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1-3 父娘

 香ばしいバターの匂いが部屋中に広がる。

 たっぷりのバターで焼いたオムレツをチキンライスの上に乗せ、あらごしのトマトケチャップを添える。

 二人分のオムライスを作り終えると、サヴィトリはそれらと根菜のスープとを食卓へと運んだ。


「それじゃあ師匠、私これ食べたらクベラに行ってくる。これからは炊事・洗濯・家事・掃除、全部自分でやってね」

「おう、クベラ土産に銘菓『かるらのたまご』と『クベラ最中』絶対買ってこいよな!」

「わかったから、師匠はくれぐれも痛風と糖尿と梅毒と新興宗教の勧誘に気を付けて」


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


「……軽々しいにもほどがあるだろうがあああっ!!!!」


 びりびりと鼓膜が痛むほどの怒声をあげ、クリシュナはテーブルをひっくり返した。

 サヴィトリは冷静に食事を避難させる。おかげで、スープの一滴も床にこぼれることはなかった。

 白々としたサヴィトリの視線を受け、クリシュナはばつが悪そうにテーブルを元に戻す。


「ごめん。確かに、軽々しく言いすぎた」


 サヴィトリは食事を並べ直しながら、頭をさげた。


「痛風も糖尿も梅毒も、最悪の場合命にかかわる疾患だ。私はもっと切実かつ厳重に注意を喚起するべき――」

「論点すり替えんな阿呆! 何年育ててきたと思ってんだ。お前の常套手段なんざまるっとお見通しだ!」


 サヴィトリの鼻先に、クリシュナはびしっと人差し指を突きつけた。

 サヴィトリは目を丸くしてクリシュナを見返す。


「真面目な顔でとぼけ倒してことをうやむやにする――ったく、どこでそんな可愛くねえ芸当を覚えたやら」


 クリシュナは髪をかきむしり、大仰にため息をついた。

 サヴィトリは素知らぬ顔でオムライスを食べ始める。


「普通さ、『あの人達は誰? 一体何をしに来たの? 私に何か関係のあることなの?』とかって質問攻めにすんのがスジだろ」


 クリシュナはいじけたように、スープをぐるぐるかき混ぜる。


「あの人達は誰? 一体何をしに来たの? 私に何か関――」

「あーはいはい、どうせお前ならやると思ったよ!」


 クリシュナはこの上なく面倒くさそうに、サヴィトリの言葉を遮った。


「……本当に、私はいらない子だったんだね」


 サヴィトリは目蓋を伏せ、呟くように言った。

 自分が何者で、どうして血のつながりも何もないクリシュナに育てられているのかは、物心がついた頃には聞かされていた。その意味を理解したのは十歳を過ぎてからだった。あくまでも意味だけ、であるが。


 北の国クベラでは王のことをタイクーンと呼称する。サヴィトリは現タイクーンの娘として生まれた。だが生まれて間もない頃、高名な何某という宮廷お抱えの占い師から「まがつ風を呼ぶ災厄の子」という予言をくだされ、それが原因で、表向きは病死として処分されることになった。

 しかし、サヴィトリの母の知り合いであるらしいクリシュナが国外へと連れ去り、そのまま引き取って育てたのだという。


 話の内容を理解してからも、とてもサヴィトリには信じられなかった。実はやんごとない生まれの悲劇のお姫様でした、などという絵空事を鵜呑みにする方がおかしい。

 だが思い当たる節がまったくないわけでもなかった。

 幼い頃、サヴィトリは一人で森から出ることをクリシュナから禁止されていた。

 ある日言いつけを破り、近くにあるトゥーリという町に行ったところ、不審な者達に襲われた。その者達はあきらかにサヴィトリを狙っていた。駆けつけたクリシュナのおかげで大事にはいたらなかったが、それ以降クリシュナは、実戦における術の扱い方や、凶器を持った人間との戦い方をサヴィトリに教えるようになった。ままごとではないということを認識させるためか、自分に対する呼び名も「クーおとうさん」から「師匠」へと改めさせた。

 一国の主の娘とまでいかないにせよ、自分は普通の境遇とは違う――そんな認識で、サヴィトリは今まで生きてきた。


「そんな言い方すんなよ」


 クリシュナは悲しげに息をはき、サヴィトリから視線をはずす。


「俺にとっちゃ、お前は誰よりも必要だったぜ。これからも、それは変わらねえ」

「師匠……」


 サヴィトリは瞳にうっすらと涙を浮かべ、


「じゃあ、私行ってくる。お土産は郵送で送るから、賞味期限内に食べてね」


 クリシュナにむかって笑顔で手を振った。


「おう。じゃあ気を付けて――なんて俺様が二度も安い茶番に乗ると思うか馬鹿野郎!」


 クリシュナは立ちあがりざまに両手でテーブルを叩いた。テーブルの上の食器ががちゃがちゃとうるさく跳ねあがる。


「あんなとこに行ってどうすんだ! 国の命運がどうのこうのって聞いて、変な正義感でも出したか? ああ?」


 幼い子供なら間違いなく泣き出すであろう剣幕で、クリシュナは怒鳴りつけた。


「そんなんじゃない!」


 サヴィトリはひるまず、クリシュナ以上に大きな音を立ててテーブルに両手を叩きつける。手がじんじんと痛むが気になどしていられない。一歩でも引けば押し負けてしまう。


「……私は、ナーレを探しに行きたい」


 このサヴィトリの答えに、クリシュナは目を丸くする。

 突拍子のないことに聞こえたのかもしれない。何せここ数年、サヴィトリはナーレのことを気にしている素振りなど見せたことがなかった。


(……夢を見た、というだけで何を言っているんだろう、私は)


 自分の発言に、サヴィトリ自身も軽い驚きを覚えていた。甘い夢一つで突き動かされるほど少女趣味ではなかったはずだ。


「あのくそガキを今更探してどうすんだ! わけのわからねぇことを言うんじゃねえ! それにお前がどんなつもりで行こうと、クベラに入ればあいつらに捕まるのは時間の問題だ。なんせ、こんな辺鄙な森の中にまで来やがったんだからな。お前なんかおだてられて体よく祭りあげられるに決まってる。女の後継者なんてのはお世継ぎとやらを生むための道具として扱われるだけだ!」


 噛みつかんばかりの勢いで、クリシュナはたたみかける。

 サヴィトリは顔を背け、自分自身を抱くように肩口をつかんだ。


「……もし、そうなったらそうなったで仕方がない。私の判断や行動が原因で、そうなるんだから」

「仕方なくねえよ! 自分ひとりで勝手に割り切んな! ガキだろうとババアになろうとお前は一生俺の娘だ! 放っておけるわけねえだろ、このド阿呆が!!」


 クリシュナはサヴィトリの肩をつかんで揺さぶる。

 サヴィトリは、首を横に振っていた。


「でもね、師匠。だったらどうして私に術とか戦い方とかを教えたの? 私がいずれ出て行くと思って教えたんじゃないの? この森の中だけで暮らしていくなら、そんなの必要ないじゃない」


 サヴィトリが今までで一番悲しかったのは、クリシュナが術や戦い方を教えるにあたって、「クーおとうさん」だった呼び方を「師匠」に改めさせたことだった。もしも「クーおとうさん」のままであったなら、首を縦に振っていたかもしれない。


「屁理屈を言うな! お前がナーレの野郎に会いたいってんなら俺が力ずくでも連れて帰ってきてやる! だから、あんな国になんぞ行ってくれるな……!」


 肩をつかむクリシュナの手が小刻みに震える。


「……ごめんね、師匠。ごめん。でも行きたい。クベラに」


 反対されればされるほど、行きたいという思いが強まる。それほど自分はひねくれた性格だったのかと思うと、サヴィトリはなぜか少し笑えてきた。

 自分の肩にかかったクリシュナの手を、サヴィトリはそっとはずす。


「今まで守ってくれてありがとう。でももう、さようなら」


クリシュナの脇をすり抜け、サヴィトリは走った。


「……ったく、馬鹿娘が」

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