第百三十四話 信長救出
1564年 京
ドドドドドド!!
まだ日の出て間もない京の空に、銃声が幾度となく響く。
そして時折それに混じる火薬の爆ぜる爆音。
「――絶対に近寄らせるな! 撃って撃って撃ちまくれ!!」
鈴木重秀率いる雑賀衆と、伊賀・甲賀・三つ者を集めて編成された忍衆達は、自分達が持つ鉄砲や炮烙玉、撒菱等ありとあらゆる物を使って時間を稼いでいた。
君主である信長を逃す為の時間を。
そして、救援が駆け付けてくれるまでの時間を。
だが、やがてそれは尽きる。
明智軍が徐々に重秀等に近づいてくる。
味方の死体を踏み越えて。
「――隊長! 不味い! 早合が切れちまう!!」
「不味いぞ! 殿に明智軍が到達する!!」
不味い。
本能寺から信長を脱出させるのに加え、撤退戦でかなりの量の弾薬や火薬を使っており、最早尽き欠けていた。
十分時間は稼げたはずだ。
救援を待っていれば、自分達が殺されてしまう。
仕方なく、重秀は決断し、命令を発する。
「――炮烙玉を投げろ! 撤収す――「いやいや、その必要は御座らんよ」」
重秀の命令は、後ろから掛かった声に中断させられた。
重秀は思わず声の主を見る。
その姿を見て、重秀は安堵した。
「――時間稼ぎ、見事でした。既に拙者の軍が保護し、丹波に急がせておりますよ。……後は我等に任せなされ」
「忝ぇ! 細川の旦那!!」
援軍を率いていたのは細川与一郎藤孝。
重秀等が目的地としていた丹波を任されている人物が、そこにいた。
藤孝は飄々とした笑みを湛え、家臣達に命を出す。
「ささ、細川衆。次の一射で前衛を入れ替わりまするぞ。――今!!」
藤孝の指揮に従い、それまで後方に控えていた細川衆の前衛が雑賀衆の前に出て槍を構える。
思わぬ援軍に、明智軍――それを率いる秀満は動揺した。
「……藤孝殿! 貴殿等細川家は我等明智と婚姻関係にして、同じ幕臣であった仲では御座いませぬか! 公方様の右腕であった貴殿程の御仁が、何故公方様を弑した織田に付くのか!?」
「――これは異なことを。最早足利幕府は無く、拙者も其方も今は織田の家臣に御座いましょう。……戦乱の世では婚姻関係であっても敵味方別れるは良くある事。……あぁ、安心なされよ。玉子殿を裏切り者の娘として離縁する事はありませぬ。拙者、これでも愛だの情だのに弱くてですなぁ。……愛する者同士を切り離す事はしませぬよ」
秀満の言葉にも、藤孝は首を傾げて何処吹く風。
自分の言いたい事を言う。
「……では、藤孝殿は此方について頂けぬと?」
「……ハハハ。信長公も生きておられるし、若殿にも援軍が向かっておりますれば、明智が勝つ見込みは万に一つも御座いませぬでしょうし、拙者は負け馬に乗るつもりは御座いませぬよ。それに――」
藤孝は一頻り笑うと、ふと口に笑みを浮かべた儘、鋭い視線を秀満に向け、告げる。
「――”有為転変は世の習い”と申す通り、幕府の滅亡もまた、現世という名の大河に沈む、砂や石ころに過ぎませぬ。足利家は滅ぶべくして滅んだのでしょう」
「……不忠者がっ!! それでも元幕臣か!」
秀満になんと言われようと、藤孝の根底にある事は変わらない。
生き残り、次代を見てみたい。
安寧の世を見てみたい。
そんな太平の世で茶を点て、花を愛で、数寄に興じて遊び暮らしてみたい。
それに至る道筋が、織田の元ならば見えると思ったのだ。
そして、その光景を見る為に――
「織田家家臣が一人、細川与一郎藤孝。ここは一人として通しませぬぞ?」
公方を裏切ったのだから。