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プロローグ

 目が痛くなるほど青い空だった。その青さをやわらげるように、ちぎったわた飴に似た薄い雲がゆっくりと流れていく。


 体当たりをするように、建てつけの悪くなったドアを開けると、小さな女の子は全力で走った。とがった草や砂利が裸足に痛い。

 だが、靴をはきに戻っている暇はなかった。追いかけなければならない背中はどんどん遠ざかっていく。

 涙が出そうになるのを手のひらで強くこすってごまかし、女の子は黒い綿のズボンに飛びついた。何があっても離れないように、ぎゅっと手足を絡ませる。


 足にかかる重さに、少年は仕方なく立ち止まった。


「君、何してるの」


 穏やかな春の空と同じ髪の色をした少年は、自分の足にへばりつく女の子をにらみつけた。


「ついていく」


 簡潔に答えると、女の子は短い手足にいっそう力をこめた。


 歳の離れた兄のような少年は、「クベラ」という遠い北の国に行ってしまうらしい。

 あれこれこういう理由だからと説明してもらったが、女の子には理解できなかった。

 それよりも理由がなんであれ、少年と離れて暮らすということ自体が受け入れられない。これからは一体誰が料理を作ったり、掃除や洗濯をしたり、自分と一緒に遊んだり出かけたりしてくれるのだろう?


 少年は前髪をかきあげると、こっそりとため息をつく。


「師匠――クーお父さんに大きなお菓子の家を作ってもらう、ってことで納得したんじゃなかったっけ? それに、君がついてきたらあの甲斐性なしがひとりになるだろう。きっと、三日とたたずに干からびるよ」


 諭すように言い、少年は女の子の金色の柔らかな髪を撫でた。

 だが、女の子はいやいやと首を振る。


「じゃあじゃあ、クーおとうさんもいっしょ」

「絶対にお断りだ」


 少年は間髪入れず彼女の申し出を却下する。


 ――このままでは埒があかない。

 そう判断した少年は、力ずくで女の子を足から引きはがした。

 ちゃんと自分の足で女の子を立たせ、目線を合わせるためにその場にしゃがみこむ。

 女の子はせまい眉間に皺を寄せ、何かをこらえるように口を引き結んだ。赤くふっくらとした頬はぷるぷると震え、緑色の大きな瞳は溜まった涙でうるうると揺らいでいる。


 再び、少年はこっそりと息を吐き、力を抜いてやるように女の子の小さな頭をぽんぽんと撫でた。

 女の子は、ぶんぶんと音がするほど首を左右に振り、まばたき一つせず少年の顔をじっと見つめる。少しでも目蓋を動かせば、涙が押し出されてしまいそうだった。


「……サヴィトリ、僕は聞きわけのない子は嫌いだよ?」


 少年はわずかに語気を強め、女の子の頬を両手ではさみこんだ。怒っているというアピールのために、弾力のある赤い頬を軽く押し潰す。そのせいで、薄く小さな唇がくちばしのようにとがった。

 間の抜けた女の子の顔を見て、少年は思わず吹き出してしまう。

 サヴィトリと呼ばれた女の子は涙を引っこませ、握り拳で少年を殴りまくる。

 殴り方を知らない子供の攻撃は、骨の出っ張りがかすったりなどしてかえって痛い。


 少年はまぁまぁとサヴィトリを押しとどめながら、背負っていた荷物を地面におろした。注目をそらすように少しわざとらしく中身をあさった。

 ほどなくして、少年は空色の石がはまった銀の指輪を取り出す。色などは違うが、少年が右手の中指にしている指輪と同じデザインの物だった。


「なあに、それ」


 指輪を見とがめたサヴィトリはぴたりと攻撃をやめ、少年の髪と同じ空色の石に熱い視線を送る。

 問いかけに答えず、少年はサヴィトリの幼い左手を取った。

 人差し指から小指まで順に指先で軽く押していく。


「突然だけど、どの指がいい?」

「? えっと、まんなかー。いちばん長いゆびー」


 少女はちょっと首をかしげ、左手の中指を動かす。


「はいはい」


 少年は微笑み、サヴィトリの中指に指輪を通した。

 短くぷくぷくとした指にその指輪は大きく、ぶらさがってゆらゆら揺れる。

 指輪を落とさないように、少年はサヴィトリの手を握らせた。


「そうだな……その指輪がちゃんと似合うようになるくらい。だいたい、十年かな。十年たって君のもらい手が誰もいなかったら、公共の福祉のために僕が尊い犠牲者となって、仕方なく君をもらってやってもいい。いいか、仕方なく、だ。――だから、ついてくるなんて馬鹿なことは言わないように」


 少年は真面目な顔を作り、サヴィトリの額を指先でつついた。

 サヴィトリは額をさすり、自分の中指にある指輪を見た。

 しっかり握り締めていないと、すぐに落ちてしまう。

 次に、少年の顔を見る。


 サヴィトリは大きくうなずいた。


「うん、いかない。ギセイシャになって」

「嬉しそうに言う台詞じゃあないんだけど……」


 少年は困ったように笑い、再びサヴィトリの頭を撫でた。

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