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第百二十三話 家康、画策

 1563年 三河 岡崎城



「……ふぅ。ようやっと戦が終わったか」


 三河岡崎城を居城とする織田との同盟者である徳川家康は、上座の間に座って碁を打ちながら深い溜息を吐いた。

 甲州征伐が終わり、戦後処理を終えて漸く領地へと帰って来たのだ。

 しかも、相手は”戦国最強”と名高き武田である。

 身体的にも精神的にも、疲労が溜まっていた。

 だが、だからといって休む訳にはいかなかった。

 同盟者である織田に対し、後ろめたい事をしていたからだ。

 だが、『”厭離穢土”を目指す』と家臣達の前で宣言した時、例え同盟に背こうとも静謐の世を目指すと誓ったのだ。

 織田は未だ戦後処理で忙しい今だからこそ、動けると考えていた。


「……して、武田の残党達はどうなっている?」


 家康の問いに、下座に座っていた家老達が報告を始める。


「――はっ!! 春日城へと戻られた依田殿には既に使者を向かわせておりまする」


 甲州征伐において、最後まで抵抗した田中城に詰めていた依田信蕃が、織田信重の元に出仕しようとしているという報せを受けた家康は、即座に使者を立てた。

 表向きは、『仲介を任せて欲しい』という名目で。

 実際には、『織田が処刑しようとしている武田家臣の中に、依田殿の名も入っているそうだ』という偽の情報を握らせ、徳川へと引き込もうという策である。

 事実、これを読んだ依田は、後日慌てて徳川の陣営を訪れ、結果として徳川領内に潜伏する事になる。


 本来、それを監視するべき”軍監衆”だが、中国の毛利の動きが活発化しているという情報と、信濃を乗っ取られた形になった上杉への対策で忙しく、其方に忍を集中させていた事もあり、これを知る事が出来なかった。

 特に、徳川を注視していた須藤も、今川や北条との話し合いにも向かっていた為に眼を向ける事が出来なかったという要因も、徳川に味方していた。

 更に、甲斐領を安堵された穴山勝千代と、その父梅雪にも『織田は武田家を優遇する事はない』という書状と共に、刀や槍、金等の贈り物を送り、友好関係を築こうとしていた。




 更に、史実において徳川に仕えた武川衆と言われる者達も、引き込むことに成功していた。

 武川衆は、甲斐の辺境武士団で、甲斐武田氏の支流である甲斐一条家に連なる一族で、主に国境防衛を担っていた。

 史実の江戸時代では、後に将軍の旗本となっている。

 後世において、かの”赤穂浪士”の悪役として描かれる事の多い、”犬将軍”徳川綱吉の側用人である”柳沢吉保”も、武川衆の子孫である。


 それに加えて数多くの武田家遺臣達が徳川領へと逃げ、徳川への臣従を示している。

 その功績は、この評定の間に唯一重臣以外で呼ばれている成瀬正一によるモノだった。




 成瀬正一。

 若い頃は武田氏や後北条氏に遊仕したが、後に徳川家に帰参した徳川の旗本である。

 武田氏家臣の頃には”川中島の戦い”にも参陣し、徳川家に帰参した後も”姉川の戦い”等に参戦した猛者である。

 対武田の戦の際に、元武田家臣であった事を利用し、旗指物の識別等、情報官として徳川家重臣大久保忠世の与力として重用され、家康からの信頼も厚い人物である。

 此度の甲州征伐は、正に彼の活躍する舞台であった。

 更に、武田家家臣であった事を生かし、散らばっていた武田家遺臣達に徳川領に来るよう説得するという役目を担当し、武川衆や史実における徳川四奉行・史実では江戸幕府勘定奉行・老中として活躍する大久保長安・後世”井伊の赤備え”として活躍する山県隊旧臣達等、様々な才能を持つ武田遺臣を引き入れる事に成功するという功績を上げたのだ。


「……毛利と上杉には助けられましたな」


「あぁ。……後は何時か、という事だけだ」


「しかし、それは織田の勢力が揺らぐ一瞬を狙わねばなりませぬぞ。ただでさえ、織田の勢力下や友好関係を築く国は多いのですから」


「その”織田の勢力が揺らぐほどの何か”……それがあれば良いのだが」


 家臣達が不安が入り混じった声で会話をしているのを聞いていた家康は、それを聞いて一手を思いついた。


「織田に恨みを持つ者は多い。……恐らく、一つの種火が火種となって、何れは大きく爆発する。ならば先ずは一手、我等より打って出よう。紙と筆を持て」


 家康は慌てて紙と筆を取りに行く家臣を他所に、真剣な表情で石を碁盤に置いた。

 置いた石がパチン、とキレの良い音を立てた。




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