凰翼3
「さて……どうするかな……」
額から流れ出す汗をひと拭いしたガイエンの目の前には、通路一杯に犇めき合うヨトゥン兵しか見えない。
そのヨトゥン兵の背後にある吹き曝しの窓の外にはスラハトの町を燃やす火の海が広がり、通路は尋常ではない熱を帯びている。
「ガイエン! 貴様は所詮人間だったな! 裏切ったうえに、こんな無謀な戦いを自ら選ぶとは……つくづく人間とは愚かだな!」
その暑さの中、汗もかかずに憐れむような目でガイエンを見るヨトゥン兵達。
かつての部下だったヨトゥン兵達の視線に、ガイエンは反抗するように鋭い眼光をぶつける。
「無謀な戦いだと? 笑わせる。貴様ら程度の雑魚が何匹いようと、オレの敵じゃねーんだよ! ちなみに、今バロールと戦ってんのはオレより遥に強い男だ。 群れをなして威張っているトコに悪いが……貴様ら全員、今日が命日だな!」
ガイエンが叫び終わるのと同時に、ヘルギが赤く輝く!
その光に包まれたヨトゥン兵達は足が竦み、その顔は恐怖に歪む。
「たあぁぁぁぁ!」
足が竦み震えるヨトゥン兵の集団相手に、ガイエンがヘルギを横に振り抜く……紅く光るヘルギの、赤い閃光が煌めいた。
「ぐわぁぁぁ!」
その一撃で、10人以上のヨトゥン兵が血を吹きながら地面に倒れた。
「う……お……」
言葉を失うヨトゥン兵達。
自分達が思っている以上に、ガイエンの動きが早く……強かった。
「命の惜しくない奴から、かかってきな! ま……全員殺すがな!」
赤い光を発しながら飛び込んでくるガイエンに、ヨトゥン兵はジリジリ後退していく。
ヘルギの力に触れた瞬間、命が無くなるとヨトゥン兵達も分かっていた。
「何をしている! 後ろに下がり過ぎるな……窓から下に落ちるぞっ! 敵はたった1人、距離をとって攻撃しろ!」
列の後方にいるヨトゥン兵から、声が上がる。
その声に応じるように、ヨトゥン兵達がガイエンに向けて剣や槍を投げ始めた。
「ふん……そんな物に当たるかよ! 武器を自分達から捨てるとは……愚かなのは貴様らだろっ!」
ヘルギで飛んで来る物を弾きながら、近くにいるヨトゥン兵を次々と斬り裂いていくガイエン。
武器の無い相手に、ヘルギから繰り出される閃光を遮る術は無い
そんなガイエンに、真横から高速の一撃が襲い掛かった!
ガキイイィィ!
金属の擦れる音が、城中に響き渡る。
油断していた訳ではない……1人でも多くのヨトゥン兵を倒しておきたい……そんな思いが、横への警戒を少し怠っていた。
それでも、その一撃を辛うじてヘルギで受けたガイエンだったが、完全に勢いを削がれてしまう。
「ちっ……何者だっ!」
ガイエンの視線の先……ヨトゥン兵に囲まれるように、朱色の鎧を纏った騎士が立っていた。
「ムスペルの騎士……厄介なのが出て来たな……」
ガイエンはヘルギを握り直し、呼吸を整える。
「なかなか善戦をしているようだな。貴様の部下達も、強かった……いや、力が無くても、その意思の強さには驚かされたよ。さぞ、良い教育をしていたのだな」
ムスペルの騎士の右手にはロングスピアが握られており、その長い武器を回しながらガイエンに近付く。
そして、左手には首が……ガイエンの副官の首が握られていた。
「貴様が……貴様が殺ったのか……」
「貴様の部下達も、かなりの数のヨトゥン兵を殺していた。投降を呼び掛けたんたがな……聞く耳も持たなかったよ」
持っていた首をガイエンの目の前に放りだし、同時に閃光の如き突きを繰り出す。
「ちっ……オレの動揺でも誘ってるつもりか? だが、オレもヤツも覚悟は出来ている!」
その一撃を躱し、更にガイエンの隙をついて攻撃してきたヨトゥン兵をヘルギで斬り裂く。
「流石だな、ガイエン。我が主が剣を教えただけの事はある」
「確かに、ヨトゥンに寝返ってからの剣の師匠はスルトだ。だがな……オレには、赤枝最強の騎士の血も流れてんだよ! バロールとメイヴを追い詰めた剣術、貴様如きに受けられるかっ!」
赤い光が刀身に集まり、ヘルギの動きに合わせて光が追従する。
「くらえっ!」
赤く輝くヘルギで、ガイエンはムスペルの騎士に斬りかかった。
「ぐっ! この剣圧……人の身で、ここまでの力をっ! だが、これが人の限界だっ!」
ロングスピアでヘルギの攻撃を受け止めたムスペルの騎士は、後ろに跳びながら突きを放つ。
その攻撃をヘルギで受け止めたガイエンだが、そこにヨトゥン兵達が群がって来る。
ムスペルの騎士が強いと言っても、ガイエンが戦えない程の相手ではない。
しかし、絶対的な違いがある……1人を相手にすれば良いムスペルの騎士とは違い、ガイエンは大軍と呼べる程に集まって来たヨトゥン兵の相手もしているのだ。
ムスペルの騎士を攻撃した隙を付いて、ヨトゥン兵達もガイエンに攻撃を仕掛てくる。
ヨトゥン兵の攻撃もヘルギで弾き返すが、再び高速の突きがガイエンを襲う。
間一髪でその攻撃を躱したガイエンは、体勢を崩しながら後ろに下がる。
徐々に疲労が溜まってきたガイエンに、ヨトゥン兵の包囲網が縮まってきた。
(数が多い上に、ムスペルの騎士か……面倒だな……)
ガイエンは、額から流れ落ちる汗を上腕で拭う。
スラハトの町を燃やす炎から発する熱も、ガイエンの体力を奪っていく要因の一つになっている。
「ガイエン兄ちゃん! 大丈夫?」
突然……思いがけない声が、ガイエンの耳に届く。
後退しながら戦っていたガイエンの背中は、ルナのいる小部屋の扉に張り付いていた。
「くそっ! これ以上下がれねぇ……ルナ、扉から離れてろっ! 危険だぞ!」
「大丈夫だよ……ガイエン兄ちゃんが、扉を守ってくれてるんだから……私、応援する事しか出来ないけど……ルナもカズ兄ちゃんも、ガイエン兄ちゃんの事を信じてる。でも、無理しないで……」
その言葉に、ガイエンは心を鷲掴みにされた……ルナの最後の言葉には、無理せず下がりながら戦えと……自分の事は気にするなと……そう言われている気がした。
今まで、問答無用で奪いとっていた命……
自分が虐げてきた命……
人間にとって……ルナにとって、悪の存在だった自分にも与えてくれる優しい言葉……
その一つ一つに、温かい心が宿っている……
その尊さと大切さ……
ガイエンの心に、瞬間的に襲い掛かる。
その瞬間、幼少時代、両親や友人、好きな人から与えられてきた愛情を思い出す。
「ルナ……なんでオレをそこまで信じれる。お前の仲間も殺した。オレに恨みがあるだろうに……」
「最初は……ね。でも、過去の過ちを正そうとしてる人の歩みを止めちゃいけないって……なんとなく、今のガイエン兄ちゃんを見て分かった気がするの。本当に悪い人なら、ティア姉ちゃんも、カズ兄ちゃんも、ガイエン兄ちゃんの事を信じないよ! だから私も、ガイエン兄ちゃんの事を信じるの……だから、この扉は守らなくていいのっ! 3人で……ううん、アクアも一緒に、皆で帰るんだ。だから、ガイエン兄ちゃんも死んじゃダメなんだからね!」
ルナの言葉に、消えかかっていたガイエンの闘志に再び火が燈る。
「へっ……なら、ヤッパリ扉は守らなきゃいけねーだろ。ヨトゥン兵に襲われたら、ルナとアクアなんか一瞬で殺される。皆で一緒に帰る……ティアにも謝らなきゃなんねぇ……オレも、まだ死ねねぇんだっ! ルナ、安心して小部屋にいな。必ず守ってやるからよ!」
ガイエンが再びヘルギを構えた、その瞬間!
ガァァァァァア!
凄まじい轟音と共に、一真とバロールが闘っている部屋と接する壁にヒビが入る。
「きゃあああああぁ!」
あまりの音に、ルナが耳を押さえて蹲った。
「ルナ! 大丈夫か!」
「私は大丈夫! でも、カズ兄ちゃんが!」
分厚い壁にヒビが入る……一真とバロールの壮絶な戦いを想像し、ルナの顔は青ざめていく。
「一真なら大丈夫だ! オレ達を信じろ! 必ず皆で城を出るぞ!!」
話をしている最中に襲い掛かってきたヨトゥン兵を斬り倒し、再びムスペルの騎士と向かい合うガイエン。
「人間のガキに心配されるとは……堕ちたな、ガイエン!」
ムスペルの騎士の言葉に、ガイエンは微かに笑う。
「そうだな……昔のオレも、そう思っていた……だが、人の信頼に応えて戦う事……こんなに厳しく……だが、誇れる戦いはない。その事を知らない貴様に、負ける気はしないな!」
ガイエンの心にヘルギが呼応するように、再び赤き光が増す。
「ふん……そう言えば、3人で城を出ると言っていたな……この城には、フレイヤが捕われている事は知ってるだろ? 助け出さないのか?」
「あれは神だからな……人じゃない!」
ガイエンの言葉に、ムスペルの騎士が笑う。
「いい屁理屈だ! だが、フレイヤを捕らえてる方法、貴様は知らない訳じゃあるまい。バロールと互角に戦える騎士だとしても、予想外の攻撃を受けたらどうなるかな?」
その事実を思い出し、ガイエンは血の気が引いてきた。
「そう言う事だ。人間の希望は消え、貴様とガキも二度と城から出る事はない。残念だったな……」
「なら貴様を倒し、ヨトゥン兵を全滅させて、一真に教えに行けば済む事だ! 早々に倒させてもらうぞ!」
赤い光に包まれながら、ガイエンはムスペルの騎士に突っ込んでいった……




