第百九十六話 裏の戦いの終わり
日も暮れ始めて薄暗い寺の本堂。
ただ蝋燭の火がユラユラと淡い光が放つ中、南光坊天海はただ眼を瞑り静かに座っていた。
こんなに静かなら戦闘音も聞こえていた筈だが、慌てている様子もない。
「……やはり見つかってしまいましたか。……いえ、逃げられるとも思っておりませんでしたが」
俺と景亮はゆっくりと中に足を踏み入れ、口を開く。
「初めまして南光坊天海殿。……いや、そうじゃないな。こう言うべきか。……久しぶりだな。明智光秀殿」
ピクリと、光秀の眉が動いた。
「……気付かれていたとは。えぇ、えぇ。……確かに、私は明智光秀という名でした」
光秀は眼を見開き、静かに語る。
「しかし、彼は本能寺の変の後、武者狩りにあって死にました。……そして南光坊天海という者もまた。……ここにいるのは、亡き主君の命も遂げられず、命を救ってくれた友すら見放して逃亡した……ただの亡霊に過ぎませぬ。だが、そんな私にも成し遂げたい事がある」
ただ誠実に語る光秀に、俺は言い放つ。
「……生憎だが、手前はここで終いだ」
「もうすぐここに、俺の配下の兵が来る。逃げ道はないですよ」
「えぇ、えぇ。そうでしょうとも。……私は死を覚悟しておりますが、ただで死んでは私の為に死んでいった者達に顔向け出来ませぬ。故に――貴方方も、共に死んで頂きます」
光秀は静かに手を横に立ててあった燭台を横に倒す。
倒れた燭台に灯されていた火が、本堂の床板に移って燃え上がる。
おいおい、死なば諸共なんて冗談じゃねぇぞおい。
光秀はそれに動揺をせず、傍らに置いてあった刀を手に立ち上がり、それを抜く。
「――気を付けろよ景亮。相手は俺とは違ってガチの前線指揮官だ。剣の腕なら俺より全然上だぜ」
「はい……覚悟はできてます。粘らせてもらいますよ」
「――行くぞ!!」
俺と景亮は得物を構え、最初に俺が一歩前に出て光秀の剣を受け止める。
「ぅおらぁ!!」
その間に、景亮が横から刺叉を突く。
だが、光秀は俺を振り払うと即座に景亮の得物を受け止め、呟く。
「……二対一ですか。……武士らしからぬ事を」
「悪いが俺もこいつも武家の出じゃないんでな! それに、手前も坊主だろうが――よっ!!」
景亮と鍔迫り合いをしている隙を突き、横から斬り込むが、
「――ふっ!!」
「ーーっ!? がっ!!」
「チッ!!」
光秀は景亮の体勢を崩して転がせると、瞬時に対応してくる。
対応力と腕の差に、思わず二人して舌打ちする。
こんな事になるんだったら鉄砲持ってくりゃ良かったよクソッたれ!!
その後もどうにか一撃入れようとするが、その度に防がれてしまう。
気が付けば、火の勢いも強くなっていた。
俺も景亮も汗だくで、肩で息をしていた。
だが、光秀はまだまだ余裕そうで、刀を上段で構えると、踏み込んできた。
「――ふっ!!」
「――っ!」
一瞬対応が遅れたが、どうにか刀で防ぐ。
しかし、まるで漫画の様に綺麗に手から刀が離れ、近くに転がっていってしまう。
その隙を逃す光秀では無く、
「――覚悟しなさい! 須藤元直!!」
眼を離した一瞬で光秀が斬り掛かってこようと刀を振り被るが、
「――っ、うおぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!!!」
斜め後ろから景亮が光秀に向けて突進し、刺叉が刀を振り被っていた事で隙が開いていた光秀の脇腹に当たる。
「――ぐぅっ!!」
どんな非殺傷武器だろうと、金属で作られている以上痛いものは痛い。
それに加えて意識外からの攻撃だったので痛みに耐える準備すら出来なかったらしく、光秀は刀を取り落とす。
俺は反射的に近くに転がっていた刀を拾い上げる。
「須藤さんっ!」
景亮が必死に光秀の動きを抑えてくれている。
ナイスだ!!
俺は気勢を上げながら肉薄し、
「――とっとと地獄に帰れ、亡霊」
「――ぐふっ!!」
光秀を袈裟斬りにした。
「……ふぅ。坊主を袈裟斬りか。……洒落にはなってるかな」
崩れ落ち、床に倒れ伏す光秀を見て溜息を吐く。
「はぁ……はぁ……笑えないですよ、それ」
景亮の言葉に肩を竦めながらも、光秀に近付く。
どうやら致命傷にはなったが、まだ生きているらしかった。
「……私は……何も……成し遂げぬ儘……死ぬというのか。ふ、ふふ……ふふふ、天は最期まで……どこまでも……我を、阻む…か。それも……この様な終幕によって」
苦痛に喘ぎながら仰向けになり、本堂の天井を見上げながら光秀が笑う。
此奴の本当の願い――足利幕府による統治も、その意思を継いで信長を討つ事も、命の恩人である家康を助ける事も、その全てが阻まれた。
そして今、俺と景亮以外に知られる事無く、死んでいくのだ。
その姿は哀れに見えたが、
「……俺からは手前に言う事はねぇよ」
「……天海、貴方は乱世を長引かせる火種だった。それだけです」
景亮の言葉に何を思ったのか知らないが、光秀は最早消えかかりそうな小さな声で呟く。
「……私は……私の思う正しいと思う事を考え、成してきたが……そうか。……私こそが乱世を長引かせる火種、か」
何時までも話していて俺達まで焼かれたら元も子もない。
俺は手に持った刀を、静かに、一直線に光秀の心臓部に突き刺した。
光秀は一度呻くと、其の儘眼を閉じ、二度と開ける事は無かった。
燃え盛る炎に囲まれそうになる前に、とりあえずここから脱出する事にして、俺と景亮は寺の外に駆け出した。
もう日も暮れた中を、暫く歩いていると、幾つもの松明の火が近付いてくるのが見えた。
景亮は直ぐにそれが自分の部下だとわかったのだろう。
駆け出すと、向こうもそれに気付いたのか、景亮に向けて駆け寄り、口々に無事を祝う言葉を掛ける。
景亮もそれに応じ、何かを言って、清々しそうに笑った。
「……やれやれ、漸く終わったか」
俺はその光景を遠目に見ながら、一人安堵の溜息を吐いた。




