2-3 関所
青みがかった白い石材で作られた門は、関所というよりも神殿のような趣があった。
トゥーリに三ヵ所存在する関所は、三強国がそれぞれ出資し、設置したものだという。関所の必要以上に厳かな雰囲気が、クベラという国を端的に表しているようで、サヴィトリは少し居心地が悪くなった。
門を抜けると吹き抜けの広場だった。その中心では六角形の噴水が緩やかに水を噴きあげている。
入って左右には番号を振られた窓口がいくつかあり、出入国を待つ者で人だかりができていた。大きな荷物を担いだ行商人らしき職業の人間が目立つが、サヴィトリのように着の身着のままで来たような者もいる。
(……痴女?)
とある一人の女が、サヴィトリの目にとまった。
二十代半ばぐらいで、腰まである緩く波打つ銀髪と紫の瞳が印象的な美人だ。
だがその美貌より何より、彼女の服装が人目を引く要因だった。胸と腰を申し訳程度に覆う布。彼女が身に着けている衣服はそれだけだった。
自分が注視されているのに気が付いたのか、女はサヴィトリの方をむいた。品良く微笑む。
なんとなくサヴィトリはいたたまれなくなり、軽く頭をさげてジェイの所に駆け寄った。
「あれー、混んでるなあ」
ジェイはげんなりとした顔をし、頬を人差し指でぽりぽりと引っかく。
「混んでるの?」
関所に縁のなかったサヴィトリには、どの程度が普通の状態なのかわからない。
「クベラって今時珍しいくらいに閉鎖的な国でさ、縁故以外ではほとんど入国証を発行しないんだよ。今のタイクーンになってからは比較的緩くなったみたいだけど」
「だったら余計に混むんじゃないのか。クレームをつける人とかもいるだろう」
「まぁね。でも、五年くらい前に術を利用した防衛装置が設置されてからはだいぶ減ったんだって。俺は術使えないから全然わかんないけど、とにかくすごいよね。その指輪もさ、術具なんでしょ?」
ジェイはサヴィトリの中指にはまっている指輪を指差した。
誰でも簡単に術の恩恵を受けられるようになる道具を術具という。家庭の調理器具から兵器にいたるまでその種類は多岐にわたる。
そもそも術と呼ばれる超自然の力を自在に操る力は誰しもが持っているものではない。およそ人口の一割から二割程度といったところだ。しかも人によって扱える系統がまるで違う。便宜的に属性という区分けがされているがそれに収まらないものも数多くいる。また、術の能力は成長するものではなく、先天的なものによるところが大きかった。鍛錬をすれば扱いが上手くはなるが、威力自体はほとんどあがらない。
「うん、多分これも術具ってやつなんだと思う」
サヴィトリは改めて指輪を見つめる。
石の部分にくちづけると氷の弓が出てくる指輪。ナーレが約束に、とくれた物にどうしてこんな機能があるのかはわからない。思えば今まで深く考えたこともなかったし、いつこの機能に気が付いたのかも覚えていなかった。
サヴィトリには氷の術を扱う資質があり、ナーレと共にクリシュナに教えを受けていた。といっても年齢が年齢なので、当時は子供の手習いレベルのことしかしていなかった
――が、子供に物騒な物を持たせる理由にはならない。
サヴィトリの素性を知っていて護身のために、ということなのだろうか? だとしたら十に満たない子供に酷なことをしいるものだ。
「ねえサヴィトリ。このまま待ってても仕方ないし、裏技使っちゃおう、裏技」
「裏技?」
へらへらしている割に気の短い性質なのか、ジェイはサヴィトリの手を取って詰所の裏手にまわった。通用口の扉をノックし、中からの応えを待たずに開けてしまう。
「こんにちは~、お邪魔しまーす」
親戚の家に遊びに来たかのような気軽な挨拶をすると、ちょうど手のあいていた四十代後半ほどの役人の男がジェイに目をむけた。他の者は、永久機関のように窓口で頭をさげ続けていたり、書類を抱えて右に左にと走りまわったりと、とにかく忙しそうにしている。
「まったく、表から見ても忙しいのが見てわかるだろうに。いい度胸してるなお前」
ジェイと知り合いなのか、役人の男は気安く話しかけてきた。胸につけているプレートには「主任審査官イビラヌ」とある。
「職権乱用しないと、俺みたいな庶民出のペーペーは生活もままならないんですよ。というわけではい、お願いします」
ジェイは荷物の中からぐしゃぐしゃになった封筒を取り出すと、そのまま役人の男――イビラヌに押しつけるようにして手渡す。
「仕出し弁当運んでた肉屋の小坊主が偉くなったもんだ」
イビラヌは忌々しげに舌打ちをすると、封筒の中から書類を取り出した。皺を丁寧に手で押し伸ばし、さっと文面に目を通す。
次に、ジェイのうしろに隠れるように立っているサヴィトリに目をむける。
「ほー、アースラの遠戚のお嬢さんねえ。なるほどどうりで造作が綺麗なもんだ。あそこのお家の顔ははずれがないな」
何かに納得をしたイビラヌは無精ひげの生えた顎を撫で、壁際に並んだ棚のうちの一つの引き出しを開けた。薄いガラスのような透明のカードを取り出し、その上で人差し指を滑らせる。指の通った軌跡が淡く輝く。指でもって何かを記しているように見えた。
「ね、アースラって何?」
イビラヌが作業に取りかかっているうちに、サヴィトリはこそっとジェイに耳打ちをする。
クベラに行くことになってからというもの、ジェイに物事を尋ねてばかりだ。サヴィトリは自分の常識のなさや認識の甘さを痛感する。
「クベラ屈指の名家のことだよ。本当のことは言えないしさ。便宜的に、本家に行儀見習い来たアースラ家の遠戚の娘さん、ってことになってるからよろしくね」
サヴィトリの耳元でジェイが囁き返す。
内緒話が終わるのを見計らったかのようなタイミングで、イビラヌが顔をあげた。
「ほい、通行証」
と透明のカードをサヴィトリに手渡す。
サヴィトリが恐る恐るカードに触れると、左上のあたりにサヴィトリの名前が浮かびあがった。
ジェイがすっとサヴィトリの手からカードを取りあげる。その瞬間名前は消え、ただの透明なカードに戻った。
「本当に便利だよねー、術って」
ジェイは光に透かすようにカードを眺め、感嘆のため息をつく。
「ここまではしてやれるけど、あいにくとクベラ側の門は封鎖中なんだよ」
話しながら、イビラヌは通用口から外へと出た。ジェイがついて行ったので、サヴィトリもならって後を追う。
「えー、何かあったんですか?」
と尋ねるジェイの顔には「面倒事は絶対に御免」と書いてある。
詰所の外がにわかに騒がしくなった。
関所で足止めを食らっている者達がついに怒鳴り声や金切り声をあげ始める。見るからに屈強そうな警備兵が窓口との間に立って壁を作るが、人々の不満が収まる気配はない。
イビラヌは人々の様子を一瞥だけすると、広場の噴水の縁に腰をかけた。胸のネームプレートをさりげなくはずし、ポケットに忍ばせる。
「街道の途中にえらくでかい化け物が出たらしくてな。ちょうどクベラに帰還途中だった羅刹の三番隊に討伐にあたってもらってるんだわ」
「わかった。クベラに行く途中にそいつをのしておく」
おつかいを頼まれた子供のように気軽な口調でサヴィトリは言い、一人でさっさとクベラ側の門の方へとむかう。
ジェイは呆気に取られたが、すぐさまサヴィトリの前にまわりこみ、両肩をつかんで押しとどめる。
「ちょっと待ってねサヴィトリ。いい? イビラヌさんは羅刹が魔物の討伐にあたってるって言ったの。羅刹っていうのは簡単に説明するとクベラの魔物討伐専門の部隊の名前なの。とっても強いの。エキスパートなの。だからここでのんびり噴水でも眺めながら朗報を待つのが一番楽で賢い方法なの。どう、ご理解いただけた?」
と一息にまくしたてた後、にっこりと笑って念を押した。
「待つのも長話も好きじゃない」
サヴィトリは一刀のもとに切り捨て、封鎖された門へとむかう足を再始動させる。
鉄製の門扉は、それ自体が一枚の壁のようにきっちりと閉ざされていた。その前では板金鎧に身を包み、三叉戟を携えた数名の兵が四方を威嚇している。
「まぁまぁ、なんでも正面からぶつかればいいってもんじゃないよ、お嬢さん」
噴水の縁に座ったまま、イビラヌはのんびりとした調子で声をかけた。何か含みのある笑みを浮かべ、手招きをする。
サヴィトリとジェイは顔を見合わせ、イビラヌに近付く。
イビラヌは二人の首を抱えこみ、
「詰所の女子トイレからむこう側に抜ける道があるんだよ。ジェイ君が責任全部おっかぶるってんならどうぞご利用を」
と、ひそめた声で言った。
「っ、なんて余計なこと言ってくれるんですか!」
ジェイは声量を落としつつ、声をとがらせる。
「お前裏技好きなんだろ、裏技。それに羅刹の屈強な兄さん方が行ってからだいぶ時間もたつし、案外もう片付いてるんじゃないか」
イビラヌは眼球だけを動かしてジェイを見て、どこかで聞いたようなことを言う。
「じゃあ行こう、ジェイ」
サヴィトリは朗らかに笑い、ジェイの肩を叩いた。
ジェイは露骨にぶーたれた顔をする。
「サヴィトリ、もうちょっと人を疑ったりしない? ほら、罠かもしれないし、第一、俺包丁は扱えるけど剣とか自信ないし、正直魔物退治とか面倒くさいっていうか」
「提案した俺を目の前にしていけしゃあしゃあと罠とか言うな」
イビラヌはむっとしてジェイの頭を小突く。
「そうだ、失礼だろう。この人が私を罠にかけてなんの得がある? 問題があるとすれば、ジェイが女子トイレに堂々と入りこむ変態という称号を賜るだけだ。大したことじゃない」
「おっと、それって結構大したことなんだけど」
「私の要求を受け入れないのなら、クベラ国内で『ジェイは連日連夜ひとりでおたのしみ』だと言い触れまわる」
「サヴィトリ、それって脅迫って言う立派な犯罪だよ? それにひとりでおたのしみとか事実無根な上に、もの凄く誇張されてる気がする?よ」
ジェイはサヴィトリの肩をつかんで揺さぶり、切実に訴える。
「一人で、か。青いな」
「イビラヌさんも訳知り顔で適当なこと言わないでください!」
「大丈夫、若い時はみんなそうだ。俺は違ったが」
「だからなんのことを言ってるんですか!」
ジェイの声がだんだんとヒステリックになっていく。
ジェイにとって唯一幸いだったのは、一連の会話が周囲の喧騒にまぎれたことだ。門扉が封鎖されていることの方がよほど重要で、平凡ないち青年がどんな大声をあげようとも誰も気にとめない。
「さあ、行くか行かないか。どうする、ジェイ?」
サヴィトリは楽しそうに笑って二択を迫る。
どこを見渡しても味方はいない。ジェイは頭を抱えるほかなかった。