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第百八十三話 鏑矢の合図

 左翼の上杉、中央の柴田衆、右翼の森・滝川衆という屈指の武闘派達が三方向より徳川軍中備えに向かう。


「――掛かれ掛かれ! 我等が武勇を天下に知らしめる最後の好機ぞ! 手柄を上げたい者は死に物狂いで戦え!」


 ”鬼柴田”こと柴田勝家の叱咤に、兵士達が気勢を上げて敵へと殺到する。

 だが、敵味方入り乱れている為、織田・上杉連合軍は鉄砲を効果的に使えず、更に軍監達の策の入り様も無い真っ向勝負の戦ならば、例え数で劣ろうとも容易に負ける事は無い。

 徳川の兵は主君が為と即死であろう筈の傷を負った兵でさえ、織田軍の兵を道連れにして果てていく。

 勝家からしてみても、ただの一兵卒までもが己が命を主君が為に捨て、果てる光景は恐ろしく見えた。


「……主君が為に命を捨て、共倒れする姿は武人として見事なものだ。……それ程までに奴等にとって家康という男は尽くすべき男だという事か」


 勝家とて武人である。

 信長や信忠(主君)の為に命を捨てる覚悟はあるし、戦場に果てる覚悟もしている。

 だが、それは彼が織田に忠誠を誓う将であるからだ。

 兵――足軽というのは、言ってしまえば農民だ。

 家に尽くす忠義もなければ、家の為に死ぬ意味もない。

 戦況が悪くなれば逃げ出すし、罰がなければ略奪など何でもする者達だ。

 だが、徳川の兵は一兵卒であろうとも主君の為に命を捨てる。

 現在戦の最前線となっている徳川軍中備え部隊は、敗走した先手衆の将達を吸収し、数で劣る織田・上杉連合軍に対して戦線を保っていた。

 それ程までに、家康という男には忠義を尽くす理由があるのだろう。


「――殿の天下の為に!」


「徳川の天下を、どうか!!」


 そう叫びながら兵達は次々と死んでいくのだ。

 その様は、敵ながら実に見事だった。

 とはいえ、勝家とて主君に仕える身だ。

 もうすぐそこまで来ている主君の天下の為に、敵は――潰す。


「……この身は剣。戦が終われば役目も終わる」


 勝家は、戦が終われば隠居しようと考えていた。

 刃は、平穏な時代には必要ない。それも、年経て錆びた剣など。

 次代は、若き者達が作るのだ。

 老臣はただ、去るのみである。


「……これが最後の忠義。殿に頂いたご恩に報いねばな」


 そこに、鏑矢の音が鳴った。





【視点:須藤惣兵衛元直】



 左近殿が率いる急襲部隊によって追い立てられた兵達が此方にやってくる。

 どうやら上手くいった様だ。

 後は俺達の仕事次第だな。

 敵の将の姿は周囲にいる兵達に紛れてわからないが、まぁ全員ここで死ぬから関係ないだろう。


「……今! 鉄砲隊、放て!!」


 俺の指示に従って、待機していた鉄砲隊が弾丸を放つ。


「――に、逃げろ!!」


「織田の鉄砲隊だ! 退け! 退け!」


 急に現れた俺達に驚いて、反転しようとするが既に遅い。

 鉄砲から放たれた弾丸が、徳川軍別動隊の兵達に到達し、その命を奪っていく。

 四半刻も経てば、広がるのは眼も背けたくなる光景だ。

 その中に、他の兵士達より目立つ鎧を着た姿も見えるが、恐らくあれが別動隊を率いていた将だろう。

 とはいえ、その最期は周囲に倒れている兵士達と大差ない。


「どうにかなりましたかい」


 そこに左近殿がやって来る。

 そして少し遅れてさらに後方に待機していた鈴木重秀も合流する。


「えぇ、とりあえず別動隊は殲滅したようです。……さて、これで漸く敵本陣に行けますな」


 とはいえ、時間が少しばかりかかってしまったので、奇襲出来るかどうかは微妙なところだ。


「……ま、先ずは向かってみましょうや」


「そうですな。……重秀、直ぐに部隊を纏めてくれ」


「応、承知したぜ」


 重秀が頷いて去っていこうとした瞬間。


 ヒューン!!


 遠くから聞こえてくる鏑矢の音。

 それは徳川本陣の方向から聞こえてきた。

 俺と左近殿は顔を見合わせる。


「……どうやら状況が動いたようですな」


「ですな。……急いで向かいましょう」


 確か本陣には上杉の一部が向かったという報国だったが……。

 さて、何があったのやら。




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