第百三十三話 京撤退戦
1564年 京
妙覚寺を出立した信重等が丹後の細川藤孝等の元へ向かうのと同時刻、京の町より少し離れた場所で、信長を守りながら撤退する須藤直下の忍・鉄砲隊混成部隊は、追撃してくる明智軍から逃げていた。
部隊を率いているのは雑賀衆の鈴木重秀だ。
彼等はなるべく大通りを通らず、周囲を木々に囲まれた細い道等自分達に有利な道を選び、撒菱や炮烙玉、威嚇射撃等で明智軍を近寄らせずにいた。
「――くそったれ! 旦那も無茶な仕事押し付けてくれるぜ」
思わず、重秀の口から愚痴が漏れる。
ここにいるのは工作や暗殺・諜報を生業とする忍衆と、ゲリラ戦が得意な傭兵集団から編成されている異色の部隊だ。
編成上、この様な武士が行う撤退戦はしたことがなかったし、慣れてもいない。
忍達の一部が暗殺等も仕事としている故に対人戦に慣れている事と、鉄砲で近くに寄らせない事、道を選んで進んでいる事で精一杯なのだ。
だが、彼等とて闇雲に丹波を目指して逃げている訳では無い。
須藤とて、忍と傭兵で正規の部隊――それも練度の高い歴戦の兵である明智の兵――をどうにか出来る等とは思っていないのだ。
だからこそ、重秀に大まかに逃げる道と、場所を指定していたのだ。
「旦那の指示通りなら、あともう少しで――」
「――隊長! 最後尾の連中が明智軍に追いつかれるぞ! 此の儘じゃ接敵しちまう!」
部下からの報告に、重秀は自棄になりそうな心を無理矢理押し付ける。
今、この場で指揮するべきは自分なのだと。
須藤がいない今、それが自分の役目なのだと。
「――忍衆の殿さんを運んでいる連中に先に行かせろ! 仕方ねぇからここで食い止める! 鏑矢を上げろ!」
――この位置であれば、旦那の想定通りなら気付いてくれる。
重秀は、ここで明智軍と相対する事を選択した。
一方その頃 織田信重軍
妙覚寺を出立した彼等もまた、別のルートで丹後へと向かっていた。
だが、明智軍は信重等にも追手を放っており、敵が先回りしていた為に、運の悪い事に正面からぶつかり合うだろうという事が先遣隊によってわかった。
指揮を委ねられた島左近清興は、頭を掻いて溜息を吐く。
「やれやれ……そう上手くはいかないか。……柊殿、鉄砲隊の指揮は任せても?」
「えぇ。お任せ下さい」
戦場にありながら、柊は普段と同じく冷静だった。
彼女が率いる雑賀衆と同じく鉄砲を背負っており、後ろから付いてくる兵達も、彼女が自分達を動かす事に納得している様だった。
寧ろ、戦に慣れている信重指揮下の兵達の方が彼女達よりも不安そうである。
(成程、流石”軍監”須藤惣兵衛の奥方だ)
その柊の胆力に、左近は顔には出さないが、内心驚くと同時に、称賛していた。
女だてらに戦場に身を置き、しかも並の兵以上の雰囲気を漂わせている柊は、成程”信長公の右腕”の奥方に相応しい。
そして、その隣でジッと敵が来るであろう方向を睨んでいる信重も。
どうやら、織田は次代も優秀に育っているらしい。
知らずの内に、左近の口に笑みが浮かんだ。
そして、遠くに微かに風に揺れる旗が見えてきた。
「――来たか! 柊、左近、頼むぞ!」
信重に、柊と左近はそれぞれ頷く。
「お任せを! ――鉄砲衆、構えなさい! 先に仕掛け、先鋒を崩します!」
柊は雑賀衆に銃を構えさせ、敵が射程内に入るのをただジッと待つ。
そして――
「――今! 鉄砲隊、放ちなさい!!」
柊の指示の元、雑賀衆が明智軍先鋒に射かける。
ドドドドドド!!
轟音と共に、鉛玉が明智軍先鋒に向けて一斉に到達する。
明智軍は騎馬兵と歩兵部隊が主力の部隊編成である為、まともにそれをくらってしまい、態勢が崩れる。
それを左近が逃す筈も無く、
「じゃ、期待に応えましょうかね。――これより我が言葉は若殿が言葉と心得よ! これより明智軍を討ち散らし、丹後まで撤退する! ――全軍突撃いぃぃぃっ!!」
「「「「おおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」」」
左近の熟練の指揮の下、信重隊は明智軍に向けて一気呵成に吶喊した。