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1-2 対峙

 人差し指を立てると、ぽっ、と爪の先に小さな火がともった。

 男はくわえた煙草にその火を近付ける。静かに息を吸いこむと、煙草に火がつき、ぱちぱちと小さくはぜた。

 細い煙と共に、癖のある甘い香りが立ちのぼる。

 所々小さな焦げ跡のあるテーブルの上に足を投げ出し、男は大きく伸びをした。深く息を吸いこみ、肺まで煙を落としこむ。

 ほどなくして、薄い糸のような煙を吐き出すと、じろり、と眼球だけを動かした。褐色の肌をしているせいか、白目がよく目立つ。


 テーブルをはさんだむかいには、初老の男が座っている。表情こそへらへらと媚びへつらっていたが、人差し指はテーブルを小刻みに叩いていた。

 煙草を咥えた男と初老の男の他に、室内にはもう一人、男がいた。その場にいる者の中では一番歳若い。煙草をふかしている男を威圧するように、また、初老の男を守るように、直立不動の姿勢をとっている。

 初老の男も直立している青年も、同じ鎧を身に着けていた。マントの色だけが違う。おそらく階級を表すものなのだろう。


「ご納得いただけましたかな、クリシュナ殿」


 初老の男は、努めて穏やかな口調で尋ねた。

 だがそれとは裏腹に、広い額には血管がくっきりと浮き出ている。

 

 クリシュナと呼ばれた男はゆっくりと身体を起こす。テーブルに両手をつき、初老の男の方に身を乗り出すと、その顔にふーっと煙を吐きつけた。

 初老の男はたまらず顔をそむけ、激しく咳きこむ。

 にいぃっとクリシュナの形のいい唇が吊りあがる。隙間から鋭い犬歯が覗いた。


「納得できるわけねぇだろ、阿呆か」


 無秩序に伸ばされた灰白の髪をかきあげ、クリシュナは傲慢に言い放った。


「まず第一に、アポなしで来たくせに手土産の一つもねえとかマジありえねえ。そこにちゃんと脳味噌入ってんのか? もし俺の故郷でそんな無礼な真似した日にゃあ、市中引きまわしで老若男女に石ぶつけられたって文句言えねえ。しかも来たのは、そりゃもう見事にハゲ散らかしたおっさんと雰囲気イケメンの二人組。人様にものを頼みたかったら、脚の綺麗な薄着のねーちゃんを二十人ぐらい連れてこいや! ったく、最近の野郎は礼儀ってもんが全然わかってねえなぁ! それとも何か、この超絶天才絶倫美形俺様のことを森暮らしの田舎モンだとか思って舐めてんのか、あぁ?」


 クリシュナは唾を飛ばすほどの勢いでまくし立てる。

 いや実際に大量の唾が飛んでおり、対面に座っている初老の男はまともにそれを浴びた。初老の男は汗を拭うふりをして顔をハンカチで押さえる。苦笑いをするほかない。


「それによ、お前らはあるはずのないものを渡せって俺様に言ってんだ。『はいどーぞ』って納得できるほうがおかしいじゃねえか」


 クリシュナは初老の男の肩を叩き、顔を覗きこんだ。同意を強制するように、鋭くにらみつける。どこか爬虫類を思わせる瞳をむけられ、初老の男は無意識にすくみあがった。

 初老の男のうしろに控えていた青年は異変を察し、反射的に腰に帯びた剣に手を伸ばす。だが、初老の男はすぐにそれを仕草で制した。


「先ほども申しあげましたとおり、これは火急の事態にございます。我が国クベラの命運に関わるほどの大事。どうしても殿下を引き渡していただけぬというのであれば、こちらにも考えが――」

「どんな考えがあるって?」


 クリシュナの瞳に剣呑な光がともる。

 その瞳を見ただけで、初老の男はすぐさま前言を撤回したい衝動に駆られた。全身を流れる血が一瞬にして凍りついてしまったのかと思うほど、身体のすべてが冷たい。


「殿下なんてのはいないって、あんたのほうがよーく知ってんだろ。十数年前に殿下――いや違うな。何も知らない生まれたばかりの赤ん坊に『災厄の子』だとかっていう、けったいでクソふざけたあだ名を付けてたよなぁ。その『災厄の子』を死人にしたのはあんたらの王、タイクーンだ。違ったっけか?」

「で、ですが、確かにあの時、あなたは殿下を連れさらって行かれたではありませんか!」


「だから?」


クリシュナはごく短い言葉で聞き返す。

たったそれだけで、初老の男は二の句を継げなくなった。


「そんなことより、なんであんたらはここに来れた? 俺様クラスの天才か、よっぽど運か勘がいい奴じゃない限り、俺ん家には辿り着けねぇような細工がしてあったはずだけど。……まさか、ナーレ坊やがバラしたんじゃねえだろうな」


 ここ数分で一気に老けこんだ初老の男から、隙あらば剣の柄に手をかけようとしている青年の方へと、クリシュナは視線を移す。

 クリシュナが暮らしているハリの森は、地図に名前が載ってはいるが特に人の口にものぼらないありふれた森だった。だが、クリシュナの住居であるこの小屋や、その他一部区域には人が立ち入れないように目くらましの術をかけている。自由に行き来ができるのは、クリシュナの他に二人しかいない。


「ク……師匠。誰か来てるの?」


 不意に、部屋の扉が開いた。

 その隙間から金の髪の少女――サヴィトリが顔を覗かせる。


 クリシュナは苦虫を十匹ほどまとめて噛み潰したような顔をし、煙草をテーブルに押しつけてひねり潰した。テーブルについた手を支えとして初老の男とテーブルとを飛び越える。

 唖然としている初老の男と青年を尻目に、クリシュナは扉を足で押さえつけた。サヴィトリは危うくはさまれそうになる。


「大人の会話だ。ガキは出てけ」

「大人――ああ。また嘘の連絡先教えられて、変な新興宗教に入信しかけた? でなければ慰謝料目当てのできちゃった詐欺に引っかかった?」

「阿呆! 人聞きの悪いこと言うんじゃねぇ! ……確かに色々引っかかってるけどよ、あのそのまあ、な。大人になると色々あるんだよ、色々!」

「あっそ。じゃあちょっと通りますよ」


 クリシュナが取り乱しているうちに、サヴィトリは扉を押し開けようとした。

 慌ててクリシュナは押し返す。だが、思いのほか外側から強い力がかかり、サヴィトリが部屋の中に入るのを許してしまった。


「お忙しいところすみませーん。失礼しまーす」


 サヴィトリの後に続いて、ヘタレっぽい雰囲気の茶髪の青年も中に入ってきた。頭をさげ、人好きのする笑顔をクリシュナにむける。


「おいサヴィトリ! お前こそどういう了見だ! この家に野郎を連れこむなんざ、俺様は許した覚えはねえぞ!」


 サヴィトリと茶髪の青年の行く手を遮るように、クリシュナは壁に拳を叩きつけた。木の壁がみしりと小さく悲鳴をあげる。


「ジェイ、あきらかに不純異性交遊を疑われているから責任とって切腹して事を収めて」


 茶髪の青年――ジェイの肩をぽんと叩き、サヴィトリは軽薄に微笑む。


「……ねぇ、それって俺死んじゃうんじゃない?」

「当たり前だ。切腹して生き残るなど武士の恥と知れ」

「俺は武士じゃないけど」

「武士でなくても男の謝罪は切腹と決まっている」


(……昔からちょっとネジぶっ飛んだ子だったけど、今はもっと重要なパーツがぶっ飛んじゃってる気がする)


 ジェイは頭をかかえ、こっそりとため息をついた。が、心の声がしっかり漏れ出ていたため、鳩尾にえぐるようなブローをいただいた。


(こいつどっかで見たことあんなぁ……?)


 クリシュナは腕組みをし、不躾にジェイの顔をながめる。

 女の顔と身体は覚えるが、男の顔はめったなことでは覚えない。にも関わらず、ぼんやりとはいえ自分が覚えているということは、それなりに重要な人間なはずだ。

 地味な茶髪に地味な面。どこにでもいそうなありふれた顔だから、既視感を覚えただけ……?

 クリシュナが記憶を辿っていると、ふと、該当する顔が浮かんだ。最後に会ったのは数年前だが、成長させれば、目の前の青年の顔になる。


「……ん、ジェイって、おお、ほら、あれ。町の肉屋のガキか。ボーグのおっさんとこの。うちによく飯作りに来てたよなあ?」


 クリシュナの問いかけに、ジェイはぱっと表情を明るくした。

 そうですそうです! すぐに気付いてくださってありがとう! 本当にありがとう!! と今にもむせび泣きそうな顔をし、ジェイはクリシュナの両手を握って上下に揺すった。


「相変わらず存在感の薄い面してんなぁ。ボーグのおっさんから、こせがれがコックの見習いになったとかって話は聞いたけど、仕事はどう――」


 なれなれしくジェイの背中を叩いていたクリシュナの手がぴたりと止まる。

 初老の男ら――北方の国クベラの近衛兵と同じ軽鎧を、ジェイも身に着けていた。クベラの紋章までしっかりはいっている。


「コックの格好、じゃあねえよな」


 寂しげに呟き、クリシュナはサヴィトリの手首をつかんで自分の方へと引き寄せた誰の目にも触れさせないように腕で抱えこむ。


「師匠?」


 サヴィトリにはわけがわからない。

 息苦しさにもがくが、より拘束する力が強まってしまう。


「あの時寂しがってたからって、やっぱ親しいオトモダチなんてもんを作らせるべきじゃなかったか。よりによって、クベラの犬なんぞに成りさがってたとはな」


 クリシュナは自嘲気味に言い、深くため息をついた。


 自分とサヴィトリともう一人――今はここにいない弟子の他に、自由に小屋へ行き来できる人物が、あと一人だけいたことをクリシュナは思い出す。

 確かナーレンダが出て行き、サヴィトリがふさぎこんでいた時にできた友達だった。いや、もっと前から友達だったかもしれない。クリシュナは今まで決して、サヴィトリが友達を連れてくることを許さなかったが、その時だけは情にほだされてしまった。

 気難しいところのあるサヴィトリの、初めての同年代の友達になってくれたジェイという平凡な少年に、ハリの森にかけた術の抜け方を教えても、これといって問題は起こらなかった――今にいたるまでは。


「そのお方が、殿下――サヴィトリ様でございますな」


 初老の男は興奮したように席を立ち、サヴィトリにむかって恭しくひざまずいた。

 初老の男にならって、青年も同じようにひざまずく。

 ジェイは困ったように眉尻をさげ、おろおろと落ち着きなく周囲を見まわす。自分もひざまずくべきか、態度を硬化させたクリシュナに頭をさげるべきか、迷っているのだろう。


「ふん、ご尊顔を拝めただけでも充分だろ。さっさと出て行け」

「サヴィトリ様がご存命であるとこの目でしかと確認した以上、なおのことこのまま引きさがるわけには参りませぬ。どうかせめて、サヴィトリ様と話だけでも……」


 初老の男は額を床にこすりつけて頼みこむ。

 クリシュナは鋭い犬歯をむき出しにして笑った。初老の男の後頭部をためらいなく踏みつけ、踵でぐりぐりとにじる。


「てめえの面はちゃんと覚えてるぜ。十数年前、こいつを処分しようとしてた奴らの一人だったな。歳食ってハゲ散らかした頭の一つをさげたぐらいで、罪が悔い改められると思ってんのか!」


 クリシュナはぐっと足に力をこめ、そのままサヴィトリもろとも身体を低く屈めた。わずかに遅れて、クリシュナ達の頭上を白刃がひらめく。剣風が髪の毛をかすめる。

 状況に耐え切れず、近衛兵の青年が抜刀していた。


「先輩っ!」


 ジェイが悲鳴のような声をあげる。


 抱えていたサヴィトリをジェイの方に突き飛ばし、クリシュナは大上段から振りおろされた剣を素手で受け止めた。正確には、クリシュナの手のひらに触れる直前で、何か見えない力に阻まれている。

 クリシュナが犬歯をむき出しにする特徴的な笑みを浮かべると、まるで彼を嫌うように、鋼鉄の刀身が渦巻き状に丸まった。

 蛇のようにとぐろを巻いてしまった剣を見て、青年は呆然とするしかない。

 クリシュナは笑いながら青年の顔をわしづかみにした。青年の身体を片手で軽々と持ちあげ、丁寧にガラス戸を開けて窓から外へと投げ捨てる。人間に対する扱いではなかった。


「玄関から帰るのと、こっちから帰るのと、どっちがいいか選ばせてやる」


 窓の外を眺め、クリシュナは言った。

 ジェイは初老の男を丁重に抱え起こすと、クリシュナにむかって頭をさげた。


「ごめんねサヴィトリ。一緒に料理できる雰囲気じゃないみたい」


 サヴィトリとすれ違いざまに、ジェイは弱々しく笑う。


 突然、初老の男はジェイを突き飛ばした。おぼつかない足取りでクリシュナに近付き、すがりつく。


「クリシュナ殿! このままでは建国より受け継いできたタイクーンの血筋は途絶え、遠からず我が国は滅びます。我が国の大師であったあなたがクベラを見捨てるおつもりか!? どうか、どうかご慈悲を!」


 クリシュナは笑った。

 裂けたのかと思うほど口角を吊りあげ、鋭すぎる犬歯をむき出しにして。


「国なんて全部、滅んじまえ」

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