第八十六話 中国侵攻・越後侵攻
メインは基本的に越後側です。
漸くクロスオーバー出来る……。
待って頂いた方、お待たせいたしました!!
1561年 九月 京 【視点:須藤惣兵衛元直】
織田軍は、中国と越前の二面に軍を同時展開した。
毛利は、隠岐や美作を領地とした尼子と戦っていたが、これに勝利、その領地を吸収したが、尼子氏の残党が、織田に救援を求めてきたのだ。
織田軍はこれを受け、秀吉を大将に、阿波の三好・摂津国人衆、明智衆、同盟関係にある長宗我部、今まで出番の無かった伊勢の九鬼水軍、“根来衆”や石山本願寺、延暦寺の僧兵達を向かわせた。
一方、越後に対しては、柴田殿等を送ると同時に、調略として、上杉と同盟にあった畠山の家臣である長続連に、『能登一国の領地の代わりに、七尾城に入るのを手助けせよ』と書状を送った。
続連からは了承したという返事が返ってきた。
暫くして、俺の元に長続連が親織田の将達と共に、主君畠山を城から追い出した、という報告が入ってきた。
だが、問題はこれからである。
この流れからすると、恐らくはこれから始まるのは“手取川の戦い”だ。
織田信長と上杉謙信が相対した唯一の戦だ。
圧倒的に有利な兵力で挑んだにも関わらず、秀吉の離脱に加え、雨により火器が使えず、更に油断によって夜襲を受け、敗北した戦。
だが、油断せず、時期を見ていれば勝てた戦のはずだ。
「あー……半兵衛と官兵衛帰ってきてくれねぇかなぁ」
しかし、残念ながら、現段階では俺は関わることが出来ない。
半兵衛と官兵衛が中国に調略の為向かってしまっており、“軍監衆”のトップ二人がいないので、その代わりを俺がやっているのだ。
故に、一日の半分以上を京の御所で机に向かっている。
そんな膨大な量の仕事のお陰で、柊殿や息子である吉千代が寝静まった後に帰宅している。
“軍監衆”も半兵衛達の補佐と京とで二手に別れており、手が足りているとは言えない。
こんなんだったら、普段から半兵衛達に仕事を教えといて貰うんだったと、今更ながら後悔している。
……というか、二人して行かなくても良いじゃん。
何故二人して中国に行くんだよ……。
更に、普段半兵衛と官兵衛が行っている仕事に加え、信長への報告や、武田との戦に協力してくれた今川や徳川への感謝状と、物資を届けたりという仕事もあり、直ぐに離れられないのだ。
なので、俺に出来るのは、柴田殿に『決して油断しませぬよう』と、忠告する程度だ。
この戦は、史実では二千の兵が死んだと言われている。
どうにか、柴田殿等に勝って欲しい。
そう願うしか、俺には出来なかったのである。
1561年 九月中旬 加賀
長続連が追い出した畠山は、同盟関係にある上杉に庇護された。
これで上杉側に、『同盟関係にある畠山の領地を取り戻す』という大義名分が出来た事になる。
一方、それを知った長続連等は織田に援軍を要請した。
織田越後・能登方面軍大将である柴田勝家はその要請を受諾、越後に向けてに侵攻を開始した。
柴田軍は、長続連等が七尾城を奪った事を知ると、総勢四万の兵で梯川・手取川を越え、小松村・本折村・阿多賀・富樫を焼き払いながら進軍した。
だが、彼等は知らない。
七尾城が、既に上杉方に落とされている事を。
上杉に仕えている忍によって、その情報が握り潰され、偽の情報を掴まされている事を。
武田を破り、浅井・朝倉を討ち、将軍を弑した事で、知らずの内に、己の心の中に満身が生まれていた事を。
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