それぞれの明日へ
森の中を目的もなく、一真はさまよっていた。
あてもなく、ただ歩き回る。
魔眼に支配されていると言っても心を失った一真の精神とは拮抗している状態であり、頭の中は混乱状態であった。
そして……その森の中を歩く、もう1つの影……
その者は記憶を失い、帰る場所も分からずに森をさまよい歩いていた。
その森の奥深くで、巨大な木に突き刺さっている1本の槍を見つける。
記憶を失っている男は、無意識に槍に手を伸ばす。
大木から引き抜かれた槍は神々しい装飾を纏い、如何なる物も貫く程に鋭い。
「これは……なんと神々しい……」
その手に握られた槍は、その者の言う通り神秘的な存在感がある。
その槍……グングニールは、先程までの戦闘でロキの手に握られていた物だった。
一真に弾かれたグングニールは、森の奥深くまで飛んでいた。
ロキがオーディンの姿を失った事で、ロキの作成したグングニールは所有者を失っている。
記憶を失い、ただ森に入り込んでいた男……シェルクードは、その槍を見つけた事に運命を感じた。
「この槍……神器だとすれば、この為に記憶を無くしたに違いない。何も分からなくなった時は、絶望もしたが……まだツキはありそうだ」
ガヌロンによって記憶を失ったシェルクードは、自分が何者で、何の為に生きているかさえ分からなくなっていた。
「コイツを使い熟して、出世してやる。記憶を失う前の私が何者かなんて、もはやどうでもいい。とりあえず、近くの国から自分を売り込みに行ってみるか……」
手に馴染む槍を数回振り回し、シェルクードは自信に満ちた顔をする。
記憶を失ってから、盗賊やヨトゥンに何度か襲われた。
しかし、その全てを退けてきた……自分は強い……その確信に加えて、神器のような槍を手に入れた。
どの国の騎士団にでも入れるだろう……シェルクードは、自分の明るい未来を想像し笑みがこぼれる。
その時、シェルクードは人の気配を感じた。
手に入れた槍を試すのに丁度良い。
シェルクードは槍……グングニールを振り回すと、気配のある場所にひと突き……高速の突きを見舞う。
が……全く手応えを感じない。
次の瞬間には凄まじい程の衝撃が身体を襲い、槍の突き刺さっていた大木に叩きつけられていた。
倒れ込んだシェルクードは、自分を見下ろす赤い瞳の男の存在に気付く。
「強い……何者だ?」
「不意打ちで、この程度か……殺すにも値しないが……今は気が立っている。殺しておくか……」
赤い瞳からは、人の温かみは感じられない……人の命など興味が無いのだろう……無表情で剣を振り下ろそうとする。
「ま……待ってくれ! あんたの強さを見込んで頼みがある! 私と一緒に、成り上がらないか? こんな森の中で殺し合う……そんな下らない事で力を使うのは勿体ない!」
シェルクードはある事を思いつき、必死に命請いをする。
その必死さと言葉を聞いて、赤い瞳を持つ男……一真の手が止まった。
「ふん……面白そうだな。国を攻め落とすか? それとも、大量虐殺でもするか?」
「そんな事をしても、面白く無い。 私達で国を作るというのはどうです? 下僕共を従えて、神も人間もヨトゥンも、我々の元に平伏せてやりましょう。あなたの力があれば、それも可能です」
確かに、頭を平伏す者を見下すのは気分が良い……シェルクードが下僕のように自分の足元に這いつくばりながら、必死に提案する姿に一真は笑いが込み上げて来た。
シェルクードが……というより、ロキが持っていたグングニールを使う者が平伏している姿が、無意識に気分が良く感じたのかもしれない。
「いいだろう……だが、つまらなければ貴様を殺すぞ」
「大丈夫です……お任せ下さい。私に良い考えがございます」
そう言うと、シェルクードは森の更に奥へ一真を導いて歩き始めた。
「ホントに……その、元の世界ってトコに帰っちゃうの?」
「ああ……ゼーク、世話になったな。初めて出会った時から、助けられてばっかりだった……見ず知らずの俺達の事を、本気で守って……心配してくれて、ありがとな!」
ベルヘイム遠征軍は、ベルヘイム国へ後退を始めていた。
当初の目的であるバロールを倒し、フレイヤを奪還した遠征軍は、退路を断たれる前に大急ぎで後退を開始する。
ベルヘイムに戻る途中で湖に立ち寄った遠征軍は、そこで航太達と別れる事になった。
そう……この湖は、航太達が最初に神話の世界に入った場所だ。
航太達は一度自分達の世界に戻り、自分達の出生の秘密や神話について詳しく調べる為、元の世界に戻る事を決めた。
それに文明の発達した自分達の世界なら、心を失った人を戻す方法……心を失うという事と類似した症状を探し、その治療方法さえ分かれば一真を元に戻せるかもしれないという淡い期待もある。
「ゼーク……本当に、ありがとうね! ゼークがいなかったら、私達ここに立ってなかったかもしれない……」
「そだねー……智ちん捕まった時も、一番心配してくれてたもんねー。ホントに、大感謝だよー。この世界にも、携帯あったらイイのにねー」
携帯と聞いて、ゼークは携帯用の非常用袋を取り出して見詰める。
その姿に、大きな笑いが起きた。
「ゼークしゃん、馬鹿でしゅねー。携帯って言うのは、携帯電話の略なんでしゅよー! で、携帯電話というのはでしゅね、こう……パカッて開いて、モシモシ……でしゅ~って話をするでしゅよー」
「なるほど……馬鹿はお前だ、脳みそ溶けてるアヒル野郎! 何時の時代の話をしてやがる! てか、説明すんじゃねぇ! 話がややこしくなる!」
ガーゴの頭を3回程殴った航太は、そのまま尻尾を掴んでクルクル回す。
そして放り投げた……先にはアクアがいた。
ぽよーーーん
と、気の抜けた音がして、アクアとガーゴの頭が激突した。
「痛いにゃ! ニャにしてくれてんのよ、ばかアヒル!」
「ガーゴじゃないでしゅ~、アクア目掛けて投げたの、航太しゃんでしゅよー。ガーゴを投げる時、くたばれ化け猫! って言ってたでしゅよー。あー、頭痛いでしゅ~」
頭を抱えながら航太を睨む2匹に、航太は思わず言ってしまった……
「いや……今の、痛かったのか? 痛そうな擬音は聞こえなかったんだが……」
…………
「ほれみろーでしゅ! アクアしゃん、分かったでしゅか? これがコイツの正体でしゅよー」
「サイテーな男だニャ。とても、バルデルスに思いを託された人間とは思えニャいわ! こんなクズの為に、バルデルスは……」
言われの無い攻撃に、航太は後退りする。
「はぁ……この展開、いい加減飽きない訳? 航ちゃん、アクアとガーゴで遊ばないで! 面倒臭いんだから!」
「いや……遊んでる訳でもねーし……てか、ガーゴは絵美の魂の情報入ってんだろ! 何とかしろよ!」
航太と絵美のやり取りを頭を抱えて見ていた智美の肩を叩き、笑いながらオルフェが2人に歩み寄った。
「航太、もしベルヘイムを訪れるような事があったら、連絡をくれ。ベルヘイムの騎士養成所に入れるように手配してやる。まだ決定ではないが、12騎士の選抜試験を行うように国王に申請するつもりなんだ。今回、ランカストとガヌロンが命を落とし、12騎士団には空きが2つ出来る」
「ん? 1つだろ? ガヌロンは軍師だったんだから、12騎士じゃない」
キョトンとする航太に、今度はゼークが笑いながら、その肩を叩く。
「軍師ってのは、12騎士の更に上の位よ。ガヌロンの後任は、オルフェ将軍になると思う。そうしたら、2席空くわ」
「で……それと騎士養成所と、どういう関係があるの? まぁ、航ちゃんの剣の腕なら、一回基礎から教えてもらった方がいいかもねー」
そんな事も知らないの? といった顔で笑うゼークの横で、絵美も笑いながら航太に言う。
「オメーも騎士団の仕組みなんて知らねーだろ! 一緒に笑ってんじゃねー!」
「はいはい……でも、絵美の言う通り、騎士養成所と12騎士の話は別物のように聞こえるケド……」
智美の疑問に頷いたオルフェは、そのまま口を開く。
「12騎士の選抜試験に参加する為には、少なくとも見習い騎士以上でなくてはならん。航太なら最短の時間で騎士見習いになれるだろうから、ギリギリ選抜試験に間に合うかもしれん」
「一真の心を取り戻すなら、まず一真を探さなきゃいけないけど、その為には国境を越える必要があるでしょ? 国境を越える為には、本当なら許可証が必要になるけど、申請して受領されて……ってしてると、凄く時間がかかっちゃう。でも、各国の上位騎士なら、フリーで国境を超えられるのよ」
ゼークの言葉を聞いて、航太は気付いた。
「オルフェ将軍……俺達の為に……」
「上位騎士が1人いれば、その部隊は国境を通れる。ベルヘイム12騎士なら、まず問題ない。出来るだけ早く、ベルヘイムに来い! 一真に礼を言いたいのは、お前達だけじゃないんだ……だから、出来る限りの協力はさせてくれ」
航太は頷くと、湖の前に立つ。
そして、泣きながら別れの言葉を言う智美と絵美に声をかけ、それぞれ神器を構える。
「オルフェ将軍……俺達は、必ず戻って来る。心の整理がついたら……必ずな!」
神器を振ると同時に、元の世界への扉が開く。
「みんな……ありがとう! またねー」
絵美の言葉は異世界への扉へ吸い込まれ、元の世界の……小田原の海岸に戻って来た。
「戻って……来たな……」
「今度は、自分達の意思で向こうの世界に行かなきゃね……今度戻って来る時は、カズちゃんも一緒に……」
海を見て黄昏れる2人に、絵美が飛びつく。
「私、疲れたー! 横浜のホテルに泊まって行こうよー! 駅前に、夜景が綺麗でカクテル飲めるホテルあるから、とりあえず行くぞー!」
絵美に引きづられながら、航太と智美は電車に乗る。
「確かに、身体臭いね。シャワー浴びたい!」
「しゃあねぇ……泊まっていくか!」
満員電車の中で体臭を気にしながら……普段ならストレスな人との距離が、今は心地好く感じていた。




