第百三十六話 丹後にて
1564年 本能寺の乱より数日後 丹後
「――藤孝! 忠興!」
織田家嫡男織田信重及びその家臣達が丹後に辿り着いたのは、信長の救援に向かった藤孝等が到着して数刻後の事だった。
「――おぉ、信重様。御無事でしたか」
「あぁ。……松永と左近、柊に助けられてな。――それよりも父上の容体はどうだ? 無事か?」
信重の問いに、藤孝と忠興は首肯する。
「えぇ。……部隊の中に薬や毒に通じた甲賀忍がいたのが幸いでしたな。槍に毒が塗られておりましたが、処置も早く、命を落とすまでにはいかぬと。既に医者も手配済みですので、ご安心なされよ」
「――っ! そうか!」
藤孝の言葉に、信重等は一様に皆安堵した。
主君が死ねば、家中の混乱は避けられないだろうし、それに付け込んでくる者もいるだろう。
織田家にとっても、この日ノ本にとっても、一部の者以外にとって信長が無事である事は喜ぶべき事だ。
「……今は眼が覚めております故、案内仕る」
藤孝の案内によって、信長がいる部屋に通された信重達は、床で横になっている信長の眼が開いているのを見て、殊更安堵した。
「……父上!」
信重が声を掛けると、信長は疲労の色を見せながらも信重の顔を眼を動かしてチラリと見て、
「――信重か。……手前も無事で良かった。俺と手前が両方死んだら、誰が天下を取るってんだ」
そう言って、笑みを浮かべた。
そして視線を天井に戻し、ふと笑みを消す。
「……金柑の野郎が裏切った。なら、死ぬ覚悟は出来てるだろうぜ。……本来なら、俺が出てあの野郎を叩き潰したい。だが、この身体じゃあそれも出来ねぇ。だから――」
信長は信重を見る。
その眼は、健常な時程に――いや、その時以上に鋭かった。
「だから、手前に全てを任せる。あの野郎が何を考えて裏切ったかは知らねぇが、織田と敵対した奴等の末路、アイツもわかってんだろ。……信重。手前に当主の座をくれてやる。ま、だからと言って織田の全てをくれてやる訳じゃねぇがな。だから、織田の前当主として、現当主に試練をくれてやる」
「――っ! 」
「――この戦、勝て。それが、当主としての手前の最初の責務だ」
次を見据えた信長の言葉に、信重やその後ろに控えていた将達は言葉を失う。
信長は明智との戦がある事を感じ取っていた。
そしてそれを、信長の言葉で彼等も感じ取ったのだ。
信重は平伏する。
それに倣い、後ろに控えていた将達も一斉に頭を下げた。
「……謹んで、承ります。――織田信重。織田全兵力を以て、明智との戦に見事勝利して見せまする!」
歴史は――史実とは別れた道を突き進む。
一方 備中
「――何!? 光秀殿が謀反ですと!?」
中国方面軍大将木下秀吉は、驚愕に眼を見開いていた。
報告したのは”軍監”竹中半兵衛。
史実においては上司と部下の関係であった両名だが、この世界においては上下関係でいえば対等である。
そして齎されたのは、織田を支える同輩として尊敬していた明智光秀の謀反。
これで驚かない訳が無い。
「――えぇ。ですが、須藤殿が京に兵を配置しており、その兵達が殿を救出したと」
「おぉ! さっすが須藤殿! そう言えば、確かに此度が高松城攻めに雑賀衆は一部しかおらなんだ。何処にいるかと思えば……真、須藤殿は予知でもしておられる様だ」
一応、須藤の行動には問題もある。
己を含め、その事を最小限の人間にしか伝えなかった事。
それは、将としては問題である。
だが、それをすればいつ光秀の耳に入るかわからない事から、須藤は後で問題になろうと大部分の人間に伝えなかったのだ。
「毛利との和睦は進んでおります。そして恐らく、近い内に明智との戦になりましょう。……秀吉殿、ここは一時でも早く和睦を進め、殿等が向かった丹後に向かうべきかと。和睦は我等”軍監衆”に任せ、秀吉殿は一時でも早く殿の元へ」
半兵衛の提案に秀吉は即座に頷き、行動を開始する。
「相分かり申した。和睦の件、宜しく頼みまする。――先の報せを全将に伝えよ! 軍を再編し、それが済み次第此処を立つ! 向かうは丹後だ!」
そう言って自身も仕度を始める為に足早に去っていく。
「……和睦は吉継にでも任せて見ましょうか。我等も急いで丹後へ向かわねば」
慌しく人が動き始めた中、半兵衛もまた、同じ様に動き始めた。