2-4 不可思議な一団
馬車二台が余裕を持ってすれ違えるほど広い石畳の道がはるか先まで続いている。
最初、周囲の景色は背の低い草の生い茂る平原だった。進んでいくにつれ緩やかに傾斜がつき、木々が増えていく。森暮らしで木を見慣れているサヴィトリでも見たことのない、細い葉をした樹木が増え始め、生活環境の違う場所に立ち入ってしまったのだということを肌で感じる。
サヴィトリとジェイが不可思議な一団と出会ったのは、林道にさしかかった時だった。
わざわざぶちまけたかのように、石畳の上には大量の枝や木の葉が散乱していた。それを数名の男がほうきでせっせと掃き集めている。男達の年齢や服装はまるでばらばらだったが、それぞれ腰に武器を帯びていた。
「あれは、みんなで焼き芋でもするのか?」
「もうちょっと考えてから発言しようね、サヴィトリ」
「また私のことを馬鹿にしてるだろう」
「……気にいらないことがあるとすぐ暴力に訴えるのもやめようね」
頬を引っぱるサヴィトリの手をジェイはやんわりとはずす。
「ん? おい、民間人がいるぞ。お前また封鎖要請出さなかったのか?」
二人の姿に気付いた一番年かさな男が、すぐ近くにいる青年に呆れ気味に尋ねた。
「そんなことねぇですって。関所の封鎖要請も宿場への外出禁止令もちゃんとやったです」
敬語を使い慣れていないのか、たどたどしい喋り方で青年は否定する。
「あ、すみませーん。羅刹の方々ですよね? 近衛兵団所属のジェイと申します。諸事情により、主任審査官イビラヌ殿に特例で通してもらいました」
ジェイは低姿勢で男達に近付き、へこへこと頭をさげた。
「諸事情ねえ。どうせ聞いてもおたくらお得意の守秘義務ってやつで教えちゃくれないんだろ」
年かさの男がジェイの相手をする。他の者達は道の掃き作業に戻った。
「すみません、俺も末席なんで。察していただけるとありがたいです。ところで、化け物が出たとかで関所を封鎖したんでしたよね……」
言いながら、ジェイはあたりを見まわす。
周囲からは葉ずれの音しか聞こえず、魔物はおろか鳥獣の気配もない。争ったような形跡も見当たらず、不自然な点といえば石畳の上にぶちまけられた枝葉くらいのものだ。
「ああ、こいつな」
年かさの男は足元の葉を軽く蹴りあげた。
「リュだかリョだか、とにかくそんな名前の魔女のせいで、葉っぱとか木の枝なんかを原料にした化け物がそこかしこに現れてるんだよ。後片付けが楽っていうのが唯一の救いだけどな」
「棘の魔女、リュミドラっす。人の名前がぱっと出なくなんのは老化の始まりっすよ」
たどたどしい敬語の青年が口をはさむ。
「うっせぇ。早く掃け馬鹿」
年かさの男はほうきを振りまわして青年を追い払う、
「じゃあ、取りあえずもう安全なんですね。よかった~」
ジェイは小躍りしそうなほど喜ぶ。面倒なことは遠まわりしてでも極力避けて歩きたい、というのが昔からのジェイの性質だ。ヘタレともいう。
「念のためにうちの隊長があたりの見まわりに行ってるが……それより、お連れのお嬢さんが一人で先に行っちまったけど、いいのか?」
年かさの男は街道の先を指差した。
道を迷いなくまっすぐに進むサヴィトリの背中がどんどん小さくなっていく。
「ああっ、もう! 本当にすみません! えっと、失礼します!」
ジェイは慌ただしく頭をさげると、走ってサヴィトリの後を追いかけた。
ばたばたとした足音が聞こえても呼び声が聞こえても、サヴィトリは振り返りもしない。
追いついたジェイが肩に手をかけると、ようやくサヴィトリの足が止まった。ゆっくりとジェイの方に首をむけ、左手中指の指輪に口づける。
「ちょっと何その問答無用! 俺なんかしましたかー!?」
取り乱したジェイはあとずさる時に踵を滑らせ、派手に尻餅をついてしまう。
その間に、サヴィトリの手には冷え冷えとした青く透明な氷の弓が握られた。両目でしっかりと目標を見据え、地面と水平になるように弓を引き絞る。放つ。
風を切りながら進む矢は、ジェイの頭上すれすれを越え、街道の脇にある藪に飛びこんだ。だが、金属音に似た硬質な音と共に、矢は弾き返されて霧散する。それと同時に、木の葉に似た円盤状の何かが藪から弾け飛ぶ。
藪自体がぞろりと動いた。
サヴィトリの胴の倍はあろうかという巨体が左右にぐねぐねと曲がり、体格に見合わぬスピードで石畳の方へとむかってくる。
ぬばたまのような黒く丸い瞳がサヴィトリの姿を目視すると、鎌首をもたげて口を大きく開いた。シャーッという音を出し、内側に湾曲した牙から透明の液がしたたり落ちる。
「わお」
まだ尻餅をついたままの体勢でいたジェイは身体をそらし、迫り来るものの正体を確認する。
常緑樹の葉のように鮮やかな緑色の鱗を持つ蛇。ただし、その大きさは尋常ではない。
「クベラは物騒な所だな。こんな大きな蛇がいるだなんて」
「こんなのが自然発生するわけないでしょ」
軽口を叩きあいながら、サヴィトリは左方へと飛んだ。事前に打ち合わせでもしていたかのようにジェイは右方へと身体を転がす。
二人がその場から離れた一瞬の後、高く持ちあがった蛇の身体が石畳に打ちつけられた。立っているのが困難なほどの揺れが生じる。石畳は無残に砕かれ、破片が周囲に飛び散った。
「羅刹のみなさ~ん、助けてくださ~い!」
ジェイは素早く起きあがりながら情けない声で救援を求める。
だが、救援は望めそうもなかった。
まるで図ったかのように、掃き掃除をしていた男達の方にも同じ巨大な蛇が現れていた。進退を阻むように前とうしろに一匹ずつ。合流するには少なくとも一匹、倒さなくてはならない。
「う~ん、軽く絶望的?」
ジェイはへらへらと緊張感のない顔を指先でぽりぽりとかく。
「予定通りになったじゃないか、ジェイ」
大蛇をはさんで、サヴィトリはジェイに話しかけた。
「え?」
「元々、道すがらに化け物をのしてやるつもりだったんだから」
魔物と対峙しているとは思えないほど楽しそうな笑顔を浮かべ、サヴィトリは右手を掲げた。手のやや上の空間にいくつもの豆粒ほどの水滴が生じたかと思うと、瞬く間にそれらは肥大し凍結し、握り拳大の氷塊になる。
「行け」
ゆったりとしたオーバースローとは裏腹に、氷塊は爆発的な推進力で大蛇に殺到した。
氷塊で打ち据えられた大蛇は激しく身をくねらせ、怒りの混じった悲鳴をあげる。
大蛇は氷塊の飛来してきた方――ではなく、なぜかジェイの方をにらみつけ、大きく口を開けて襲いかかった。
「うそやだありえなーい!」
ジェイは叫びならがも大蛇の攻撃を横に飛んでかわし、飛びながら抜いた剣で蛇の胴をなぎ払った。切っ先だけが当たり、緑色の鱗が数枚がはがれ落ちる。その攻撃が、よりいっそうジェイに注意をむけることとなった。
大蛇はとぐろを巻き、頭をばねのように縮めると、高く飛んでジェイに躍りかかった。木の枝が巨体にへし折られ、ぼろぼろと道の上に降る。
サヴィトリは大蛇が飛んだ隙に、露出した白い腹にむかって矢を放つが、最初の時と同じように弾かれた。背も腹も硬さに差はないらしい。
舌打ちをしたくなるのをかろうじてこらえ、サヴィトリは胸の前で十字を切った。
「ジェイ! できたらよけて!」
枝よけのためにマントを頭からかぶり、ちょこまかと大蛇の攻撃を避けているジェイにむかって叫んだ。
サヴィトリの描いたとおりに空間が青白く裂け、そこから大蛇にむかって吹雪が吹きつける。
見た目こそ派手だが殺傷能力に欠ける術だった。凍傷にさせるのがせいぜいといったところで、防寒対策をした相手にはほとんど意味がない。だが、寒さに弱い変温動物なら別だろう。
しかしサヴィトリの予想に反して、大蛇の動きはまったく衰えることはなかった。標的をサヴィトリに変え、吹雪の中を猛然と突き進んでくる。
サヴィトリは下唇を軽く噛み、弓をつがえた。ぬばたまの瞳に照準を定める。体表に強度があり寒さにも強いというのなら、柔い部分を狙うしかない。
サヴィトリは立て続けに矢を射る。大蛇の顔にかすりはするものの目には当たらない。
矢を受け数枚の鱗がこそげ落ちたが、ひるむことなく大蛇はむかってくる。先の割れた細い舌が炎のようにゆらめく。
そうこうしているうちに、大蛇はサヴィトリを攻撃圏内に捕捉した。鋭くとがった牙をむき出しにし、神経に障る音を発しながらサヴィトリに襲いかかる。
「何ぼーっとしてんのサヴィトリ!」
ジェイはその場から動こうとしないサヴィトリを怒鳴りつける。助けにむかおうと走るが、まるで別の生き物のように大蛇の尾が動き、ジェイの行く手を阻んだ。
「ぼーっとしてるわけじゃない」
サヴィトリはややむっとして答え、大きく開いた大蛇の口の中に矢を撃ちこむ。舌の付け根あたりに当たったが、すぐに四散してしまう。
大蛇の開かれた口は勢い変わらず、そのままサヴィトリを飲みこもうとむかってくる。
「うーん、駄目か」
人の骨身をやすやすと引き裂くであろう眼前に牙が迫っているにもかかわらず、サヴィトリは淡々と呟いた。
「サヴィトリ!!」
甲高いジェイの叫び声が聞こえる。
叫んだところでどうしようもない。別の方法を考えなければ。粘膜も駄目なら、最終手段。すべて凍りつかせてしまえばいい。
サヴィトリはぐっと拳を握りしめ、地面を蹴った。自ら大蛇の口の中に飛びこむ。
「馬鹿! ほんと何やってんの!!」
ジェイが悲鳴をあげたのはもう何度目かわからない。
鋭利な牙が頭に食いこむ直前、サヴィトリの視界の端に何かきらめくものが映りこんだ。それに気を取られているわずか一瞬のうちに、巨大な蛇の頭が空に舞いあがった。追って風を切り、肉を切る音が耳に入ってきた。
胴から切り離された頭は、血の代わりに木の葉を撒き散らした。紙吹雪のようにサヴィトリの上に降り注ぐ。
まるで魔法が解けたかのように、胴の方からもどさりと大量の葉が落ち、枝でできた骨組みがあらわになる。ジェイが恐る恐るそれをつつくと一気に瓦解した。
サヴィトリが手を広げ、ぼんやりと落ちる葉を眺めていると、また、視界の端に先ほどと同じきらめきが映りこんだ。きらめきの方へと顔をむける。
男がいた。
歳は二十代半ばほどで、サヴィトリが見あげなければならないほど背が高い。ややくすんだ赤い短髪はきっちりとうしろに撫でつけられている。
腰には長さの違う二本の刀を帯びていた。そのうちの一本は男の手の中にあり、光を照り返している。ジェイの持つ剣とは違い、刀は斬ることに重点を置いた武器で、手入れの煩雑さなどから流通量の極めて少ない代物だ。
男は鞘に刀を納めると、冷ややかな青い瞳でサヴィトリを見返した。精悍で整った顔立ちは無闇に威圧感がある。
サヴィトリはなんとなく押し黙ってしまう。蛇ににらまれたなんとやらではないが、サヴィトリはまったく動けなかった。人の形こそしているが、先ほどの大蛇よりも数倍の圧力を感じる。
「大丈夫!? 怪我はない? ない? 平気? ちゃんと生きてる? 俺のことわかる?」
取り乱したジェイが二人の間を割るようにして入ってきた。ぺしぺしと無遠慮にサヴィトリの頬を叩いたり、腕をつかんで身体全体を揺さぶったりする。
「ごめん大丈夫ありがとう」
最初こそ申し訳なく思ったが、あまりにもしつこく聞いてくるわ、身体を揺さぶるのをやめないわでイラっとしたサヴィトリは、キレのあるチョップをジェイの脳天に叩きこんだ。
人の口から発せられたとは思えない、なんとも形容しがたい悲鳴をあげ、ジェイはふらふらとよろめく。
「ああ、よかった……ちゃんと、サヴィトリだ……」
理不尽な暴力を受けたにもかかわらず、ジェイはへらへらと笑った。
(どうしよう、被虐趣味でもあるのかな……あんまり殴ったり蹴ったりするのやめておこう)
サヴィトリは一歩だけジェイから後ずさった。
「……オーケ、どういうことだ」
サヴィトリに視線をむけたまま、赤髪の男が声を発した。低いがよく通る声だった。
掃き掃除をしていた男達の方も二匹の大蛇を退治し終えたらしく、赤髪の男のうしろにきっちりと整列していた。
その列の先頭にいる、全員の中で最も年かさな男がびくりと身を震わせる。先ほど応対をしてくれた男だ。彼がオーケであるらしい。
「すみません、ヴィクラム隊長。俺達が力不足だったばかりに、隊長の手をわずらわせ――」
「違う」
オーケの弁解を、ヴィクラムと呼ばれた男は一言で切り捨てた。
「なぜ民間人が戦闘に巻きこまれている? この二名の安全確保が最優先だったのではないのか」
声の調子こそ淡々としていたが、無性に心に突き刺さってくるものがあった。
直接怒られているわけでもないのに、サヴィトリも自然と萎縮してしまう。
「隊長の仰るとおりです。俺の判断力不足で甚大な被害につながるところでした。本当に申し訳ありません」
オーケは自分よりも十は歳若い男に対して深く頭をさげた。他の者達も同様に頭をさげる。
ヴィクラムは振り返りもせず、今度はサヴィトリの方にむかって大股で歩いた。険しい顔をし、サヴィトリのてっぺんから爪先までを不躾に見つめる。
「まったく、蛮勇だな」
ヴィクラムは見下すように――というよりもあきらかに見下して言った。
サヴィトリの口角がぴくりとあがる。
危険を察知したジェイが止めるよりも早く、サヴィトリはヴィクラムの肩に両手をかけた。背伸びをし、自分の額を相手のそれにためらいなく叩きつける。
ごっ! という重く鈍い音が響く。
当事者を除く全員の顔が一瞬にして青ざめる。
サヴィトリとヴィクラムは額に手を当て、ほとんど同時にうしろに倒れこんだ。サヴィトリはジェイが、ヴィクラムは羅刹の隊士達が、それぞれ倒れた身体を抱える。
ジェイは卒倒したくなるのをこらえるので精一杯だった。