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2-2 クベラへの道程

 部屋に備え付けの小さな丸テーブルの上に、ジェイは使い古した地図を広げた。テーブルが小さいせいでやや端がはみ出てしまう。


 無理に危険の多い夜間に進むことはない、というジェイの提案により、町で一泊してから翌朝クベラへとむかうことになった。

 だが、運悪くどの宿も一人部屋を取ることができず、結局、クベラへの関所に近く、最も値段の安かったこの二人部屋に落ち着いた。


 旅になど出たことのないサヴィトリは素直に従った。思えば、ハリの森と、食料の買出しに行っていたトゥーリの町しか自分は知らない。


 サヴィトリは興味深く地図を眺めた。

 ちょうど中心にクーという名の山があり、そのふもとにはサヴィトリが住んでいたハリの森が広がっている。更にそれらをぐるりと取り囲むようにして、今いる自由都市トゥーリがある。

 この大陸には北、東、南にそれぞれ、クベラ、ダタラ、カダルという三つの強国がある。小国は三強国の傘下であることがほとんどだが、トゥーリはどこにも属しておらず、中立を保っているのだという。

 三国の境という要衝にありながら、これといった有力者や軍事力のないトゥーリがどうして中立でいられるのか、ジェイは子供に教えるような口調で話してくれたが、興味がないのでサヴィトリは聞き流した。


 地図の上の方にクベラという文字を見つけた。王都はランクァというらしい。南を除く三方を小高い山で囲まれている。トゥーリからは街道でほぼ直線につながっているようだ。


「ここからここまで、どのくらいかかるの?」


 トゥーリから王都ランクァまでをサヴィトリは指でなぞった。指の腹がうっすらと黒く汚れる。


「うぇっ!? ……ああ、うん。あはは、えっと、ごめん。もう一回言ってもらえるかな?」


 ジェイは素っ頓狂な声をあげ、腰かけていたベッドから派手にずり落ちた。なぜか顔を赤らめ、かわいた笑い声をあげる。


「トゥーリから、このランクァって所までどのくらいかかるの?」


 サヴィトリは地図を両手で持ってジェイに見せつけ、再度尋ねた。


「うん、トゥーリからランクァね。うん。まあ四、五日もあれば着いちゃうんじゃないかな。うんうん」


 答えてはくれたが、ジェイは挙動不審でサヴィトリと目を合わそうとしない。


(遠い国だって言ってたのに、そんなに遠くないじゃない)


 サヴィトリはジェイの様子など気にもとめず、ベッドに寝転がって地図を見た。

 四、五日程度の行程であれば、帰ってくること自体は難しくない。また同時に、サヴィトリ自身も、行こうと思いさえすれば行ける距離だった。

 サヴィトリは地図を抱きしめ、薄汚れた天井をぼーっと見つめる。しばらく、何も考えたくなかった。


 だが、せまい部屋の中では、同室にいる者の生活音が否応なしに耳に入ってきてしまう。


「あーもーどうしようどうしようどうしようー!! どうしてこの部屋ベッドとベッドの間がやけに近いんだろう? っていうか先輩も副隊長も俺だけ置き去りにして勝手に宿引き払って帰っちゃうとかほんと信じらんない。貴族ってプライド高いくせにメンタル弱いからやんなっちゃう。あー、あそこだったらここより広くて一人一部屋だったのにな~。女の子と同じ部屋で一晩二人っきりとかどーうーしーよーうー」


「うるさい!」


 イライラがつのり、サヴィトリはジェイに全力で枕を投げつけた。まるで自ら当たりにいったかのように顔面に枕が命中し、ジェイはどうとベッドに仰向けに倒れこむ。


 そういえば、と不意にサヴィトリは思い出す。

 ジェイと遊んだり一緒にどこかに出かけたりする時は、いつもこんな風に騒がしかった。たいていジェイがわけのわからないことでわめき散らし、それをサヴィトリが実力行使(という暴力)でもって黙らせる。

 月日がたっても、変わらずにいてくれるものもあるらしい。

 サヴィトリは少しだけ嬉しくなったが、あえて不機嫌な顔を作ってそれを隠した。


「明日、朝早く出るんだろう。私はもう寝る。おやすみ」


 ジェイにむかってひらりと手を振り、サヴィトリはベッドのかけ布をめくる。


「……ちょっと待って」


 ジェイは珍しく険しい顔をし、手首をつかんでサヴィトリの行為を制止した。


「何してるの?」

「何って、寝る準備に決まっている」


 サヴィトリはジェイの手を振り払い、「寝る準備」を再開する。ジェイがいるのもお構いなしに服のとめ具をはずしていく。


「待って! 着替えるならちゃんと俺出て行くから!」

「着替えない。脱ぐだけだ」

「ああ、なんだ。それなら――」


 あまりにも毅然かつ平然としたサヴィトリの口調にジェイは納得しかけたが、すんでのところで思考回路が復旧した。


「NONONONONONONONONONO!」


 ジェイは両手でバツを作り、サヴィトリの眼前に猛然と突きつける。

 サヴィトリは目をしばたたき、人差し指をぴっと立てた。


「寝る時は全裸。これ常識」

「非常識です!」

「そんなことない。立派な健康法だって師匠が言ってた。

『人間、生まれたままが一番! 下半身を締めつける諸悪の根源とはもうサヨナラ! パンツによる腰の締めつけをなくすことにより血流がよくなり、新陳代謝が活発になってダイエットにも効果抜群! また、(こんなはしたない姿、誰かに見られたらどうしよう……!)と羞恥心がかき立てられることによって排便がうながされ、便秘の解消にもつながります』って家にあった健康の本にも書いてあった」

「女の子がそんなこと熱弁しちゃダメ!」


 ジェイは悲鳴じみた声をあげ、得意げに語るサヴィトリの肩をつかんで全力で揺さぶった。


「じゃあ今度その本持ってくる」

「持ってこなくていいから!」

「あ、わかった。それならジェイも脱げばいい。きっと新しい世界が広がる」

「やだこの子どうしよう。控えめに言って死ぬほど頭おかしい」


 どう対応すればいいのかわからず、ジェイはただ真顔でぶるぶると震える。

 そうこうしている間に、面倒になったサヴィトリは服の裾に手をかけた。一気に脱ごうと服をめくりあげる。白くくびれた腹部と縦長のへそがのぞく。


「本当にダメったらダメ!!」


 ジェイは自分のベッドのシーツを手早くサヴィトリの身体に巻きつけた。


「習慣だろうと健康法だろうと、とにかく男の前で軽々しく裸になっちゃいけないの!」

「じゃあ、ジェイ。今からちょっと男やめてきて」

「そういう問題じゃない!」


 まるで理解する様子のないサヴィトリをぴしゃりと怒鳴りつけ、ジェイは深く長いため息をついた。


「……ごめん」


 しょげたサヴィトリはジェイに頭をさげると、シーツを身体に巻きつけたまま自分のベッドに潜りこんだ。


「ううん。俺のほうこそ言いすぎた――けど、全裸で寝るのは絶対にダメだからね」


 ジェイはやや罪悪感を覚えたが、釘を刺しておくのは忘れない。


「おやすみ、サヴィトリ」


 子供をなだめるように優しく言い、ジェイも床についた。


* * * * *


 だが、目蓋を閉じたジェイの脳裏に、先ほど見たなだらかな腹部がちらつく。

 あまつさえ、サヴィトリの好きなようにさせるべきではなかったのか、などという不埒な考えまで浮かんでくる。

 頭を揺すってもコロッケの調理手順を思い出しても、それらは消えない。

 安物のベッドは身じろぎするだけできぃきぃ軋む。


 ジェイは上体を起こし、サヴィトリの方を窺う。

 数分もたっていないのに、サヴィトリはすっかり眠っていた。普段の素っ気なさが嘘のように、その寝顔はあどけなく可愛い。

 ベッドの上であぐらをかいたジェイは頭をかかえ、深く深くため息をついた。

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