第百八十七話 最後の戦3
「越前衆はどうやら勝てたようですな。……では、我等も目の前の敵を疾く破り、中備えに到達しなければ」
「……では自分が先駆けしましょう」
鳥居隊を破った越前衆が気勢と歓声を上げて敵陣へと斬り込んでいくのを遠くに見ながら、丹羽長秀と滝川一益の両名も、応対する大久保忠世・近藤秀用の部隊へと進軍を始める。
佐々成政と同様、鉄砲部隊の指揮に長け、自身も並外れた鉄砲の腕を持ち、更に用兵においては苦手が無い事から”進むも滝川、退くも滝川”の異名を持つ滝川一益と、堅実な指揮を得意とする”米五郎左”・”鬼五郎左”こと丹羽長秀の両武将は、武闘派の柴田や森の様な突破力は無いものの、堅実な守備と臨機応変な用兵を得意とする将だ。
対して徳川軍の将、大久保忠世は家康への忠誠心の高い武骨一辺倒な典型的な三河武士だ。
武勇優れ、幾つもの戦場に立つ家康の信頼も厚い将である。
その補佐をする近藤秀用の近藤家は、元は今川氏に従っていたが、徳川家が今川から離反した際、懐柔されて徳川家の家臣となった一族である。
彼もまた徳川の兵に相応しく、史実においては長年の戦働きによって歩行困難となった父康用に代わり”姉川の戦い”、”三方ヶ原の戦い”、”小田原征伐”と名の知れた戦で軍功を上げた猛将である。
「さて、権六殿の様な苛烈な戦は出来ませぬし、我等は我等の得手とする戦をしましょうか」
「……承知」
長秀と一益と彼等が率いる部隊は、大久保・近藤の部隊の攻勢が強い事を察すると、その勢いを受け流す様に展開、周囲を囲い込む様にして徐々に徳川軍の兵士を討ち取っていった。
結果、大久保忠世は乱戦の中討死。近藤秀用は降伏した事で、大久保忠世率いる部隊は壊滅したのだった。
一方、”退き佐久間”こと佐久間信盛も、徳川軍と接敵しようとしていた。
一緒に行動していた森衆は別動隊として動く須藤や島とは別方向から敵本陣を目指す為、ここで兵の消耗は避けたい為、ここで戦うのは佐久間と、補佐として信忠より佐久間に預けられた池田恒興や河尻秀隆という歴戦の将達が率いる部隊……なのだが、可成や長可、そして彼等が率いる戦闘狂達がそれで納得する筈も無く、戦う気満々である。
対する徳川軍は、平岩親吉に成瀬正一・日下部定好・菅沼定盈。
平岩親吉は家康が今川家の人質であった頃から仕える重臣で、成瀬正一は武田家の遺臣である武川衆出身、日下部定好は元織田軍であったが、秀吉との諍いで出奔して徳川に仕官し、菅沼定盈は元は今川氏の家臣だ。
どの将も武勇や用兵に優れた将である。
だが、彼等と相対するのは”槍の三左”こと森可成にその嫡男の森長可、”鬼兵庫”こと各務元正に”退き佐久間”こと佐久間信盛、そして織田を長らく支えてきた猛将達である。
特に可成と長可率いる森衆の苛烈さは他を圧倒し、武勇優れる徳川の将兵達を赤子の様に蹴散らしていく。
可成や長可・各務等の槍捌きは、徳川の兵の頸をいとも容易く狩っていく。
正しく、”鬼”の様な戦いぶりだった。
「――しゃあ! 平岩親吉の頸、俺が頂いたぜ!」
すれ違い様、長可により部隊の中心人物であった平岩親吉が討ち取られると、部隊は瓦解した。
逃げ出す兵士達を何とか抑えようとする成瀬正一と日下部定好等の事は佐久間達に任せ、森衆は其の儘徳川本陣に向けて馬を走らせた。
平岩親吉亡き後、成瀬正一と日下部定好は何とか部隊を整えて撤退しようとしたところを、追撃した池田恒興と河尻秀隆の二人の部隊によって討ち取られた。
そして残る菅沼定盈もまた撤退する中、中備えまで到達しようとしていた柴田率いる越前衆によって他の兵達諸共討ち取られた。
戦況に、数による差が露骨に表れ始めていた。




