第百二十六話 毛利攻め再開
短めです。
申し訳ない!!
1564年 京 【視点:須藤惣兵衛元直】
軍議の結果、長宗我部に対しては阿波の三好義継等阿波勢及び讃岐国人衆等に加え、根来衆や紀伊国人衆、援軍として三左殿等織田家臣団の一部で対応する事とし、軍の大半は毛利の治める中国へ向かわせる事になっていた。
京や、その周囲に残るのは信長と信重様及び森勝三率いる森衆半数、畿内の松永、丹後にいる細川父子、そして京を任されている明智達だ。
更に、同時に越後に向けて柴田軍が進軍を開始、能登畠山を降し、魚津に向けて進軍を始めた。
俺達中国侵攻部隊は、先の戦で途中になっていた備中高松城を攻め落とす為、京を出立した。
俺も、後ろ髪を引かれる思いで、京を出た。
……何もなけりゃ良いんだが、こういう時に限って悪い事が起きるのだ。
進軍は順調に行われ、敵襲も無く無事に備中高松城に到着する。
「……相変わらずの堅城ですね」
「ですな。正攻法で攻めるならば、これ程までに攻め辛い城も中々無いでしょうな」
「……厄介……ですね」
高松城は、前見た時と変わらず、沼地の中央に鎮座していた。
”軍監衆”の名高き軍師達が、城を見て愚痴を零す。
……いやぁ随分豪華なメンバーだなぁ。
自分で創設しておいてなんだけど、史実では無かった豪華共演である。
半兵衛に身体を鍛えさせておいて良かった!
「では、殿からも急げとの下知が下っておりますし、かの堅城、落としてご覧入れましょうか」
……何かが起きる前に、終わらせたいもんだ。
”軍監衆”は先ず、近くにある村や町で大量の金を払って全ての兵糧を買い付けた。
それと同時に、前に官兵衛が考え付いた策の為の支度を始める。
官兵衛が考え付いたのは、門前村から蛙ヶ鼻までの東南約四キロにも渡る堤防を造り、足守川の水をせき止める、という事だった。
これを考え付いた官兵衛の主導の元、秀吉は築堤奉行に蜂須賀殿を任命し、まだ幼い宇喜多秀家を一門衆として支える前当主宇喜多直家の弟である宇喜多忠家が一番の難所である門前村から下出田村までの築堤を担当し、現在古村を蜂須賀殿、松井から本小山までを堀尾吉晴殿、生駒親正殿等が担当、蛙ヶ鼻より先は監督者を吉継と藤堂という若い二人に担当させる事とした。
そして、城攻めの際の船の準備は浅野長政殿が担当する事となった。
ただでさえ巨大なモノを作るのに加え、今回はなるべく早く作らねばならない。
その為、工事には士卒や、その地に住む農民、石山本願寺や比叡山延暦寺より貸し出された僧兵や農兵達等を動員し、高額の報酬を約束した。
そのおかげか、たった十二日で堤防は完成した。
後は雨が降れば良いのだが、史実とは違い梅雨の時期からはずれている為、それだけは天に祈るしかなかった。
だが、祈りが天に通じたらしく、数日に渡って大雨が降り足守川が増水した事で、雨が上がると、高松城は孤島と化していた。
本来ならば歩く場所がすっかり水で覆われており、毛利側は動揺しているらしかった。
だが、そんな中、京の情報収集を任せていた”三つ者”からの使いがやって来て、俺に重要な情報を持って来た。
――信長が四国攻めに加わる為に本能寺に入り、明智光秀も何やら動き始めた、と。
悪い予感は、当たったらしい。