第百十七話 信濃攻略戦
視点や場所がころころ変わります。
1563年 信濃 伊那街道
伊那街道を進む団忠正・河尻秀隆・大谷吉継等率いる軍勢も、須藤達同様、戦となることなく進んでいた。
「……武田勢は討って出てこないんですかねぇ」
忠正が不満そうに呟く。
「油断するなよ忠正。……吉継よ、我等はこの後どの様に動けば良いか?」
忠正を注意した河尻が吉継に尋ねる。
吉継は少しばかり考えると、
「……街道を其の儘。……滝沢を目指します」
と返答する。
だが、この後彼等は驚くことになる。
滝沢を治める領主下条を追い出し、その家臣達が織田に降るなど、夢にも思っていなかったのである。
同時に、どれ程武田が追い込まれているのか、それを実感したのだ。
その後、下城氏長等が団等を招き入れた数日後には松尾城城主小笠原信嶺も織田軍に寝返ったのだった。
一方武田から織田に寝返った武田一門衆だった木曾義昌は救援に駆け付けた徳川軍と共に勝頼率いる武田軍と鳥居峠で相対した。
未だ屈強を誇る武田の騎馬軍団はその速度で以て織田軍に襲い掛かった。
だが、徳川軍も本多忠勝等を筆頭に武勇優れる者達が集まっている。
それに加えて織田軍から鉄砲部隊が派遣されており、騎馬部隊に接近を許さない。
武田の兵達も、訓練された兵は兎も角、足軽達は鉄砲の音を聞くだけでも身体を震わせ、腰を抜かせる。
それに加えて忠誠高く、死を恐れぬ三河武士の攻勢で、散々に打ち破られた武田軍は這う這うの体で逃げ出した。
美濃 岐阜城
「――森衆、木曾口を抜けて飯田に向けて進軍! 団衆も武田を離反した下条・小笠原の手引きによって信濃を侵攻中!」
徳川と木曾が武田軍と戦闘を始める数日前。
未だ岐阜城にいた信重と半兵衛・官兵衛は、須藤が各地に伝令役として放っている忍の報告を聞いていた。
「まさか無傷で信濃を抜けられるとはな。……では、我等も出陣するとしようか。半兵衛・佐久間。留守は任せるぞ」
「「――はっ!」」
頷く二人に頷き返し、信重は目の前で並ぶ自軍の兵士達を見、信重隊の”軍監”を任された官兵衛に指示を出す。
「――官兵衛、差配を任せる」
「御意。――”朝敵”武田を今こそ討つ! 先ずは飯田に入り、その後高遠城を攻略する! ――出陣!!」
官兵衛の指示で兵士達が進軍を始める。
目指すは合流地点である、武田家親族衆である仁科信盛・佐久間郡内山城城代の小山田昌成・大学助等が詰める高遠城だ。
信濃 大島城
信濃の大島城では、”古典厩”武田信繁亡き後の武田家一門衆筆頭であり、信玄存命時は信玄の影武者を務めていた武田信廉等は、戦意を失っていた。
信濃を守る武田軍から相次いで離反者や逃亡者が出た為である。
関門を守る下条の当主は追放され、下条家家老の下条氏長等が織田に降り、それに追従する様に松尾城の小笠原も降伏し、最早戦線は維持出来ず、更には織田が目指す飯田城を守る飯田城主保科正直は城を捨てて高遠城へと逃げ出したという報せが、それに拍車をかけた。
「……最早兄上が存命の頃が如き勢いは武田にはない。……ここはむやみに戦って散るより、殿等と合流して甲斐国内で抗戦するべき、か」
信廉がそう溜息を吐くと、周りの将達も同じ様に顔を伏せる。
「……何故”日ノ本最強の軍”と謳われた武田がこの様な……」
誰かがそう呟いたのを切欠に、次々と将達の口から落胆の言葉が零れる。
「――跡部・長坂等を止めておれば良かったのだ。……あの者達が殿を誑かした故に、この様になったのだろうに」
一人が、そう忌々しそうに呟く。
「今更何を言っても遅かろう」
一人が、そう嗜める。
「……御館様になんと誤れば良いのか」
一人が、申し訳なさそうに目を伏せる。
「……かくなる上は最期まで戦うのみよ」
一人がそう静かに口にする。
彼等は信玄の代より武田家に尽くす忠臣達だ。
だからこそ、今の状況を悲しみ、そしてそんな状況にさせてしまった己等の無力さを呪った。
だが、彼等は信濃勢の様に裏切る事は無い。
例え武田が”朝敵”とされようとも。
彼等が武田家であるが故に。