第十話 ”東海一の弓取り” 今川義元
自分の不勉強さに今更ながらもっと勉強しとくんだったと思うこの頃。
指摘してくださることに感謝はありますが指摘される度に「あぁ、自分って全然知らないんだな」などと思っております……。
ベンキョウニガテ。
……まぁだからと言って書くのをやめるわけでもないのですが。
尾張国 中嶋砦 ある一室 信長出陣の直前
丸根砦、鷲津砦を落とした今川方の次の標的となった中嶋砦に詰める佐々政次 (佐々成政の長兄)、千秋四郎季忠等三百余の兵達は信長出陣の報せを聞き、意気上がっていた。
この佐々政次は”小豆坂の戦い”で功を得た勇士達”小豆坂七本槍”に数えられる勇将であり、千秋季忠も熱田神社の大宮司という位にいながら、既に故人であり、同じく大宮司だった父季光と同じく信長に武士として仕える程の”変わり者”であった。
「殿が御出陣なさるそうだぞ四郎殿!」
「おぉ、政次殿! 流石殿ですな!」
二人共々、既に直也が考えた策を信長からの書で先んじて伝えられており、彼等もまた、己の任に準じようとしていた。
「……四郎殿、某はこれより客将殿の策に従い今川方に討って出ようと思うが……貴殿は如何様か?」
彼等に与えられた任務は今川勢を油断させる事と、信長が今川本陣に接近する為の時間稼ぎだ。
丸根と鷲津を抑えた朝比奈・松平の大軍を相手にたった三百の兵で相手取るのである。
実質、「死ね」と言っているにも相応しいモノだ。
覚悟を決めた顔で問う政次に、四郎は笑って答えた。
「無論、某も共に参りましょうぞ」
「……良いのか?」
もう一度覚悟を問う政次の言葉にも、四郎の表情は変わらない。
「えぇ。……我が父季光も加納口での戦で先代様が為討死を致しました。某も父の様に、殿が為、死にとう思いまする。……なぁに、大宮司の役は妻と、その腹におる子が継いでくれましょう。……政次殿こそ、佐々家の嫡男でありましょう? 宜しいので?」
四郎の言葉に、政次も晴れやかな笑みを湛え、頷いた。
「この戦は殿が天下を征する為の大きな一歩よ。その礎となれるならば本望よ! それに佐々家には優秀な弟、内蔵助や我が子清蔵もおりますれば、憂いなどありはしませぬ」
そう言うと政次は部下に、
「これより討って出る! 殿が為、その道を斬り開かん!」
そう言うと、
「では、精々暴れてやると致しましょうか。四郎殿」
「えぇ、油断しきっている奴等を、更に付け上がらせてやりましょう」
二人は笑い合いながら、共に部屋を出て行く。
その顔に浮かんでいたのは、実に晴れやかな笑顔だった。
尾張国 桶狭間山近辺 今川軍本隊
「報告致しまする! 丸根砦と鷲津砦を落とした松平、朝比奈の両軍が中嶋砦も落としたとの由!」
「おぉ、泰朝 (鷲津砦を攻めた朝比奈泰朝の事)も元康 (後の徳川家康)もよぅやりおる、の。これ程までに勝っておると心地よい、の。……では、麻呂等も臣下の戦働きを誉める為に、そろそろ出ようか、の」
大高城へと向かう道中で立てた陣の中で、臣下からの報告に、今川家当主今川義元とその家臣達は大変気を良くしていた。
今川義元はお歯黒、置眉、薄化粧とまるで公家の様な出で立ちであり、後世では貴族趣味に溺れた人物であったと言われる事も多いが、この出で立ちは守護大名以上にのみ許されるもので、家格の高さを示すモノである。
戦場にあるその姿は豪奢な装飾の鎧に、龍の頭が付いた兜を被った、武家の頭領としては何の遜色も無いモノだ。
「義元様、これより我が軍は桶狭間山へと入り、大高城へと向かいまする。道中、厳しいものとなりましょうが、急がせましょうか?」
部下の質問に、義元は首を横に振る。
「良い良い。山中を通るに加えてこの雨。馬に乗るソチ等は兎も角、兵士達も疲れよう、の。道中で休みを入れてやろう、の」
「――畏まりました」
一斉に頭を下げる家臣達に「ホッホッホ」と笑いかけ、
「では、”尾張の大うつけ”の顔を拝みに参ろう、の。……ゆっくりと、の」
”東海一の弓取り”はそう言った。




