第百三十八話 軍議
1564年 丹後 【視点:須藤惣兵衛元直】
軍を整えた秀吉達が備中から合流したのは、それから三日後の事だった。
強行軍だったらしく、馬に乗れる将や騎馬兵以外は遅れている者が多いらしい。
だが、数的には有利なのは俺達だ。
明智軍一万五千に対し、織田軍は信重衆・備中攻略軍・松永衆・細川衆に加え、遅れて丹羽殿の部隊も合流予定で、総数は凡そ四万程度になるだろう。
更には上杉を攻めていた柴田殿等も本能寺での出来事を知って、撤退を開始しているらしい。
摂津の国人衆や阿波の三好・石山本願寺・比叡山延暦寺の織田傘下の勢力には既に信長達が無事だという書状は送ってあるので、明智の味方になる事は無い筈だ。
少なくとも、信長が無事な今、明智の味方をするにはデメリットが大き過ぎるからな。
信長と信重様の死の回避、そして明智と婚姻関係にあり、有力者である細川や筒井が”本能寺の変”後すぐに明智との敵対を表明した事、石山本願寺や比叡山延暦寺等史実では存在しなかった者達の協力は、史実との大きな違いであり、俺達を有利な立場にしている要因だ。
そしてここで兵を整え、翌日には明智のいる京に向けて進軍する。
恐らく、戦場は史実通り京のある山城と摂津の中間にある山崎だ。
山崎の戦い――古くは天王山の戦いとして知られている戦は、後の成句の由来となった事柄が多い戦だ。
『天下分け目の勝負』という意味で使われる”天王山”や、”三日天下”という言葉は有名だが、他にもある。
”洞ヶ峠”という言葉は、史実において明智光秀と親しかった筒井順慶が、光秀に乞われて洞ヶ峠まで赴いたが、既に秀吉に寝返る事を決めていた為、光秀と次男が加勢の催促をしようと洞ヶ峠まで赴いたが、約束の日時になっても順慶が現れなかったことから、『二大勢力が争っている時、有利な方へ味方しようと日和見する』という意味で使われる様になった。
だが、この世界の戦の大将は秀吉では無く、嫡男の信重様だ。
「――皆、表を上げよ!」
「「「「――はっ!!」」」」
上座に座った信重様の言葉に、評定の間に揃った将達が一斉に顔を上げた。
勝三や斎藤利治等信重衆、細川与一郎藤孝・忠興父子、松永弾正久秀・久通父子、”軍監衆”から備中にて戦後処理をしている大谷吉継以外の半兵衛・官兵衛・俺、丹羽殿と共にいた三左殿もいる。
更には珍しい事に、”雑賀衆”を率いている鈴木重秀に、甲斐・伊賀・三つ者の代表達、本来ならば評定の間には呼ばれない者達も顔を揃えていた。
これは此度の救出劇で彼等の成果が認められたからだ。
上座からの景色を噛み締める様に一同を見回した信重様は口を開く。
「……秀吉」
先ず呼ばれたのは秀吉だ。
「――はっ」
「備中を攻めていたにも関わらず、軍を即座に率いて駆けつけてくれた事、真に大儀である」
「――有難きお言葉」
「――松永弾正・久通」
平伏する秀吉に笑いかけると、今度は松永父子に声を掛けた。
「……お前達の救援が無ければ、我等は助からなかっただろう。大儀であった」
松永父子は揃って黙礼した。
「……細川藤孝・忠興。……お主達にとっては辛い選択だっただろうが、こうして織田に付いてくれた事、感謝する」
「いえいえ、構いませぬよ」
ニコリと笑う与一郎殿に、ただ頷く忠興。
恐らく論功としては玉子との婚姻を認める事を上げるのだろう。
「そして雑賀衆・根来衆・忍衆。皆、良く働いてくれた。お前達の働き無くば、父上は本能寺で死に、私も後を追っていただろう」
それに対し、俺の配下――というか雇っている――面々がどこか緊張気味に、戸惑う様に頭を下げる。
「……そして”軍監衆”」
信重様は俺達の方を見る。
「この危機の中、お前達は良く働いてくれた。……特に須藤はな。これからも、その頭脳で私と父上を助けてくれ」
「「「――はっ」」」
そして一度仕切り直す様に咳払いをし、信重様は皆に告げた。
「――これより、対明智の軍議を始める! ”織田の三兵衛”!! 主等の知略、披露せよ!!」
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