第百十五話 甲州征伐
1563年 美濃 岐阜城 評定の間 【視点:須藤惣兵衛元直】
「――皆、表を上げよ!」
年開けて1563年の一月。
美濃岐阜城の評定の間には武田攻めに参陣する将達が集まっていた。
俺達以外には、森家から勝三と各務殿、勝三と同年代の若き将である団忠正、信長の姪を正室とする遠山友忠、歴戦の将である河尻秀隆殿・毛利長秀殿・水野忠重殿、付属として丹羽氏勝・氏次父子等だ。
そして上座に座るのは――
「私が父の名代として、この戦の大将を務める事となった! 皆、宜しく頼む」
そう言って頭を軽く下げる織田家嫡男、織田信重。
そう。信重様が大将なのだ。
恐らくは次期当主としての箔をつける為だろう。
勿論、後から信長率いる本隊も来る。
其方は明智殿や細川父子、筒井順慶殿に丹羽殿、堀殿、高山殿、中川清秀殿、松永父子も加わっている。
取り敢えず信長からは『遠征だから兵数は少なくした。兵糧の数に気を付け、また敵に数が多く見える様にせよ』との無茶ぶ――書状が届いている。
「――そして”軍監衆”、佐久間。我等が来る間、美濃の守備苦労であった」
「「「「――はっ!!」」」」
「――では、これより軍議を始める! ”軍監衆”、皆に説明せよ」
「――はっ」
代表して”軍監衆”トップである”軍監”の半兵衛のみが返答し、将達に説明を始めた。
「此度は多面からの同時侵攻で武田を押し込めまする。先鋒は森殿、団殿、遠山殿にお任せします。――森殿は木曾口から、団殿は伊那街道より信濃に攻め入られますよう。森殿には須藤殿を、団殿には吉継を”軍監”として付けまする。河尻殿は若い両将の目付けとして先鋒隊後方をお任せしまする」
「「「――はっ!」」」
さて、勝三と共に先鋒を任されたこの団忠正。史実においては信濃の高遠城攻めにおいて勝三と共に命令を無視して信長に叱責されたにも関わらず、この九日後に勝三と共に勝手に兵を進ませ、戦闘に及んで再び叱責されるなど血気盛んな性格をしている若者だ。
武勇に優れているのは良いんだが、勝三と同じで敵がいたら突撃する猪みたいな奴である。
吉継ならば制御出来る……と思いたい。
無口かつマイペースな吉継が血気盛んな連中に命令出来るかと言われれば、若干疑問だが。
勝三の方は大丈夫だ。
アイツ、何故かは知らんが信長と信重様、そして俺の言う事だけは聞くからな。
「信濃木曾谷の木曾義昌殿には鳥居峠を攻め入る様に指示をだしております故、先鋒隊は其の儘飯田まで攻め入りなされ。”軍監衆”の差配に従って頂ければ、確実に勝てましょう」
織田軍は今回、多方面から攻め、その後合流する手順となっている。
徳川は木曾義昌と合流しているので、将兵が疲労している状態の木曾にとっては良い援軍だろう。
更には飛騨から金森可近、関東からは北条氏政、遠江からは今川氏真が攻め入る。
一方、武田と上杉の最前線であり、現在は武田家臣”逃げ弾正”こと高坂昌信が城主となっている海津城には、越前衆を向かわせる事となっている。
上杉も動くだろうが、なるべくならば織田勢で落としたい。
なので、織田勢の中でも武勇優れる”柴田軍団”に任せる事となったのだ。
半兵衛が話し終わったのを見計らって、信重様が立ち上がり、諸将を見回す。
「――武田が滅べば、一層織田の天下が近付く! 皆、その力存分に振るってくれ!」
「「「「――はっ!!」」」」
甲斐 躑躅ヶ崎館
一方の武田も、戦支度は整え終わっていた。
上座に座る勝頼が、将達を見回し、叫ぶ。
「――我等は先ず叔父上のいる大島城を目指し、鳥居峠へと向かう! 良いか!」
「「「「――応!!」」」」
家臣達が揃ってそう答える。
しかし、
「――殿! 今は雪の酷い時期、我等にとって不利に御座います! ここは抑えて下され!!」
「然り! 織田・北条・今川・徳川を同時に相手にするのは流石の我等でも不可能! ここは北条と今川と和睦を結び、織田との仲介を頼み、国を富ませる事に注力するべき――「黙れ!!」」
信玄の代より武田家を支えてきた馬場信春と内藤昌豊、そして幾人かの将が勝頼を諫めようとするが、勝頼は一喝して黙らせた。
「――最早今川・北条と和睦をするなど、末代までの恥となろう。増して織田と和睦する等、父や死んでいった者達に顔向け出来まい。――屈強なる我等武田! 最後の一兵になろうとも、裏切り者の木曾を根切りにし、織田を滅ぼす! 志半ばで死んだ我が父信玄と御先祖様方、そして御旗・楯無に誓って!!」
甲斐武田の家宝である御旗・楯無。
その言葉を出されてしまえば、馬場達であっても反論出来なかった。
「――この日ノ本に武田有り! 今一度、それを知らしめん!!」
「「「「――おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」