第百八十九話 最後の戦5
徳川軍先手の中で唯一抵抗を続けていた榊原康政は、織田軍の中でも精兵として有名な越前衆相手に、三河武士達の家康に対する忠誠心と、榊原の指揮の腕でそれを補い、撤退しながらもなんとか生き残っていた。
しかしながら、相手は圧倒的に数で勝っており、しかも榊原隊の兵士は度重なる窮地と先の戦での敗北により、精神的にも肉体的にも限界だった。
「――右翼崩されました!」
「――榊原様、此方も限界です!」
「――中央、突破されます!!」
次々と上がってくる報告に、榊原は最早己の最期を悟った。
「……ここまでか。……殿の作る未来を見れぬは無念だが、その礎となれるならば本望よ。……こうなっては多くの敵兵を倒し、三河武士の意地と誇りを日ノ本に知らしめるのみ! 皆、共に死地に参ろうぞ!」
「「「「――おおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」」」
三河武士は主君の為に、主君が作る未来の為に命を捨てる事を誇りに思っている。
ここに死を恐れる者などいない。
故に、ここで敵を大勢巻き込んで死ぬ事に、不満を持つ者もいない。
「――後は任せたぞ! 忠勝!」
最も信頼する友に全ての想いを託し、榊原康政はただ”鬼”として敵を殺す事に集中した。
「……見事也。三河武士の意地、見せて貰ったわ」
数刻後、目の前に広がる光景を見て、柴田勝家は賞賛の言葉を呟いた。
先程まで自分達と戦っていた榊原康政率いる徳川軍先手衆は、その全員が逃げ出す事無く、ここに果てた。
その意地と強さに、柴田勝家は素直に驚き、そして賞賛した。
一人一殺。
絶対に一人は殺してから死ぬ。
それを見事に行動に移して見せたのだ。
敵ながら、実に見事な最期であった。
そう感じ入る勝家に、後ろで伝令からの報告を聞いていた利家が声を掛ける。
「――叔父貴、”軍監衆”からだ。……『敵本陣に向かう須藤・島隊と森衆、本多忠勝と相対する上杉軍を援護する為に、本多忠勝以外の中備えを率いる将を叩くべし』だと」
「……そうか」
勝家は短くそう答えると、目の前に広がる死体の山を一瞥し、馬に乗り、兵士達に命令を下す
「――まだ戦は終わらぬ。……行くぞ!!」
与えられた役目を全うする為に、馬を走らせた。
【視点:須藤惣兵衛元直】
一方、俺と左近殿は柳沢の部隊を突破した後、敵本陣へと向かっていた。
敵本陣への道は本多忠勝が塞いではいるものの、上杉が抑え込んでくれる手筈となっているので、本多忠勝はガン無視するつもりである。
その前に森衆と合流しなけりゃいけないんだけどな。
俺達の役目は敵大将徳川家康の捕縛、またはそれが出来ない場合は討ち取る事。
その為道中の敵は基本無視だ。
機動力を重視して騎馬兵で構成しているからこそ出来る事だが。
「――応、須藤も左近殿も無事そうだな」
「旦那! 待たせたな!」
数刻後俺達は森衆と合流、其の儘敵本陣に続く道を進む。
そして見えてきたのは上杉の旗と本多の旗。
どうやら既に戦い始めているらしい。
本多の兵達が此方に気付くが、それを相手にしている場合ではない。
――って、槍投げてきやがった!
あの野郎ゴリラか何かか!
後もう少しで当たるところだったぞ!
どんな腕力してやがる!
危ねぇだろうが!!
忠勝が投げてきた槍が俺の横を通り過ぎて後ろの兵士に当たる。
それが二度・三度と続くが、上杉が止めたのかそれ以上槍が飛んでくる事は無かった。
勝三が先頭で槍を振るいながら道を切り開き、その次に三左殿・俺・左近殿、その後ろから兵士達が続く。
遠目から景亮と視線が合うが、急いでいる為反応を返す余裕はない。
俺は直ぐに前を見て、戦場のど真ん中を全速力で駆け抜けた。
徳川軍 本陣
徳川軍本陣では、大将の家康にその嫡男信康・本多正信に酒井忠次、そして南光坊天海という面子が顔を揃えて前線からの報告を聞いていた。
「――先手衆は榊原様を残し全部隊が敗走! 我が軍の殆どの将が討たれ、敵部隊は中備えにまで到達しております! 敵がここに攻めてくるのも時間の問題かと」
「……そうか。皆……皆……うぅ」
戦場にいながら、死んだ家臣達の事を想い涙を流す家康。
それを酒井と天海が慰めるが、一方の正信は鋭い眼付で思案していた。
「……敵がいつ此処に来るかもわかりませぬ。殿には岡崎城にまで撤退して頂くのが宜しいでしょう。……しかし、忠勝殿や康政殿がおられぬ今、殿の御身を守る将としては我等は心許ない。とはいえ、ここに生半可な将を残せば――「某が残ろう」」
正信の呟きを、酒井忠次が遮った。
「某が殿の影武者として此処に残りましょう。多少なりとも時間を稼げましょう。……殿、鎧をお貸しくだされ」
「忠次! 何を――」
「……それが最も良いでしょうな。――誰ぞある!」
家康がそれに反論しようとするが、正信が忠次に同意し、家康の鎧を脱がせるためにそれを補助する兵士を呼ぶ。
駆け寄って来た兵士によって家康の鎧が脱がされ、忠次に着せられる。
「……正信、天海殿。……殿の事、頼みまするぞ」
忠次の言葉に、二人は何も言わずに静かに頷く。
「殿……御身にお仕え出来た事、身に余る光栄でありました。……どうか争いの無き世を作られますよう」
互いにこれが今生の別れであると理解していた。
家康は涙を流しながらも、忠次に近寄りその手を強く握り、頷く。
「あぁ、あぁ。……忠次、これまでの忠誠大儀であった。……お前達の願い、必ずや叶えてみせるぞ」
家康は尚も忠次に声を掛けようとするが、正信と天海によって僅かな手勢と共に岡崎城に向かった。
「殿、どうかお元気で。……っ。――これより此処を死守する! 皆、どうか殿の為、徳川の為に死んでくれ!」
残された忠次は主君の鎧に身を包んでいる事を恐れ多くも光栄に思いながらも、その場にいる家臣達に命令を下した。




