第百三十九話 今川の判断と徳川の決断
1564年 堺
堺にいた徳川家康等徳川勢は、明智光秀謀反の報せを聞き、驚いていた。
「まさか明智殿程の御仁が裏切るとは」
「……ですが、信長公の安否は未だ解らぬ。もしや明智の軍勢が我等にも追手を差し向けているのではあるまいか?」
「……殿、どうなさるおつもりか?」
家臣達が指示を仰ごうと家康の方を見る。
だが、当の家康は一人ぶつぶつと呟きながら考えに浸っていた。
「……明智殿の謀反……毛利の挙兵と長宗我部の挙兵。……我も長宗我部殿に書状を送ったが、毛利には送っていない。……もしや明智殿は随分と前から……」
「――殿、殿!」
「――っ! お……おぉ、忠勝か。……何かあったか?」
心配した本多忠勝が肩を叩くと、集中していた家康は肩を震わせて驚いた。
「殿、これから如何するのか下知を頂きたく」
「う、うむ。……そう、だな。「これは好機では?」」
悩む家康に声を掛けたのは、武勇優れる勇猛な将が多い徳川勢の中で珍しく内政や知略・謀略に優れた本多正信だった。
「――好機だと?」
家康が訝し気に正信を見ると、正信は頷いた。
「はい。……織田軍の眼は今明智に向いております。此度の乱によって、家中は今混乱にある筈。……動くなら今かと。厭離穢土を目指すのでしょう?」
正信の問いに、家康は勿論だと頷く。
厭離穢土。
戦の無い太平の世を実現させるのが家康の願いだった。
「……そう、だな。そうだな正信。私は……天下に静謐を齎すと誓ったのだ。ならば、確かに今が動く好機! 織田家中の眼が明智……山城や摂津に向かっている今、先を見据えて行動せねば!」
家康は、信頼している将達に幾つかの策を授けると、自らは居城岡崎城に向けて帰還する為に急ぎ馬を走らせた。
数日後 駿府館
「……ほぉ? 信長公が家臣に謀反を起こされたか」
今川領の今川氏の居館駿府館の上座の間で、下座に家臣達を集め、情報を持って来た兵を前に今川家当主である今川氏真は呟いた。
その表情は、いつも通り変わらない。
「……強大な組織は、それ故に綻びも出てしまうもの。特に織田は様々な家が集まっておりますれば、その危険もありましょう。寧ろ、今まで良く抑えていたモノです」
忠臣である朝比奈泰朝がそう口にする。
家臣達も、同じ意見の様だった。
今川家も、桶狭間後は分裂の危機に陥った家である。
現に、今は亡き雪斎の尽力と、織田との協力関係を築けたからこそ滅亡を回避出来たが、今は徳川と名乗っているかつての松平家等、今川から独立した家もあった。
氏真はチラリと泰朝を一瞥すると、報告する兵に先を促す。
「――続けよ」
「――はっ! しかしながら、味方の救援もあって信長公及び嫡男信重様は無事に丹後へと撤退したとの由」
「なんとも悪運の強い……」
「天は織田に天下を取れと言っている様ですな」
その報告に、家臣達は安堵の様な、感心した様な、呆れた様な複雑な溜息を漏らす。
「……離反したのは誰だ?」
「――はっ! 京の守護を任されていた明智光秀との事」
離反者の名に、氏真は少しばかり眼を開く。
周囲からは分からないが、どうやら驚いているらしい。
「明智……確か今は亡き足利公方の忠臣だった筈だな?」
氏真の問いに、泰朝が答える。
「はい。……最後の公方足利義昭公が、兄である義輝公が弑された事で各地を放浪した際、幕臣として信の厚かった細川藤孝殿と共に追従した者です。清和天皇を祖とする清和源氏の中で、美濃に土着した一族である美濃源氏土岐氏の支流である明智家の流れを汲むとか……」
「なれば、此度が乱は公方様の仇を?」
「まさか……明智は織田の傘下として公方を攻め滅ぼした側だろうに」
「なら、なんと説明するのだ?」
家臣達の間で、ひそひそと様々な憶測が飛び交う。
だが、家臣の一部は冷静だった。
「殿、此度が謀反、成功していればこの日ノ本の行方も分からぬものになったでしょうが、信長公は生きておられます。織田の天下は変わらぬでしょう」
「……ですが、だからと言って我等に出来る事はありませぬ。今は静観するべきでしょう」
「そうだな。……そうするとしよう」
その家臣達の進言を受け、氏真は頷いた。
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