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2 嫌いじゃないけど好きじゃない

(……もし沈黙に質量があるとするならば、およそ百キロぐらいだろうか)


 そんなくだらないことが脳裏によぎり、サヴィトリはこっそりとため息をつく。

 うららかな陽気の中、風光明媚な山道を歩いているとは思えないほどに憂鬱だった。一緒に歩いている相手が、いけ好かない傲岸不遜な無口男でなく、せめてジェイであるなら少しは楽しかっただろう。


 サヴィトリは殺意をこめ、半歩先を行く背中をにらみつけた。サヴィトリに合わせて歩調を緩めているのも気に障る。善意からのものだったとしても、今は嫌味にしか受け取れない。


(何をしているんだろう、私は)


 思わず、サヴィトリの口から大きなため息がついて出る。

 勢いでハリの森――クリシュナのもとから出て行き、まだ数日しかたっていない。それなのに、もう後悔している自分がいた。


 ハリの森を出て、クベラでナーレを探す。そう言って森を出たはいいが、道中のことはジェイに頼りきりで、自分一人では何もできない。

 それに、クベラに着いてナーレを見つけた後、自分は一体どうするつもりなのだろう?


「不安か」


 不意に心中を言い当てられ、サヴィトリはとっさに手で口元を覆い隠す。低い声音は、やけに胸の真ん中に突き刺さった。


「あの一族――アースラは特殊だ。馴染めなくても無理はない」


 ヴィクラムが何を言っているのかわからず、サヴィトリは首をかしげる。

 その時、視界の端に見覚えのあるフリル付きのピンクの傘が見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。


「必要であれば、他家で身元を預かれるよう書状を手配する。だから、そう暗い顔をするな」


 関所の時と同じように、アースラ家の遠戚の娘、とジェイが紹介していたのをサヴィトリは思い出した。サヴィトリが思い悩んでいるのを、ヴィクラムは勝手にアースラ家が原因だと思いこんだようだ。

 今度は見覚えのあるニラのような特徴的な緑色の髪の毛が見えたが、きっとこれも気のせいだろう。


(アースラ、っていうのはよっぽど変な所なのだろうか。どんなお人好しでも、初対面で頭突き食らわすような女の心配なんてしないだろうし)


 サヴィトリはじっとヴィクラムの表情を窺った。

 無表情。

 これに尽きる。

 とりあえず、「もし何かあった時はお願いします」とサヴィトリは頭をさげておく。たとえ気に入らなくても親切は受け取っておけ、と育てられた。


「……そろそろこちらに注目してほしいのでございますが」


 申し訳なさそうに、どこかで出会ったような気がする全身ピンクのフリル日傘女が手を挙げた。


「ん? さっきからやたらと視界にちらちら映りこんでいたがただの通行人だと思って捨て置いていた」

「気付いていたならもうちょっと反応してほしいのでございます!」

「どう考えても面倒にしかならないからやだ。実際もうすでに面倒くさいし」

「こっちだって仕事じゃなければあんたさんとなんか関わりたくないのでございます!」


 ニラ色頭の女は気に障る甲高い声で叫び散らす。薬草を採りに行くだけでも手間だというのに、これ以上厄介事が増えるのは御免こうむりたい。


「ところで、知り合いか?」


 意外と空気の読めるヴィクラムが不毛な争いを断ち切った。


「いや、他人のことをケダモノ呼ばわりしそうな顔をしたニラ女など私は知らない」

「しっかり根に持つタイプでございますね」


 ニラ女は顔をひきつらせ、鋭くサヴィトリをにらみつける。


「前回は数にものを言わせて失敗しましたが、今回はただのお散歩中でうっかり遭遇してしまったため何一つ策がないのですがお覚悟してほしいのでございます!」

「だったら素直に黙って帰れ!」


 サヴィトリは怒鳴りつけつつ、氷の弓でニラ女に射かけた。


「私は公私混同するタイプなのでございます!」


 ニルニラは反論しながら傘で氷の矢を防ぐ。耐久性に優れているのか、破れることも凍ることもなかった。


「わけのわからないことを言うな!」


 サヴィトリは弓を握ったまま、体勢を低くして走った。距離を詰める。その勢いを乗せて、斜め上にすくいあげるように弓を振った。


「弓は殴りつけるものではないのでございます!」


 ニルニラは慌てて傘を閉じ、それで氷の弓を受け止める。


「傘だってそうだろう! 小さい頃傘でちゃんばらごっこをしてこっぴどく怒られた!」

「一緒にしないでくださいでございます!」


 つばぜり合いの状態から、二人ともが同時に、相手を押すようにして後方に飛びのいた。


「……時に、そこに所在なさげにいらっしゃる赤毛の男の方」


 ちらっと、ニルニラはヴィクラムの方に視線をむけた。

 なりゆきを無言・無表情で傍観していたヴィクラムは、応えるようにニルニラを見返す。


「私の目を、見るのでございます」


 ニルニラはヴィクラムの目をしっかりと見つめ、微かに笑った。薄い水色をしていたニルニラの瞳が、一瞬、猫の目のように光る。


「……それなんて邪眼?」

「違うのでございます! これは魅了の目なのでございます!」

「自分で言っていて恥ずかしくないか?」

「ほっといてくださいでございます! とにかく、この目は一度だけ異性を意のままに操れるのでございます!」

「へー解説おつかれさまー」

「あああ本当に嫌な女なのでございます! 赤毛の方、速やかにこの女を倒すのでございます!」


 ニルニラはびしっとサヴィトリを指差し、ヴィクラムにむかって命じた。

 ヴィクラムはおもむろに刀を抜き、感情のない目でサヴィトリを見る。

 次に、何の予備動作もなしに斬りかかった。


「幻術の類は、効かない」


 ニルニラにむかって。


 しかし、ヴィクラムの攻撃は防がれた。

 完全に相手の隙はついていた。だが、ニルニラをかばうようにして、サヴィトリが氷の弓で斬撃を受け止めていた。


「……あれ?」


 自分の行動に、自分自身わけがわからず、サヴィトリは首をかしげる。


「何をしている」

「わかんない」


 サヴィトリは困ったように笑い、距離を取りながらヴィクラムに氷の矢を撃つ。

 ヴィクラムは軽々と矢を刀でさばき、再度、ニルニラを斬りつける。これもまたサヴィトリによって防がれた。


「魅了、されたのか」

「あはは、認めたくないけどそうかもしれない」


 サヴィトリはかわいた笑い声をあげる。自分の意思に反して、身体が勝手に動いてしまう。


「まさか、男、じゃないでございますよね?」


 ニルニラは自分の身体をかき抱き、異様なものを見る目でサヴィトリを見た。


「失礼な、言葉遣いが悪い自覚はあるがちゃんと女だ。なんなら今ここで脱いで身の潔白を――」

「結構でございます!」


 自分の服に手をかけるサヴィトリを、ニルニラは慌てて押しとどめる。


「仕方がない。気絶ぐらいは覚悟してもらおう」


 ヴィクラムは拳を握り、攻撃の照準をサヴィトリに合わせる。


「お前殴る気満々だな! 婦人団体から抗議が殺到するぞ!」


 ニルニラの言う魅了の目にあてられたせいなのか、それとも自分の意思なのか最早よくわからないが、サヴィトリはヴィクラムにむかって矢を放つ。だがことごとくかわされ牽制にすらならない。

 やむなく、サヴィトリは弓をしまって迎撃の体勢を取る。弓で殴りつけるよりも、体術で対応したほうがいいと身体が判断した。


「そうか。ちゃんと女、だったな」


 ふと思い出したようにヴィクラムは呟く。


 それがどうした。

 サヴィトリの言葉は、音になる前にかき消えた。


 ねじるようにして突き出したサヴィトリの右ストレートを、ヴィクラムは半身をずらしてかわす。

その際にサヴィトリの腕をつかみ、進行方向へと軽く引っ張った。

 自らの勢いが仇となったサヴィトリは思いっきりつんのめる。転ぶ、と思った次の瞬間、サヴィトリは空を見上げていた。

 首が痛む。

 襟首をつかまれ、上をむくように顎を押しあげられている。


「別の衝撃をぶつけてやれば幻術は消える」


 淡々としたヴィクラムの声が聞こえた後、至近距離に整ったヴィクラムの顔が見えた。互いの息がかかるほどに近い。


「え?」


 状況が上手く把握できないサヴィトリは、か細い声をあげることしかできない。

 思いがけず、柔らかな感触。

 額に唇を押し当てられ、サヴィトリはその場にへたりこんだ。


「……う」


 サヴィトリは小さなうめき声を発し、



※※※しばらくお待ち下さい※※※


「きゃあああっ! どうしてそこで吐くのでございますか!?」

「いやだって急に吐き気があばばばばばば」

「……とりあえず土をかぶせておくか」

「すまない。迷惑をかあばばばばばばばばば」

「もう喋らずに口を閉じるのでございます!」

「でも閉じたら逆流してあばばばばばばばばばば」


* * * * *


 吐き気が治まってから、サヴィトリは近くの木陰に移動した。木の幹に背中を預けるようにしてよりかかる。


「落ち着いたか」


 ヴィクラムが竹の筒を差し出した。水筒になっているらしく、ゆするとちゃぷんと音がする。

 ニルニラは、もう付き合いきれないのでございます、と言って去ってしまった。

 だが、木陰までサヴィトリをかかえて連れてきたのは彼女だった。意外と親切なのかもしれない。


 サヴィトリはありがとう、と小声で言ってから水を口に含んだ。一度口をすすいでから、ゆっくり少しずつ飲む。鼻の奥に、まだ嫌なにおいが残っている。それを意識した途端、また吐き気が襲ってきた。


「もう少し休んだら戻るか」


 ヴィクラムは、サヴィトリからやや距離をあけた所に立つ。


「薬草はいいのか?」

「ジェイ殿があんなことを言い出したのは、俺との険悪さを見かねてのことだろう。しかし吐くほど嫌われているのならばどうにもならん」

「別に、吐くほどお前が嫌いなわけじゃない……実際吐いたけど。でもきっと体調が悪かっただけだ」

「悪いが王都までの辛抱だ。それ以降、関わることはない。だから――」

「だからそこまで嫌いなわけじゃないって言っているだろう!」


 ついサヴィトリは声を荒げてしまった。

 ヴィクラムは驚いたようにサヴィトリを見る。


「でも好きだというわけでもない」


 サヴィトリは視線をそらして付け加えた。


「知っている」


 ヴィクラムはわずかに口の端を持ちあげる。たったそれだけのことで、近寄りがたい雰囲気が薄らいだ。


「お前はそこで待っていろ。確か来る途中に川があった。もう少し水を持ってくる。それと、ジェイ殿には仮病に効く薬草をいくつか見繕って持って帰ってやらないとな」


 ヴィクラムは近くに生えていた名前も知らない雑草を指差した。

 サヴィトリはヴィクラムの服の裾をつかみ、


「お前、じゃない。サヴィトリだ」


 挑戦的な目で見上げた。


「俺もお前ではない。ヴィクラムという名がある」


 と言ってサヴィトリの手をはずし、さっきよりもはっきりと笑みを浮かべた。

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