第九十五話 謀将
この作品以上に年齢考証がデタラメな作品は無いのではなかろうか……。
何時か絶対自分に返ってくる気がしてます。
……既に返ってきてる気がしますが。
備前の謀将、”戦国三大悪人”として松永と共に名を連ねる宇喜多三郎右衛門尉直家は、浦上家家臣である宇喜多興家の子として生まれた。
だが、祖父である能家が同じく浦上家家臣島村盛実によって暗殺されると、父興家と共に放浪の人生を送った。
その後、成人した後に備前国の守護大名であった浦上宗景に仕える様になると、その頭角を現し始めた。
策謀に長けた直家は、祖父の復讐にと島村盛実を暗殺したのを皮切りに、舅である中山信正を謀反の疑いありとして殺し、宇喜多直家の侵攻を食い止めていた松田氏家臣、龍口城主樶所元常が男色好みと知るや、自身の小姓である岡清三郎を刺客として送り込み、これを殺害する等、浦上氏の勢力拡大に中心的な役割を果たすと同時に、その権威を拡大していった。
その後も、美作国へ進出してきた備中の三村家親を顔見知りであった阿波細川氏の浪人である遠藤俊通・秀清兄弟を利用して鉄砲で暗殺。
姻戚関係にあった金川城主の松田元輝・元賢親子、岡山城主金光宗高等を没落させ、その所領を自らの物とする等勢力を更に拡大、浦上家随一の実力者にまでのし上がった。
そしてとうとう彼は反旗を翻す。
義昭の要請を受けた信長、西播磨の赤松政秀と結び、主君浦上宗景と、当時政秀と敵対関係にあった赤松義祐と、その家臣である小寺政職、小寺姓を名乗っていた官兵衛等と敵対した。
だが、赤松政秀が官兵衛父子に敗北、逆に宗景は政秀のいる龍野城を攻めて降伏させてしまった。
それにより完全孤立した直家は宗景への降伏を余儀なくされ、一度は特別に許され、帰参も許されている。
だが、最近になって宗景からの独立を狙い、小寺氏の預かりとなっていた宗景の兄浦上政宗の孫久松丸に眼を付け、小寺政職に備前入りを打診、これを擁立して宗景に再度反旗を翻したのだ。
直家はそれまで雌伏の時を過ごす中でも調略を止めず、美作や備前国内の離反を続出させると、宗景の犬猿の仲であった安芸の毛利と手を組み、宗景の腹心であった明石行雄等重臣達を内応させ、宗景を播磨国まで退かせ、備前のみならず備中の一部、美作の一部にまで支配域を拡大させた。
だが、依然として宗景一門の勢力が残っており、一門である有馬の浦上秀宗等も密かに連絡を取り合い、備前に潜伏する旧浦上家臣団達による蜂起に悩まされていたが、終にこれを領内から放逐、宇喜多直家は備前の国の支配権を完全に得た。
「――というのが、現在の状況に御座います」
信重様を筆頭に、諸将を集めた軍議の場で、俺は話を一度そこで切って、深く溜息を吐いた。
現在の備前の国の状況と、その黒幕を説明するだけでも一苦労だ。
それでも、相手の事を、事情を把握する事は必要だ。
「……ふむ。成程」
「主家に仇成す……か。それでも成功させたんだから大したもんだ」
「ふーん……良く分からね」
三者三様の反応を見せるが、長可、少しは考えろ。
「婚姻関係にある家柄であろうと殺害する事から、様々な要因で家臣となった者達からは恐れられておりますが、一方で旧臣達からの信頼は厚い故、調略はそう簡単では無いでしょう」
宇喜多直家は後世においても悪人と言われている事が多いが、信長や秀吉、家康等も行ったであろう家臣の粛清は無く、暗殺等の実行者達も使い捨てずに厚遇し、葬った者に対しても手厚くした、等という一面もある人物だ。
故に、譜代の家臣達は直家を終生支えたのだという。
「なれば、抵抗もありましょうが、本隊と別動隊による挟撃と、逃げた敵への奇襲部隊による奇襲。それが最善かと」
「……なら、本隊は私がいるべきだろうな」
信重様の言葉に、俺は頷く。
「然り。……故に、本隊は信重様を大将に、長可・秀長。別動隊を三左殿にお任せしたい。某は”雑賀衆”を率い、奇襲部隊として動きます。――では信重様」
「うむ。――では皆、宜しく頼むぞ!」
「「「「――はっ!!」」」」
随分次代らしくなったもんだ。
これなら信長の跡を継いでも大丈夫だろ。