第九十一話 京への帰還
翌日、俺と与一郎殿は能登七尾城を出立、一路越前丸岡城に向かう事にした。
「……そう言えば、気付いておられましたかな?」
のんびりと馬上の人となった与一郎殿が、ふと俺に聞いてきた。
「……何がだ?」
思い当たる事が思い浮かばなかったので、俺は素直に与一郎殿に聞き返す。
「輝政公に御座いますよ」
それを聞いて、俺は行人包で素顔を隠し、上段の間に座っていた輝政公を思い出し、
「……成程、影武者の事か」
上段の間に座っていた輝政公。
信長を含め、氏真公、家康殿等、皆の頭に立つ頭領には覇気を感じるモノだ。
まぁそれぞれ『頭領としての在り方』が違うだろうが。
だが、その姿には噂に聞く程の覇気が無かった。
あれが”軍神”とも称される”越後の龍”……な訳が無い。
寧ろ、周囲にいた家臣達の方が雰囲気がある。
「……拙者等は警戒されていたようですなぁ。悲しき事です」
言葉とは正反対に、全く悲しく無さそうな、寧ろ楽しそうな笑みを浮かべる与一郎殿に、俺は呆れる。
「何を当然な事を。……与一郎殿のその胡乱さがにじみ出てたんだろ」
「これは異な事を。これ程清廉潔白という言葉が当て嵌まる拙者が胡乱などと。……小谷の焼き討ち然り、荒木攻め然り、あの様な手管を使った惣兵衛殿を警戒しておられたのやもしれませぬぞ」
「いやいや、信頼厚き幕臣にも関わらず公方を裏切った与一郎殿の方が」
「いえいえ、惣兵衛殿の方が」
「……」
「……ふむ」
俺と与一郎殿は顔を見合わせ、暫く黙り、
「「……では、一番胡乱なのは弾正 (殿)と言う事で」」
そんな結果で一致した。
与一郎殿は胡散臭さと嘘臭さ前回の笑みを浮かべて笑っている。
え? 俺も意地悪そうに笑ってるって?
こんな人の良い人間を差して失礼な。
一番胡散臭いのは松永だろうに。
1561年 十月 京 二条御所
その後の処理を色々と行った俺と与一郎殿は、越前に残る柴田殿等に別れを告げ、一先ずは京に戻った。
越後と和睦を結んだことを信長に報告して、京や中国側の状況を聞く。
聞けば、前戦として毛利水軍と九鬼嘉隆率いる九鬼水軍を筆頭とした織田水軍の戦は、九鬼嘉隆が考案した”鉄甲船”のお陰もあり、織田が勝利した。
播磨の国も、官兵衛の仲介により織田方に味方する事になり、有利に動いている様だ。
現在は備中の高松城を包囲しているのだそうだ。
京――というか、近江では、近江の琵琶湖東岸にあった目賀田山にある観音寺城の支城である目賀田城の改築を始めたらしい。
完成は恐らく三年後。
天下統一後にも使う事を考慮してか、政治的な意味合いの強い城になるそうだ。
俗に言う、”安土城”である。
……けど、歴史の流れが速いんだよなぁ。
石山本願寺や比叡山延暦寺等史実において信長を苦しめた勢力の殆どと争ってないからこその速さなのだろうが。
だが、そうなると起こるかどうかわからないあれも近付いてくる。
”本能寺の変”。
それがどうなるのか、まだわからない。
三河 岡崎城
「そうか、越後とは和睦を結んだか」
草から報告を受け取った徳川家康は、安堵による大きなため息を吐いた。
家臣団達も、どこか安心した様な顔である。
「……信長殿は今や”天下人”となるにも近い。日ノ本が織田の下で一つとなる日も近かろうな」
「――それはどうでしょうな」
だが、家康の呟きに対して、意見を唱える者がいた。
「どういうことだ正信」
意見を唱えたのは本多正信。
鷹匠より身を興し、家康の家臣となるも、国内での一揆の際に徳川より離反し、一揆勢に付いた事で一度は追放されるも、姉川の戦いの後に帰参を許された将である。
武勇優れる三河武士の中でも珍しい武勇拙い文官肌の人間である。
「――黙れ裏切り者が!」
「貴様が意見する等言語道断だ!」
発言しようとする正信に向けて、家臣達から非難の声が飛んでくるが、それを気にした様子も無く、
「……信長公の成す”天下統一”。それは”真の静謐”となりえるのか、と」
「……どういう事だ? 申して見よ」
正信の言葉に、今まで彼を罵っていた将達も怪訝な表情を浮かべる。
家康も、何が問題があるのかと聞き返す。
「信長公の手腕、それは真に見事。武にはより強大な武で討ち勝つ。……それはそれで手法の一つ。なれど、幾ら”七徳の武”等と嘯いたとて、所詮は”武”。力で押さえつければ、必ずやその報いがありましょう。……真の”太平”は、理を正し、法によって統制する”文による統治”ではないかと」
「……それは」
その言葉に、家康は言葉を失う。
確かに、敵対する者はその多くが滅びたり、衰退している。
朝倉、浅井、六角……そして将軍家。
だが、領土を拡大すればする程、織田に恨みを持つ者も多い。
朝倉や浅井、六角、三好、そして将軍家やその臣下の生き残りや、織田に押さえつけられ領地拡大を止められた長宗我部や武田。
皆表には出さないが、織田憎し、という感情はどこかあるだろう。
恨みを持つ者は、織田の傘下になど簡単には入らないだろう。
武による統一は、余計な反乱を生む。
それでは、いつまで経っても乱世の儘だ。
「……厭離穢土。それを成せるは、殿だけです」
正信のその言葉に、桶狭間の時に己が誓ったモノを思い出す。
戦の無い太平の世を、この手で掴んでみせると誓ったあの時を。
「殿、我等三河武士、命ある限り――いや、死した後も守護霊となりて、殿の意志を果たして見せましょう!!」
そう言って立ち上がったのは、重鎮である酒井忠次。
「左様。殿の為なれば、我等三河武士の武勇にて、例え日ノ本全土を敵に回したとて、勝って見せまする」
忠次に同意し、声を上げたのは後世では忠次と共に徳川四天王に数えられる榊原康政。
そして、その隣に座っていた精悍な顔つきの大男も立ち上がる。
「――殿の敵なれば、如何なる者であろうと、例え信長公であろうと、この”蜻蛉切”にて討つ所存」
徳川家随一――いや、戦国随一の武勇を誇る”東国無双”本多忠勝。
彼等側近達に負けぬと、その他の家臣達も声を上げながら立ち上がる。
「……殿。我等三河武士は殿こそが天下を取る御仁だと信じております。武田でも、上杉でも、北条でも、今川でも……織田でもない。この日ノ本に静謐を齎すのは殿に御座りまする」
「……」
家臣達の忠誠に、信頼に、応えねばなるまい。
家康は、目の前の光景を見て、そう思った。
そして、彼の脳裏には、人々が笑って暮らす太平の世が見えていた。
人々が法によって守られ、娯楽に興じては笑い、童子等も安堵の表情で母親に抱かれ眠っている。
乱世には無い、”真の安寧”。
あぁ、これこそが自分の目指すべきモノなのだ。
そう家康は夢想する。
そして、夢想しながらも、家康もまた立ち会がり、
「……無論。私もまだ諦めてなどおらぬ。必ずやこの手に、天下を! 天下の太平を!!」
そう言って腕を天に突きあげる。
「「「「――おおおおおぉぉぉぉぉ!!!」」」」
それに呼応して、家臣達も腕を天に突きあげた。
盲信、狂信とも言える程の忠誠心を見せる家臣達の声は、三河全土まで響き渡らんばかりだった。
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