第百七十六話 最後の戦い 軍議
1566年 三河 長篠 織田・上杉連合軍本陣
大評定から一月経ち、とうとう徳川との戦が始まろうとしていた。
織田・上杉連合軍は徳川が、織田の傘下にありながら当時敵対していた毛利や長宗我部に書状を送り、挙兵に協力し、更には各地に忍を放ち反織田勢力を味方に引き入れようとした事、武田の遺臣達を取り込み、戦を始めようと画策している事等を各地に宣伝し、これに協力した者は織田の全兵力を以て攻める事を宣言した。
それに加え、朝廷によって徳川が”朝敵”と認められた事を宣言し、”朝敵”徳川を討つ事を宣言した。
朝廷――禁裏とはこの時代において絶対的なまでの発言力を持っていると言えるだろう。
その朝廷に、”朝敵”として認められた徳川に、易々と味方する勢力が現れる事などありはしない。
徳川も引き返せないと確信したのか、”厭離穢土”の旗を掲げて挙兵し、両軍は三河の長篠で相討つ事となった。
史実においては武田と徳川・織田連合の戦の舞台となった長篠が、この世界では何の皮肉か織田・上杉と徳川が争う戦場となった。
しかも、此方には真田や高坂等上杉配下の甲斐衆が、徳川には武田の日ノ本最強の象徴であった部隊”赤備え”や、武田の遺臣達が従軍している。
武田四天王と呼ばれた馬場信春や内藤昌豊、赤備えを率いた山県昌景等日ノ本全土に名を馳せる程の将達は上杉にいる高坂や真田を除いた多くが戦死しているが、それでも戦慣れした武田の兵士はその戦い方もあって徳川との相性は良いと思う。
さて、現在将兵達の多くが既に配置についており、本陣には各部隊の代表者と随行者達が集まり、最後の軍議を開こうとしていた。
大きな卓に広げられた地図を囲む様に、将達が座っている。
ここにいるのは本陣付きの連中に、先手中央からは柴田殿と佐々殿、右翼からは三左殿と勝三、左翼からは上杉家当主輝政公と直江景綱、中央中備えからは”軍監”である吉継と忠興、右翼中備えからは池田殿、左翼中備えからは佐久間殿と秀吉・秀長兄弟が来ていた。
勿論、俺と左近殿も出席している。
それ以外の将達は、既に各陣営で仕度の真っ最中だ。
「――では、軍議を始めたいと思います」
半兵衛の言葉に、将達全員が頷き、軍議が始まった。
「敵本陣は長篠城長篠城に構え、敵各部隊は寒狭川を渡って設楽原に布陣しております。この付近は小川等に沿って丘陵地が連なり、敵から兵を隠すのには良い場所です。……故に、先手はわざと大量の兵士を敵に見せ、軍の全てを前衛に集中させると思わせ、中備えは丘陵地にて敵から隠れる様に布陣をしておられると思います」
そう。
既に各部隊の布陣場所は事前に通達してあった。
その情報を得られたのも、忍達のお陰だ。
彼等には事前に戦場の情報を集め、地図にする事を命じていた。
その為、敵が布陣するであろう位置を考え、それから俺達が布陣するに相応しい場所を決める。
それもまた”軍監衆”の仕事だ。
「では、敵の布陣を報告致します」
忍の情報によれば、敵陣先手は右翼に鳥居元忠・成瀬正一・日下部定好・菅沼定盈。
これには左翼の上杉が対応する。
柴田殿等と相対する中央に依田信蕃・本多忠次・奥平貞能。
左翼に大久保忠世・忠佐・松平康忠・近藤秀用。
中備えに本多忠勝・榊原康政・松平信一・大須賀康高・平岩親吉・大久保長安・柳沢信俊。
本陣に大将の徳川家康と息子の信康に酒井忠次・天野康景・高力清長・本多重次。
別動隊として内藤信成、内藤家長等が敵陣より後方に布陣している。
狙い目としては中央だろうか。
基本的に効果的なのは誘導してからの銃での殲滅がなのだろうが、左翼の上杉には合わない戦い方だ。
急にやれと言っても出来ない戦法なので、少なくとも左翼はその戦い方は出来ない。
なので、今回根来衆等に鉄砲隊の多くは中備えに配置していた。
まぁ吉継と一緒に策は考えてあるし、中央の柴田殿にも伝えてはあるから時期を見て上手く使ってくれれば良いのだが。