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第百十四話 勝利と返答

 1562年 美濃 山中



 その後も、断続的に奇襲が続いた。

 武田軍は止むことのない織田軍の奇襲に、すっかり参っていた。

 ただでさえ先の戦で鉄砲の恐ろしさを痛感し、鉄砲の音がトラウマとなっているのだ。

 それが断続的に続くのに加え、忍達による度重なる嫌がらせ。

 しかも、鉄片を仕込んだ炮烙玉や、それに驚いて暴れた馬によって死者も出ており、その数は少なくない。

 どれ程の敵がいて、誰が指揮をしているのか等、最早誰も頭には思いつかなかった。

 ただ――『死にたくない。自分だけでも助かりたい』。

 そんな思いが、頭の中を占拠していた。

 そして、ここにきて武田軍先遣隊大将である長坂や跡部等も、すっかり逃げ腰となっていた。


「――て、撤退だ! 撤退するぞ! 退け! 退けぇーっ!!」


 長坂の声に、それまで懸命に耐えていた武田軍の兵士達は我先にと引き返し始める。

 最早統率など取れておらず、将も兵も関係無しに全速力で信濃方向へと散らばりながら逃げ出した。

 だが、そうなってしまえば忍や”雑賀衆”達にとっては格好の獲物だ。

 信濃・甲斐方向へと逃げる度に、その数が減っていく。

 秋山の居城へと戻って来た時には、無事な兵士は三割程度だった。

 後の五割の兵士達は大なり小なり怪我をしていた。

 結果としては大惨敗。

 本格的な戦になる前に、武田は敗北を喫したのだ。

 長坂・跡部の両名は敗北の責任を秋山に押し付けると、無事な兵士達を率いて即座に甲斐の躑躅ヶ崎館へと帰還していったのであった。





 美濃 岐阜城 【視点:須藤惣兵衛元直】



「――やー疲れた疲れた!」


 そう言って”軍監衆”に割り当てられた部屋に入って来た俺を、半兵衛達が出迎えてくれる。


「おや、お帰りなさいませ須藤殿。勝利した様で何より」


「長坂と跡部は逃げ帰った様ですな。残された秋山が哀れですが……」


「……見事」


 うんうん。誉め言葉が心地良いなぁ。


 俺が岐阜城に戻ってこれたのは、武田を撤退させてから四日後の事だった。

 今回戦ってくれた者達を集めて再び甲斐に向かわせたり、少ないが死んでしまった者を弔ったり、その部隊の補充をしたり、城各地に出向いて状況を確認したり――という事を、大雑把にやっていたのだ。


 さて、そんな事もあった後、織田本隊の到着を待っている最中、協力を要請した上杉からの返答が届いた。

 返答の結果は――”是”。

 武田領への侵攻を約束してくれた。

 ……正直言ってしまえば余り期待は出来ないが、とりあえずは武田包囲網が完成したと言って良いだろう。

 後で兵を仕向けても良いし。


 徳川に任せていた木曾谷だが、史実通りに木曾に連なる者――義昌の嫡男である千太郎や長女の岩姫等――の数名が武田軍によって処刑されてしまったらしいが、当主である木曾義昌は無事であった。

 木曾谷に侵攻してきた武田一門衆である武田信豊の軍勢を、徳川の援軍と共に撃退したのだそうだ。


 その数日後、木曾義昌は自らの弟である上松義豊を寝返ったという証拠として差し出してきた。

 これで木曾は確実に織田方となったのだ。


 年が明ければ織田の本陣が到着する。

 とうとう武田を滅ぼす準備が整うのだ。

 既に今川・北条・徳川・上杉の四家には織田が攻める時期を伝えてある。


 武田滅亡までのカウントダウンは、刻々と進んでいた。





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