第百三十五話 信重脱出
一方、信重軍もまた窮地をなんとか凌いでいた。
待ち受けていた明智軍を、柊の運用する雑賀衆が崩し、崩れたところを島左近率いる信重軍本隊で叩く。
敵が敗走した後は、団忠正を信重の護衛として先行、殿を左近と柊が務め、追撃してくる明智軍を幾度となく追い返す。
だが、明智軍も必死なのか、追撃の手は止む事が無かった。
「……やれやれ、奴さん等も必死だねぇ。……そりゃそうか。ここで信長公と若殿様を殺さないと、逆に窮地に陥るのは明智だからなぁ。……そら、もう一度仕掛けるぞ!!」
「「「「おぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」
殿を務める左近が率いる部隊は、信重が率いる兵達の中でも精鋭を集めており、新参者である左近の命令にも忠実に動く。
更に、同じく殿を務める柊の指揮は須藤のそれと非常に似ており、彼等にとっては戦いやすかった。
「入れ替わります! 雑賀衆、前に出なさい! 相手を近寄らせない様にします! ――放ちなさい!!」
相手から遠ざかると、すかさず柊の命令で雑賀衆が前に出て、明智軍に向けて銃弾を放つ。
「さぁ、敵が崩れた! 騎馬部隊は仕掛けろ!!」
左近と柊は相手の追撃が一瞬途切れる瞬間を狙って逆に自分達から仕掛ける等、敵の意表を突く行動をとる事で、寡勢でもなんとか凌いでいた。
そして彼等にもまた、援軍がやって来る。
先に撤退していった信重等に代わる様に、一団が左近達殿部隊に近付いてくる。
「……おっと、アンタですか」
援軍が誰かに気付き、左近は笑みを浮かべる。
「おやおや、その態度は傷つきますなァ。筒井殿の家臣、島左近殿。……ここまでの撤退、実に見事でしたなァ」
左近にとって、元主君と領地を争っていた旧敵。
だが、それだからこそ、心強い人物。
”乱世の梟雄”――松永弾正久秀が、いつもの胡散臭い笑みを浮かべてそこにいた。
「――殿はこの松永弾正にお任せ有れ」
「――弾正殿、若様は?」
少しばかり気の抜けた空気の中、それを破る様にして柊が松永に尋ねる。
「おぉ、柊殿では御座いませぬか。……いやはや、流石須藤殿の奥ですなァ」
「……弾正殿、私は夫より若様の事を任されているのです」
好々爺の様な笑みを浮かべて笑う松永にも、柊は動じない。
ただ冷静な、有無を言わせない眼を松永に向ける。
「……やれやれ、柊殿は真面目ですなァ。……無論、無事に御座いますよ。若殿の身は倅の久通が保護し、先に丹波に向かわせております。これから我々も向かいまするぞ。ささ、若殿の御身が心配ならば早くお先に行きなされ。殿は拙等が務めまする故」
松永は肩を竦めながら答え、柊と左近を先に行くよう促す。
柊は頷き、左近もまた負傷した兵士達の事を考え、松永の提案を受けて先を急いだ。
柊と左近達を見送り、松永は明智勢が来るであろう方向を振り返り独り言ちる。
「さてさて……裏切りは乱世の華なれど、聞けば明智が離反の理由はかの足利公方の置き土産らしい。……ククッ、真この世は面白い」
「……そうですか。両方とも逃しましたか」
「――はっ。申し訳御座いませぬ!!」
「いえ、構いません。……苦労でした」
信長・信重両名に追手を放っていた光秀は、失敗を知ると静かに瞑目した。
「……松永・細川の援軍により危機を脱した信長公と信重様は丹波に逃げられた、か。……上手くはいかないですね。…………ですが、後戻りは出来ません」
信長が死なずに逃げてしまった今、最早織田を下して天下を取るか、裏切った大罪人として処刑されるかのどちらかだろう。
光秀が生き残り、亡き公方の目指した世を実現させるには織田と戦って勝利するしかないのだ。
光秀は大きく息を吐いてから、近くに控えていた兵士に命じる。
「……将を集めなさい。軍を再編し、織田との決戦に備えます」
「――はっ!!」
将達に伝えに駆けていく兵士の後ろ姿を見送った光秀は、これからの事を思い浮かべ、天を仰いだ。




