第百二十二話 甲州征伐完了
ぼーっとしてたら投稿するのを忘れてました(汗)
申し訳ないです!
1563年 甲斐 天目山
須藤に通じた小山田の離反によって岩殿城を諦めた武田家当主武田勝頼等は、天目山へと向かった。
天目山は、室町時代の武田家当主信満が”上杉禅秀の乱”で敗走した後、自害した地だった。
一門衆である木曾義昌に穴山梅雪、後世では武田二十四将として数えられる武田家譜代家老衆として家中の信頼厚き小山田信茂と忠臣達に加え、信濃豪族等の離反が相次ぎ、勝頼等はすっかり怖じ気付いていた。
だが、捕まれば極刑は免れない事は理解していた。
「織田は必ず我等を殺すつもりなのだろう」
「あぁ。……逃げねばならぬ。死にたくはないぞ」
勝頼の側近である長坂光堅と跡部勝資は、自分達に訪れるであろう末路を想像し、身を震わせる。
だからといって、良い逃げ場所も無い。
上野からは北条が、更には遠江との国境には今川が兵を置いており、信濃からは織田・徳川が侵攻してきており、菊姫の護衛として海津へ向かった真田や海津の城代を務める高坂を頼ろうにも、遠すぎる。
二人が考えていると、
「何を申しておられるのか。主君が為、死を恐れずに戦うことこそ、武士の本懐に御座いましょう? ならば勇ましく戦い、散るが宜しい」
と暗に非難する意見が横から聞こえてきた。
「……某等は貴様の様に武に優れる訳では無いのだ。昌恒殿」
長坂等が睨んだのは譜代家老衆の一人である土屋昌恒。
金丸筑前守の五男として生まれ、その後土屋貞綱の養子となった。
先の長良川で行われた合戦において兄と養父が戦死した事から土屋氏を継承した経緯を持つ。
「なれど、殿の身代わりになる事は出来ましょう?」
そう言うと、不満を隠そうともせずに去っていく昌恒を睨みながら、長坂と跡部は吐き捨てる。
「ふん。……これだから武辺者は」
「左様。ただ槍や刀を持って戦うだけしか出来ぬ者に、側近として殿を支えている我等の苦労などわかるはずもない。我等がおらねば、殿は――」
跡部がそう言いかけた時、
「敵襲!! 敵襲!!」
織田軍の襲来を告げる声。
それを聞いて、長坂と跡部は慌てた。
だが、続いて聞こえてきた声に、更に慌てる事になる。
「敵は”二つ雁金”と!! ――”掛かれ柴田”です!!」
「「――なっ!?」」
”鬼柴田”、”掛かれ柴田”の名は甲斐にさえも聞こえてくる程だ。
彼が率いる”柴田軍団”は、織田軍の中でも武勇に優れているとされており、馬場信春等武勇や兵の指揮に優れる勇将がいるならばまだしも、長坂や跡部等にとっては恐ろしい相手だった。
更に別方向から慌てて走って来た兵が膝を付いて報告を始めた。
「報告! 別方向より”総白に総赤の招き”の軍旗と”金の三つ団子”の馬印! 滝川一益の軍勢です!」
「「――っ!!」」
その報告に、長坂と跡部は声にならない悲鳴を上げる。
だが、勝頼は一つ溜息を吐くだけだった。
「……最早これまで、か。……昌恒・友晴」
「「――はっ!!」」
勝頼は土屋昌恒と、蟄居していた小宮山友晴を呼ぶと、その顔をジッと見つめ、命令を下した。
「――私はこれより信勝と共に自害する。……昌恒・友晴。我等が自害をする時間を稼げ。……出来るか?」
勝頼の最後の命令に、二人は肩を震わせながらも頭を下げ、
「「――我等が命尽きても」」
そう応じた。
「そうか。……では、頼むぞ」
そう言うと、勝頼は子信勝と妻である桂林院、そして弔う事を依頼されて駆け付けた勝頼の従兄弟にあたる大竜寺の住職である大竜寺麟岳と共に奥に去っていった。
それを見送り、残った家臣達は織田軍を迎え撃つ為に軍を二つに分け、織田軍へと向かっていった。
数日後 甲斐 某所
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
「ふぅ……ふぅ」
二つの荒い声と、がしゃがしゃと鎧の擦る音が山の中に響いていた。
長坂光堅と跡部勝資の二人である。
兜は何処へと落とし、眉は解け、身体中泥に塗れた姿は、正に落ち武者の様だった。
二人は武田軍が織田軍との戦闘を始めたのを好機として、これ幸いと逃げ出したのだ。
既に勝頼・信勝父子と桂林院、そして結局は勝よりからの依頼を断った麟岳は自刃し、時間を稼ぐ為に残った土屋昌恒や小宮山友晴、共に残った大熊朝秀や小原下野守・継忠兄弟等も戦死していた。
唯一抵抗を続けていた田中城の依田信蕃も、徳川に通じて武田を離反した穴山梅雪の勧告もあって開城しており、これによって甲斐は織田領となっており、家臣達も既に織田や徳川の手の者として動いている者さえ出ていた。
だが、それを彼等が知る由もない。
「……先ずは、何処か遠くへと逃げるとしよう」
「そう……だな。……いっそ、伊達領にまで逃げてみるか」
そう二人が話していたが、行方をとある一団が遮った。
「――な、何者だ!!」
長坂等が腰に下げた刀を抜き、そう怒鳴る。
すると、一団の中から一人の男が歩み出た。
「――長坂光堅殿と跡部勝資殿、だな?」
「そうだと言った――」
そう返そうとして、跡部は一団の一部に見覚えのある顔がある事に気づく。
それは、武田家側近として勝頼の側で忍達の報告を聞いていた時――
「”三つ者”……だと!? 何故ここにいる!?」
驚く長坂と跡部に、男が笑う。
「漸く気付いたか。……流石”足長坊主”の隠密集団。諜報能力と実力は申し分ないねぇ」
「貴様! 織田の手の者か!!」
そう言って斬り掛かった跡部の刀を、男は「やれやれ」と言いながら腰から刀を抜くと、容易に払って防いだ。
「――なっ!?」
「――今!!」
跡部の体勢が崩れると同時、今度は長坂が斬り掛かる。
しかし――
「――よっと」
男はただ一歩右足を下げるだけで躱し、足払いをしてコケさせた。
「……アンタ等、本当に勝頼公の側近だったのか? 武田家の家臣にしちゃ、剣の腕が全然じゃねぇか」
そう言うと、男は刀を鞘に納め、”三つ者”達に命じて二人に猿轡を噛ませ、手と足を縛り上げた。
尚も暴れる二人の首に遠慮なく手刀を当てて意識を奪い、
「じゃ、帰還しますかね。聞こえちゃいないだろうけど、悪いが甲斐の人間の恨みの”当て馬”になってもらうぜ」
そう言って男――須藤元直は”三つ者”を従えて山の中に消えて行った。
その後、武田家当主勝頼・信勝父子の頸は美濃にいる信長の下に届けられ、長坂光堅・跡部勝資の二人の頸は新府城の門前に『主君勝頼公を唆し、滅亡に至らせた不忠者』という看板と共に晒された。
甲斐の民は二人の頸に向け、怒りと共に石、時には糞尿を投げたと言われている。
その臭いは、頸が取り払われた後も暫く残ったと言う。
そして生き残った武田の家臣達は織田・徳川・今川・北条の各地に散らばって身を隠し、武田領であった上野は北条と今川に分けさせ、本領であった甲斐は穴山梅雪の息子に”武田氏”を名乗らせて継がせ、信濃で上杉が占領していない木曾谷等の領地は木曾が本領安堵される事となった。
これにより、”戦国最強”と謳われた甲斐武田は、僅かな血脈を残して滅亡したのだった。