6月5日 日曜日
朝から松下邸では合コンの反省会が開かれていた。当人たちは女子連中と飲んだ後、男だけでカラオケに行き、夜通し歌っていたらしい。目を覚ますと招集がかかっていたので一応顔を出したが、すぐに帰りたくなった。
なんにもならない時間というのが、大学に入ってとても多くなったと思う。二年前の自分は、陸上に没頭して、走ることだけを考えていた。成績が上がらなくても、彼女がいなくても、小遣いが少なくても、何ともなかった。シンプルだった。走ることが大好きだった。
僕にとって走ることは、命を燃やして生きることだ。走るために食べ、走るために休み、走るために勉強して、走るために走ることこそが自分のあるべき姿だとさえ思う。体が痛んでも、競争に負けても、走らなくちゃいけないと、心の底で思っている。
また走れるかなあ、って。
魚って、どうしたら走れるんだろうか。
走るための生活は、成立するんだろうか。
前原や南たちは、嫌いじゃない。
彼らは彼らなりに命を燃やしているのだろうか。
例えば、宮崎は、合コンが僕にとっての走ることなのかもしれない。
そうだとしたら愉快なことだ。それは生き方を見つけたということだから。
でもきっと、本人はそんなこと考えていない。
そんなことを考えなくても、毎日を過ごせるならそれに越したことはない。
今の僕は、そうはいかない。
彼女は、どうだろうか。
彼女の生きている場所はどこにいるのだろうか。
楽器を弾いているときか、ゲームをしているときだろうか。
そもそもなぜ、僕と一緒にいるのだろうか。
僕はなぜ、彼女と一緒にいるのだろうか。
彼女がいなくなったら、どうするだろうか。
さらに深いところに潜ってしまうだろうか。
確か彼女は、僕に、何もしないの?と聞いた。
彼女には、僕のやるべきことがきっとわかっているのだと思う。