第百二十五話 上手くいかない
1564年 六月 京 二条御所
その日の夜、俺は御所を訪れていた。
……というか、本来は将軍家の為に建てられ、史実では後に皇族が住む場所なのだが、こうも毎日仕事で来ると全然有難みも感じなくなるものだ。
っと、話が脱線した。
今回信長に会いにしたのはとある目的があっての事である。
俺は信長のいる部屋を訪れて開口一番、こう言った。
「――信長、俺を京に残らせてくれ」
そう。先の評定で、俺は他の”軍監衆”と共に毛利を攻めに中国入りする事になっていた。
だが、俺はその場で異議を申し立てた。
なにせ、武田征伐後の毛利・長宗我部攻め。
それで起こった事を考えれば、俺が異議を申し立てる事も納得してもらえると思う。
明智光秀が長宗我部を攻める為に本願寺に駐留していた信長を強襲、討ち取った大事件――”本能寺の変”。
歴史を変えた事件だが、今の俺にとってはそれ以上の意味がある。
信長が討ち取られると同時に、近くに駐留していた信重様もまた、死んでいるのだ。
主君と、教え子の様な存在を同時に失うかもしれないのだ。
更に悪い事に、明智殿――明智光秀は、京都の防衛の為京に残る事になっている。
この世界は、史実とは違う流れを通りながら、史実と同じか似た様な流れを進んでいる。
なら、俺が『本能寺の変が起こる』ことを想定する事も無理はないだろう。
それを防ぐ為に、俺は京にいた方が良いのだ――いや、いなければならない。
それが起きる事を知っているのは、恐らく俺だけなのだから。
「――馬鹿を言え」
だが、信長はにべもない。
「――信長!!」
だが、俺が折れる訳にはいかない。
信長の――親友の命が、そしてその息子である信重様が死ぬかもしれないのだ。
俺は尚の事詰め寄る。
だが――
「――ならぬ!!」
「――っ!」
俺に対しては絶対にしない、”織田家当主”としての言葉遣い。
思わず、俺は言葉を失った。
「分かっているだろう須藤――いや元直。手前が何と言おうが、何を考えてるか知らねぇが、今重要なのは毛利と長宗我部をどうにかする事だ。確かに、半兵衛や官兵衛・吉継だけでもどうにか出来るのかもしれねぇ。……だが、一人でも兵の命を失わないで済むのなら、”邯鄲の夢”を見、先を知っているという手前を使わねぇ手は無いんだよ」
「……だが」
尚の事食い下がる俺を、信長はまるで睨む様な鋭い眼で見る。
「良いか? これは命令だ。……”織田家当主織田信長”として、”織田家軍監衆須藤元直”に命じてんだよ。その意味を解らねぇ手前じゃねぇだろ?」
当主としての命令。
そう言われてしまえば、俺はどうする事も出来ない。
俺は友人であるが、同時に臣下である。
対等であって、対等ではない。
諫言出来る立場にあるが、あくまでも決定権は主君である信長にあるのだ。
「……解った」
俺は信長の言葉に、従うしかなかった。
俺はただ一人、”軍監衆”に割り当てられた部屋で考えていた。
俺は超人じゃない。
物語の英雄の様に、未来を見通せる事など出来ないし、思った通りに世情が動く事も無い。
目の前の事、二手三手後の事を考える程度で手一杯なのだ。
それに、一応俺も”軍監衆”であり、立場的に自由の利き辛い身だ。
主君に行けと言われれば、それが何処だろうと行かねばならない。
だが、『最悪』を予想して手を打つ事は出来る。
なら、それを見越して動く事が、今の俺にとっての”最善”だ。
俺は少し思案した後、何も書かれていない紙を用意して筆を取った。