない。

 完全なる静寂に包まれた中、宗厳は信長に視線を送り、信長が頷くと、


「――しっ!!」


 ――一閃。

 まるで骨など無いかの様に、綺麗に刀が正信の頸を両断した。

 続けて宗厳は家康の背後に立つ。

 そして刀を構え、


「――ふっ!!」


 息を吐き出すと共に刀を滑らせ、刃が家康の頸に到達するその直前家康が突如叫ぶ。


「――皆、明日を生きよ! 次代を生き――」


 家康の言葉を遮り、その頸が地面にボトリと落ちる。


「……ぁあ」


 恐らく民の誰かが漏らしたのだろう。

 そんな嗚咽にも似た声が、徐々に群衆に広がっていく。

 三河の民(彼等)が家康の言葉に何を感じ、何を思ったのかはわからない。

 だが、これで本当に最後の戦が幕を閉じ、これからは織田の世が――戦のない太平の世が来たのだ。

 ここにいる誰もが、そう感じ取っていた。





 とはいえ、そう簡単に終わる筈もない。

 戦が終わっても俺達にはやるべき事がある。


 次の時代の基盤を作る事。


 史実の徳川幕府の様に百年――いや、それ以上に続いていけるモノを、作っていくのが俺達天下を取った勢力がすべき事だ。

 幕府の体制をどうするか、朝廷との関係は、法律はどうするのか、統一するのか大名達に任せるのか、いやそもそも大名達の扱いを其の儘にするのか等々、決めなければいけない事は山ほどあった。

 武闘派の将達が日ノ本各地に潜伏している反織田の勢力の鎮圧作業に当たる一方で、”軍監衆”を筆頭とした知恵者達の一人として、俺もまたそれを検討し、信長に提案する側としての役目に忙殺された。

 間違いなく、人生で最も忙しい時期だったと自信を持って言える。

 この時ばかりは、もう既に家督を息子に渡していた久秀や与一郎殿等も手伝わされていた。



 で、体制としては徳川幕府とそう変わらない。

 取り敢えず今まで織田が使っていた二条御所に天皇を迎え入れ、信長達は築城されたばかりの安土城に移った。

 今川・北条・上杉という織田と同盟を結んだ家に加え、中国地方の毛利が西国代表として大老となり、各家の宿老達が老中・老中格として任命された。

 ただ、違う部分も存在する。精査の結果、六つの省を配置した。

 仏事や戸籍、雅楽の監督などを司る”治部省”には今川氏真公を。

 日ノ本全土に跨って設置する、司法全般を取り仕切る刑部省――つまりは現在の裁判所兼警察みたいなモノ――のトップは、家督を景勝に譲った上杉輝政公に任せる事となった。

 そして宮廷の庶務を務める宮内省には近衛前久殿が。

 商業や度量衡などを司る大蔵省には木下秀吉が。

 軍事防衛などを司る兵部省には官兵衛が。

 税などの幕府の財政を司る民部省には半兵衛がそれぞれトップとして任についた。

 そして、各地の国という呼称から藩に変え、各地の大名や、各地を治めている織田の家臣達には藩主を継続してもらう事となった。生き残った古河公方の監視や関東圏の管理を北条家に任せ、西日本については毛利に北条と同じことを務めさせることとなった。

 とはいえ、代替わりの時期である。

 半兵衛や官兵衛、吉継達”軍監衆”は残ったが、柴田殿や佐久間殿・三左殿等尾張一国時代から仕えてきた重臣達の多くは第一線を退いた。

 丹羽殿も柴田殿同様第一線から退く事を考えていたらしいが、信長や半兵衛達に懇願されて織田家代表として老中として任命された。

 島殿も余り内政には興味がないらしく、蒲生賦秀と共に上杉輝政の下で働くこととなった。


 戦を終えてから一年経ち、漸っと本格的に幕府が始動する事となり、平和な世が、始まったのだ。







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