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1-1 羽ばたきの音

 枝にとまり、羽を休めていた鳥が一斉に飛び立った。

 枝葉の間をかいくぐり、羽根が抜け落ちるのも気にせず、鳥達は青く安全な空を目指す。

 のんびりと木の実を食んでいた小さな獣も、全身の毛を逆立て、森の奥へと駆けていく。


 自然が起こした警戒音に、少女は面倒そうに目蓋を持ちあげた。

 木の股にはさまるようにして眠っていた少女は、やる気なくぷらぷらと足を揺らす。

 左手の中指に銀の指輪がきちんとはまっている事を確認し、少女は身体をほぐすように全身を揺さぶった。

 肩のあたりまで無造作に伸ばされた、柔らかい陽光のような金色の髪。

 常緑樹の葉に似た深い緑色の大きな瞳。

 どこか儚げで可憐な容貌とあいまって、森に棲む妖精や精霊の類と見まごうほどだが、顔に表れた寝起きの不機嫌さがすべてを台なしにしていた。

 眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げたまま、不機嫌な少女は木から飛びおりた。

 地面に手をつき、ゆらりと立ちあがる。


 それとほぼ同時に、少女から見て右にある茂みから深緑の装束の男が二人、飛び出してきた。鍔のない短剣を携え、体勢を低くして少女にむかって駆ける。


 少女は眉間の皺をより深くし、後方へと飛びのきながら左手中指の指輪を自分の唇に押し当てた。その行為に呼応し、指輪にはまった空色の石が淡く発光する。

 次の瞬間、石は色をなくし、少女の手には青みがかった半透明の短弓が携えられた。少女が弓を引き絞ると、弓と同色の矢が手の中に自然と現れる。


「このハリの森では獣も人も皆同じ。殺されても文句は言うな!」


 少女らしからぬ低い調子で吠え、ためらいなく装束の男にむかって矢を放った。

 矢は白い軌跡を残し、うなりをあげて一直線に飛ぶ。一人の男の左肩をかすめる。するとそこを起点として、菌が繁殖するように男の身体が青みがかった氷に覆われていった。一呼吸もしないうちに一体の氷像ができあがる。


 その間に、もう一人の装束の男は少女との距離を詰めていた。

 短剣を腰だめに構え、少女の腹部に目がけてまっすぐに突き出す。


 だが、短剣は少女の身体に届かなかった。

 男の腕は、あと一歩というところでなぜか止まってしまった。動かそうという意思はあるのに、それ以上動かない。踏みこんで距離を詰めようにも、足もまた、動かなかった。

 自分の身体に目をやると、矢を受けた男と同じように、足元から急速に凍りついていた。すでに胸のあたりまで凍ってしまっている。


 装束の男が凍り始めたのは、少女が木からおりて手をついた場所を踏んだ時だった。

 わけがわからないまま、男の視界は氷によって永遠に閉ざされた。


「はぁ、やはり役立たずでございました。実戦経験のないお子様は駄目なのでございます。突進するしか能がない上に、あんな露骨な罠に気付かないなんてでございます」


 どこからともなく一人の女が現れる。

 正確には、女と呼ぶべきか少女と呼ぶべきか微妙な年頃だった。

 森を歩くには不釣り合いなパフスリーブのワンピースを身にまとい、フリルで装飾された少女趣味な日傘を差している。瞳が大きく可愛らしい顔立ちに似合っているからまだ良いものの、街中を歩くにはなかなか勇気のいる服装だ。


 森の中で迷ったどこぞのお嬢様――がもっとも自然な解釈だろうか。先ほどの発言さえなければ。

 会話をするにはいささか遠い距離で女は立ち止まり、少女にむかって礼をした。


「あなたがサヴィトリ様でございますね?」


 女はにっこりと微笑み、確信をもって尋ねる。


→「はい」

 「いいえ」


 ふと少女の頭の中にそんな二つの選択肢が浮かぶ。

 こういう時は、大抵どちらを選んだとしても結果は一緒だ。面倒事に巻きこまれるに違いない。


「確かに、私の名はサヴィトリという。だがそれを確認することになんの意味がある? いきなり殺そうとしたというのに、順番が違うと思うが?」


 少女――サヴィトリは弓をつがえ、矢尻を女の顔にむけた。剣で斬りつけるには距離があるが、矢は十分に届く。


「ごもっともなのでございます。先走った苔むした色の阿呆どものせいですが、御しきれなかったこちらにも非があるのでございます」


 女は深々と頭をさげた。


「念のため再度ご確認させていただきますが、『災厄の子』という予言のおかげで廃嫡され、このハリの森で隠棲することになったサヴィトリ様、でお間違いないでしょうか」

「……またそれか」


 サヴィトリは肩をすくめ、重苦しいため息をつく。自分に用事があるのはこんな輩ばかりだ。


「またこれなのでございます。うちの組合だけでももう七十八件、同じお依頼が来ているのでございます」


 ――サヴィトリ殿下の暗殺。

 柄を軸に、差していた日傘をくるりとまわし、女はいわくありげに目を細めた。


「それでお前は、これからどうする? お粗末な不意打ちは失敗。『今のはほんの小手調べだ』と使い古された大口を叩いて氷像になった奴らは腐るほど見ている」


 サヴィトリはにぃぃっと口の端を吊りあげる。

 一緒に暮らしている養父がよくこういう笑い方をするため、自分にもこんな凶悪な笑みがうつってしまった。挑発にはいいが、日常生活には必要のない笑い方だ。


「……なるほど、でございます」


 やや間を置き、女は嘆息する。


「このようなケダモノがお相手では失敗も当然なのでございます。雲行きも怪しいですし、今日は帰らせていただくのでございます」


 と言って女は空を仰ぎ見た。

 つられてサヴィトリも空に視線をむける。

 そよそよと雲の泳ぐ、澄んだ青い空だった。


 次にサヴィトリが視線を戻した時にはすでに、そこに女の姿はなかった。


「ちなみに、あたしはニルニラと申します。まだまだ腐ったご縁がありそうなので、よかったら覚えていてくださると嬉しいのでございます。サヴィトリ様」


 どこからか女――ニルニラの声だけが響く。


(名は体を表すと言うが、あの女、ニラみたいな頭の色してたな)


 余計なことを考えつつ、サヴィトリは注意深く周囲を見まわす。が、どこにもその姿はない。

 しばらくの間、サヴィトリはそのまま弓をつがえていたが、鳥の穏やかな鳴き声が聞こえ、ようやく弓をおろした。弓が発光して消え失せると、指輪の石に空色が戻る。


 サヴィトリは細く息を吐き、指輪を撫でた。

 九年前ぶかぶかだった指輪は、今は皮膚のようになじんでいる。


(……あれから、手紙の一通もくれなかったな。ナーレは、どれだけ変わってしまった?)


 夢で見た少年の顔を思い、サヴィトリは服の胸元を強く握りしめた。

 穏やかな空色の髪も、猫の目のような金色の瞳も、いじわるで怒りっぽくて、でもお節介で優しかったことも、すべて色あせずに覚えている。

 だがきっと、自分が成長したように、相手も変わっているだろう。いつまでも記憶のままであるはずがない。


(でもよりによって、どうしてクベラなんかに行ったんだろう。師匠が一番嫌ってる所なのに)


 師匠――クリシュナはサヴィトリとナーレの養父だ。現在もサヴィトリと二人でこのハリの森で暮らしている。


 クリシュナは、クベラという国を蛇蝎視していた。

 以前どうして嫌いなのか尋ねたところ、「とにかく全部が気に食わねぇ」と言っていた。その理由のうちの一つに、自分が深く関わっているのだろう、とサヴィトリは思う。

「とにかく全部が気に食わねぇ」ような所に、養い子としても術の弟子としても育ててきたナーレを行かせてしまったのかわからない。ぎゃあぎゃあ騒ぎ散らしていたのは幼い自分だけで、クリシュナが反対していた記憶はなかった。


 サヴィトリは空を仰ぎ、意識して息を吐き出す。今日の森の中の空気は、何故だかいつも以上に重苦しいような感じがした。

 ハリの森での生活が無条件に心地良かったのは、あの時までだった。ナーレが出て行き、養父のクリシュナのことを「師匠」と呼ぶようになってから、年々胸の中におりが溜まってきているような気がする。


(本当に迎えに来てくれるのかな……)


 雲の流れる空を見上げていると、サヴィトリは急に不安に襲われた。

 この九年間、ナーレとの約束は一度たりとも忘れたことはない。だが、相手もそうである確証はどこにもない。


 二体の人間の氷像のことなどお構いなしに、サヴィトリが感傷に浸っていると、不意に茂みが大きく動いた。ちょうど、一番最初に深緑の装束の男が飛び出してきたあたりだ。

 サヴィトリの目が見る見るうちに吊りあがる。

 再び指輪にくちづけ弓を取り出すと、警告もなしに茂みにむかって氷の矢を連続で撃ちこんだ。茂みが大きく揺れ、凍りついた葉が舞う。


「ちょっ、まっ、待って待って待って! お願いだからほんとに待って! ほんとほんと! ほんとすいません! いくらと言わず財布ごと出します! 靴下と靴底の中に隠したお金も出しますからちょっと待ってお願い!!」


 わけのわからないことを叫び散らしながら、一人の青年が茂みから転がり出てきた。装束の男ではないし、ニルニラでもない。


 サヴィトリは無表情で、照準を茂みから青年へと移す。


「ぎゃあああっ! やめてやめて! ピンチに陥った時に華麗に助けに入って恋愛フラグ立てちゃおうなんてヨコシマなこと考えててすみません! 完全に出て行くタイミング失いました! ほんっと俺って空気読めないばかばかばかっ!」


 おかしな青年は頭を振り乱し、自分の頭を拳で殴りつける。


「うるさい」


 露骨にうっとうしそうな顔をしたサヴィトリは、足元にあった小石を青年に投げつけた。

 小石は青年のこめかみを正確にとらえ、見事に沈黙させる。


(嘘だ、みんな騙されてる……今の投げつけてきたのは絶対に小石じゃなくて人の頭くらいあるとげとげ石だった……!)


 何やら謎の思念が飛んできた気がする。

 しかし、サヴィトリが投げたのは紛れもなく小石だ。サヴィトリが小石だと認識しているのだから、それがどんな大きさであれ「小石」でしかない。


 あれだけ騒がしかったのが嘘のように、石を食らった青年は地面に倒れこんで動かない。


(当たり所が悪かった?)


 ほんの少し不安になったサヴィトリは、そっと青年の方に近寄ってみる。

 かるーく挨拶代わりに小石をぶつけた程度で死なれては、青年がどんな人間であったとしても後味が悪い。


 歳はサヴィトリとそう変わらないように見えた。顔立ちは整っているが、どこか平凡な印象を受ける。

 マントのついた軽鎧を身に着け、腰には両刃の剣とトンボ玉のついた房飾りを帯びていた。ありふれたデザインの鎧と剣だったが、素人目にも高級な素材を使っていることがわかる。

 また、鎧の前当てには正方形を二つ直角に重ねた形に、三叉戟を組み合わせた紋章が描かれていた。どこかの国の紋章だったような気がするが、そういったことにうといサヴィトリにははっきりとはわからない。


 とにかくこの青年は、少なくとも一般市民ではなさそうだ。


「あー、いって~。ホント相変わらずひどいなぁ、サヴィトリ」


 さらさらとした栗色の髪をかきむしりながら、青年は身体を起こした。


(なんだ、生きてた)


 サヴィトリは安心したような残念なような気持ちになる。

 そんなサヴィトリの心中など知らず、青年はサヴィトリの顔を見て、なぜかにっこりと笑った。


「久しぶり、サヴィトリ」

「……誰?」


 サヴィトリは思いっきり眉間に皺を寄せ、首をかしげる。どの記憶をたぐり寄せても、目の前の青年の顔は出てこない。


 数秒の静寂の後、青年の顔がくしゃくしゃに歪む。


「うそぉっ! なんで覚えてないの!? 俺オレおれ! 幼なじみのジェイだよ、ジェイ!」


 青年――ジェイは自分の顔に指を差して必死にアピールをする。


「知らない」

「あ、そっか。こんな格好してるからわかんなかったんだよね。俺、クベラで出世したんだよ~。近衛兵だよ、近衛兵。花形の職だよ。すごくない?」

「だから知らない」

「つい二年前まで一緒に遊んでたじゃん! 肉屋の三男で、得意料理はコロッケとテールシチューとタルトタタン!」

「……わかった」


 かたむいていたサヴィトリの首が元に戻った。

 ジェイは安堵に笑みをこぼすが、一瞬の後、恐怖によって塗り潰される。


「師匠が言ってた。『俺達知り合いだよね』的なことを言う奴は、ろくでなしのナンパ野郎だって。それに、ジェイとかいう名前も偽名くさい」


 サヴィトリは邪気なく微笑み、取り出した弓をジェイの眼前でつがえた。

 ジェイは砂埃が舞いあがるほどものすごい速度であとずさり、もげるほどの勢いで首を横に振る。


「ちょっ、俺が親にもらった大事な名前になんてことを! 本当に俺達は幼なじみなんだってば! 俺はちゃんと全部覚えてるのに、なんでサヴィトリは全然覚えてないんだよ!? 君の名前はサヴィトリ。ハリの森でクリシュナっていうお師匠さんと二人暮らし。好きな食べ物は卵料理と果物を使ったデザートで、嫌いな食べ物はアスパラガスとピーマン!」


「……本当にわかった。ごめん。ナンパ野郎じゃなくて、変態ストーカーだったんだな」


 氷の矢がサヴィトリの手から離れる。

 何よりも先に、ジェイの表情がぴきりと凍りついた。

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