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3-4 陽光との契り

 滞在中はこちらの部屋をお使いください、とカイラシュに案内されたのは、タイクーンの私室以上に物のない部屋だった。

 壁と一体になっているクローゼットを除くと、実質ベッドしか置かれていない。だが、バルコニーへと続く大きな窓があり、外から差しこむ光が多いおかげで寂しい印象はあまりなかった。


 カイラシュの私室ということで、サヴィトリはもっと華美なものを想像していた。あでやかな風貌のわりに言動もきびきびとしている。

 そんなサヴィトリの心のうちを読み取ったのか、「雑事を含めほとんどを隣の執務室ですませてしまうので」とカイラシュは気恥ずかしそうに微笑んだ。


「客間をとも思ったのですが、わたくしの執務室よりいささか距離がありますゆえ。必要なものがあればすぐに取り寄せますのでどうぞご容赦ください」

「いえ、雨風を防げるだけでも十分なのに、なんだか申し訳ないです」


 サヴィトリは必要以上の勢いで首を横に振った。


 お前には意地やプライドがないのか、と非難されるかもしれないが、サヴィトリはカイラシュの申し出を受け入れ、「行儀見習いに来たアースラ家の遠戚の娘」という肩書きで禁城に滞在することにした。異国の地の道端で寝泊まりするわけにはいかない。

 そもそも無計画で飛び出してきた自分が悪いのもわかっているが、「利用できるものはなんでも徹底的に利用しろ」が養父クリシュナの教えだ。たとえ恨むべき相手であっても、他人の厚意は素直に受け取る。


「そんなにかしこまらないでください。わたくしの部屋をサヴィトリ様に使っていただけるなんて身に余る光栄です」


 カイラシュは艶やかに微笑むと、ゆったりと頭を垂れた。

 サヴィトリは更に恐縮してしまう。


「あの、その『サヴィトリ様』っていうのやめていただけませんか? なんだか落ち着きませんし、私は後継ぎでもなんでもないわけですから」

「サヴィトリ様のご命令とあらば、改めさせていただきます」


 カイラシュは微笑みを崩さず答える。

 ならば今すぐ改めろ、カイラシュ。

 と喉から出かかったが、サヴィトリは慌てて命令を飲みこんだ。いくらなんでも今日会ったばかりの人物に、冗談であってもそんなことは言えない。


「昼食には少し遅いですが、サヴィトリ様さえよければ一緒にお食事でもいかがですか? 慌ただしくさせてしまったお詫びに」


 身長差があるためか、カイラシュは少しかがみ、サヴィトリの顔を覗きこむようにして提案した。

 じゃあお言葉に甘えてとうなずきながら、サヴィトリはカイラシュの顔に見入ってしまう。

 間近で見てもカイラシュの美しさには粗がない。トゥーリにももちろん美人だと思う人はいたが、ここまで作りこまれた容貌はなかった。

 おそらくカイラシュの歳は二十代前半といったところだろう。五、六年先の自分を想像してみても、あそこには辿り着けそうにない。


(髪を伸ばすだけでも違うかな?)


 サヴィトリは肩に届くかどうかといった自分の髪の毛をつまむ。それ以上伸ばすと色々面倒だ、と過去にナーレに言われてから一度も長くしたことがない。


(……やめよう)


 サヴィトリは意識してゆっくりとまばたきをする。そんな気の長いことは後で考えるべきだ。

 カイラシュが不思議そうな顔をしていたので、慌てて笑みを作った。


* * * * *


 城の中でカイラシュに割り当てられた部屋は三部屋あり、一つがサヴィトリが寝泊まりすることになった私室。もう一つが業務を執りおこなったり、来訪者との面会などに使われる執務室。その他に食事や軽い休憩を取るための部屋があった。

 三つの部屋は横並びになっており、直接通路とつながっているのは執務室だけだった。外から来た者が私室に行くなら、執務室と休憩室を通らなければならない。安全面を考えて、サヴィトリを私室に滞在させることにしたのだろう。逆にサヴィトリの身に危険を及ぼすものがあるとも言える。

 建前上、アースラの遠戚、ということになっているが、サヴィトリの本当の素性を知る者は少なからずいる。カイラシュのように諸手を挙げて歓迎してくれる者もいれば、殺したいほど目障りだと思う者もいるだろう。


 サヴィトリがあまりよくない推量にふけっているうちに、休憩室のテーブルに食事が用意された。料理の香りとほんのり温かな湯気によって思考が中断される。

 あまりお腹がすいている自覚はなかったが、目の前にした途端、耐えがたい空腹感に襲われた。


「お口に合うかわかりませんが、どうぞ」


 テーブルのむかいに座るカイラシュがうながした。

 こうして差しむかいで食事を取ると、サヴィトリはクリシュナと二人で暮らしていた時のことを思い出す。今頃どうしているのか気になったが、努めて考えないようにした。


「サヴィトリ様は何か目的があってクベラにいらっしゃったのですか?」


 ソテーされた白身魚にナイフを入れながら、カイラシュは尋ねた。

 ちょうどちぎったパンを口の中に入れてしまったサヴィトリは、咀嚼しながら答えを考える。

 しいて言うならナーレを探すことがクベラに来た目的だ。だが、あくまでそれは後付けであって、実際にはクリシュナに反発してここまで来てしまった。ようするにただの家出だ。


(ま、全部正直に話す必要はないか)


 パンを飲みこみ、サヴィトリは結論を出した。


「人を探しに来たんです」

「人探し、ですか。サヴィトリ様さえ差支えなければ、その方について教えていただけませんか? 何かご協力できることがあるかもしれませんし」

「えっと、名前はナーレンダっていいます。私はナーレって呼んでたんですけど。あの時二十になるかならないくらいかだったから、今はもう二十八、九かな。そういえば西の方の出身だとも言ってました。あと……炎。炎の術が使えるんですけど、炎が青いんです」


 サヴィトリは自分の持っている情報を懸命に言葉にする。ナーレンダとの思い出はたくさんあったが、他人にナーレンダがどんな人物なのか説明できるような記憶はあまりなかった。

 更に言うなら、ナーレンダがクベラにいるかどうかも疑わしい。本人から直接クベラに行くとは聞いたものの、もう十年近く前のことだ。今も同じ場所に居続けているとは限らない。

 己のすべてがあまりにつたなく浅はかで、サヴィトリは頭が痛くなった。


「きっと見つかりますよ、サヴィトリ様」


 カイラシュは優しく慰めの言葉をかける。


「人ひとりを探すくらい、諜報よりもはるかにたやすいことです」

「……諜報?」


 穏やかでない単語を耳にし、サヴィトリは思わずおうむ返しにしてしまった。


「はい。補佐官の仕事の一つです」


 さもありふれたことのようにカイラシュはうなずく。


「……補佐官って、一体なんなんですか?」


 サヴィトリは眉根を寄せ、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 国の上級官吏を公然と批判し、タイクーンに対しても軽口を叩ける。絶世の美女であるとはいえ、それで甘く見てもらえる言動の範囲を完全に超えている。


「タイクーンの愛人だとでも思いましたか?」


 カイラシュに言われてから、サヴィトリはなるほどと思った。親子ほども年齢が離れているがありえない話ではない。


「違いますからね、サヴィトリ様。そんな話があってもこちらから願いさげです」


 きっちりと否定し、カイラシュは席を立った。筆記具を持って、サヴィトリの隣の席に座る。


「もののついでですから、補佐官だけでなく他の官職についてもご説明いたしましょう」


 カイラシュは喋りながら、紙に何かを記していった。

 タイクーン、大師、左丞相、右丞相、補佐官。


「まず、ご存じとは思いますが、クベラの頂点に座すのがタイクーン。その下に最高位の官職が三つあります。それが大師、左右の丞相。

 大師というのはタイクーンの補佐と、左右丞相に対する監査が主な役割です。タイクーンが幼い場合など、代わりに政務を取りしきることもあるとか。その他、国の特別機関である術法院を直轄しています。現在、適任者がいないため欠官となっております。

 左丞相は主に軍事に関する政務、右丞相は禁中に関する政務をそれぞれ管掌しております。ちなみに、サヴィトリ様が道中一緒だったジェイ殿は近衛兵であり右丞相の管轄、ヴィクラム殿の所属する魔物討伐部隊・羅刹は左丞相の管轄になります」


 カイラシュは説明しつつ、紙に書いたそれぞれの役職名から矢印を出し、管轄している機関を書きたしていく。


「わたくしの役職である補佐官は少し特殊で、アースラ家の当主しか就くことができません。タイクーンにのみ従属します。大師同様、タイクーンの補佐が主な役割ですが、もっと密接な関係、とでも言いましょうか。ああ、誤解なさらず。色気のある意味ではありませんよ。タイクーンの望みを公私問わずすべて叶える侍従、と思っていただければ結構です」


 カイラシュの話を聞き終えても、サヴィトリには補佐官が一体なんなのかよくわからなかった。どうして諜報活動が仕事の一つなのかという具体的な説明もない。

 サヴィトリが首をかしげているのを見て、カイラシュは更に付けたした。


「タイクーンがお腹がすいたと仰ればすぐさま食事を用意するのと同じように、タイクーンが敵国の情報を知りたいと仰った時に調査結果をお渡しする。つまりタイクーンの望みであれば、料理も嗜好品も情報も敵将の首級も、補佐官にとっては等しく速やかに用意すべきものなのでございます」


(今この人、さらっと怖いこと言ったような……?)


 熟考した結果、サヴィトリは怖い部分を聞き流すことにした。


「カイさんは、なろうと思って補佐官になったんですか?」


 話を聞く限り、補佐官というのは並大抵の業務ではない。失礼だと取られるかもしれないが、カイラシュほどの優れた風采ならもっと他に楽な身の振り方があるような気がする。


「いいえ。宗家は末子相続ですので、わたくしが継ぐことは決められておりました。なる・ならないなどという個人の感情を差しはさむ余地などありません」


 サヴィトリの手が止まっているのを見て、「他愛のない話です。どうぞ召しあがりながら聞き流してください」とカイラシュはうながす。

 ためらいがちにではあったがサヴィトリが食事に手を付けるのを確認してから、ですが、とカイラシュは言を継いだ。


「幼い頃、わたくしは約束したのです。ラトリ様と、サヴィトリ様に」


 ラトリという名前は前にもカイラシュの話で出てきた。サヴィトリの母親の名前。


「私はカイさんに会った覚えがないけど……」

「ええ、覚えているはずもありません。わたくしが父に連れられ、初めて登城した時のことですから。父とはぐれ、迷いこんでしまった離宮にラトリ様がいらっしゃいました。なんの不安もなく眠る、赤子であったサヴィトリ様を抱いて。

 わたくしにはお二人が陽光の化生のように思えました。見慣れない金の髪が子供の目には神々しく映っただけなのかもしれません。しかし、その時に芽生えたお二人に対する畏敬の念は、いまだ成長し続けております。

 ラトリ様は見ず知らずの子供であるわたくしに、とてもよくしてくださいました。そして、きっと戯れだったのでしょう。『この子が大きくなって、もし困っていたら助けてあげてね』と。それが、わたくしの誓いになりました」


 カイラシュは胸に手を当て、そっと目蓋を閉じた。

 言った本人にとっては軽いものだったのだろう。だが、カイラシュにとっては重く尊い誓約になった。

 サヴィトリは自分の左の中指の指輪に触れた。指輪にはまった空色の石はいつでも冷たい。


「あの時お守りすることは叶いませんでしたが、どうかもう一度、わたくしに機会をお与えください」


 カイラシュはサヴィトリの手を両手で包みこんだ。そのまま、祈るように手を自分の額に当てる。


「サヴィトリ様にタイクーンの座に就いていただくのがわたくしの最上の望みです。ですがそれはサヴィトリ様の望まぬところでしょう。ならばせめて、あなたの命と意思を守ることをお許しください」


 カイラシュは面をあげ、伏せ目がちにサヴィトリを見つめる。

 サヴィトリはややわざとらしいと思わないでもなかったが、神経のほとんどがカイラシュの秋波にやられていた。頬がにわかに熱くなり、意思と関係なく頭を縦に振ってしまう。あと少し押されれば、うっかりタイクーンの後継になることも了承してしまいそうだ。


(これ以上は流されちゃだめだ)


 サヴィトリはやんわりと手をはずし、心を落ち着かせるように指輪を撫でた。

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