第百七十七話 開戦
1566年 三河 長篠 設楽原 【視点:須藤惣兵衛元直】
軍議が終わって、将達が自分の陣営に急いで向かってから数刻後、とうとう開戦間近である。
俺も直ぐに自分の陣営に向かう。
とはいえ、一応は奇襲部隊の為、いつも通りに他の将達みたく旗を立てる訳じゃないのだが。
今回は左近殿も一緒だ。
俺達は右翼――敵からして見れば左翼側から大きく迂回して、右翼及び中央の織田軍と連携し、設楽原に布陣して織田先鋒隊と戦っている徳川軍の横っ腹を突く手筈となっている。
今は敵側から見えない様に丘陵地に身を隠していた。
既に俺の部下――というかその多くが雑賀衆だが――と左近殿の騎馬兵を中心とした部隊は着々と出陣の準備が進んでいた。
「お、須藤の旦那に左近の旦那。戻って来たか」
その指揮をしてくれていた雑賀衆の有力者である鈴木重秀が俺達を見つけてそう声を上げると、皆が一斉に此方を見てニヤリと笑みを浮かべた。
将を見ても頭を下げないのは、他の将達なら懲罰ものだろう。
柴田殿とか厳しそうだしな。
こうして左近殿と一緒に動くようになって、分かったのが俺と左近殿の兵達への接し方が似ている、という事だ。
左近殿も仕えていた筒井家を廃した後には浪人となって各地を巡った人物である。
俺との出会いは備中だったか。
その為、兵士達との関係も近いらしく、曰く兵士との信頼関係を重視しているのだとか。
そりゃ、上から一方的に命じる人間の命令よりかは同じ釜の飯を食って一緒に苦労をする人間からの命令の方が聞きやすいだろう。
信頼関係で繋がった部隊は、自分の手足の如く動いてくれる。
俺としても、信頼関係が重要である事を理解しているし、偉そうに振舞う事もないだろうと、基本的にフランクに接している。
だから忍達からは兎も角――あいつ等は雇用関係を大事にしているので、”須藤殿呼び”は譲歩した――、雑賀衆からの呼び方は”旦那”だ。
「応。……仕度はどうなってる?」
「あぁ。問題ねぇ。……いや、問題は進軍速度だな」
鉄砲兵が中心の俺の部隊と、騎馬兵を中心とした左近殿の部隊。
基本的には相性は悪くないし、戦法の幅が広いのだが、進軍速度が問題だ。
鉄砲隊の特性上、歩兵であり、騎馬兵と比べるとその速度は圧倒的に劣る。
「そこら辺は部隊特性の違いだ。別に致命的な問題にはならないでしょうよ。敵の近くに行くまでは先遣隊以外は鉄砲隊を先に行かせて、遠方からの急襲で敵を崩し、うちの騎馬部隊で更に拡大させていく。……どうです?」
左近殿が自信あり気な笑みを浮かべて言うのに、俺も頷いた。
「そうだな。幸い、ここら辺は丘陵地で視界が遮られてる。本隊の先手の部隊は敵の眼を集中させるには十分過ぎる編成だ」
「まぁ、”槍の三左”率いる森衆・織田家の旧臣である滝川衆に、”鬼柴田”率いる越前衆、”越後の龍”率いる上杉軍。……一番警戒すべき連中の悉くが先手だ。徳川としては前線に集中しなけりゃ、直ぐに突破されかねないでしょうからねぇ。相手にはしたくない編成ですよ」
ハッハッハと左近殿が声を上げて笑う。
相手にしたくないというのは、俺も同意だ。
馬鹿みたいに強い面子だからな。
策を仕掛けても喰い破られそうだ。
「……っと、いつ戦が始まるかわからねぇんだ。仕度を急がせてくれ」
「了解した」
俺の指示を受けて、重秀が部下達に激を飛ばす為に走り去っていった。
そして、戦が始まる。
各陣営で、両軍の大将が下知を下す。
「――さて、仕度は整ったな。……これより、”朝敵”徳川を討つ! 皆、存分に奮え! ――開戦の合図を放て!」
「――これより、厭離穢土を目指す為の戦を始める! 敵は強大だが、皆の力があれば勝てると信じている! ――出陣せよ!」
「「「「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」
「「「「オオオオオおぉぉぉぉぉぉォぉぉっっ!!」」」」
ヒュンという両陣営から立ち上る鏑矢の合図と共に、戦が始まった。




