Farewell
目を開けるのが辛いくらい眩しい白の世界に俺は佇んでいた。
誰かが泣いている……女の子の声がする。
美夕?
目を開けて確認すると、幼い姿の美夕と黒づくめのソールがいた。
俺は、どうなったんだっけ……?
俺の考えを読んだのか、ソールが静かに言った。
「どうだ、死んだ感想は」
……ああ、そうか。
俺、死んだんだ。
美夕の代わりに生け贄になって……。
最後の最後、俺は美夕に口づけるのをやめた。
そして何処かで見ているだろうソールに呼びかけた。
俺が生け贄になると。
最期に両親に向かって言った言葉は、彼らに伝わっただろうか。
音にならずにただぱくぱくと口を動かしただけに終わってしまったけれど。
「お前は変わった奴だな。笠原美夕を生け贄として差し出せば死なずに済んで、いつの日か目を覚ます可能性もあったというのに」
ソールは心底不思議そうに首を捻った。
その仕草が神にも死に神にも見えなくて、俺は笑った。
「なっちゃん」
幼い美夕が俺に抱きついてきた。俺も屈んで彼女を受け止めた。
「どおしてなの……フェアビューランドは、もうなくなっちゃったんだって。みんなみんなおうちに帰ってもう誰もいなくなったって。美夕がつくった夢の国だったのに」
「美夕……」
「フェアビューランドにいれば、ケガしても病気しても痛くならないんだよ?ステキな国でしょう?でも……どうしてかしら、人も動物も妖精達も、フェアビューランドじゃ幸せになれないんだってルシフェルが……」
「ルシフェル?ルシフェルと話したのか?」
俺の胸に顔を埋めて泣いていた美夕は顔を上げてコクリと頷いた。
「うん。フェアビューランドに行くって。お別れだって」
「お別れ……」
「ルシフェルはフェアビューランドと共に消滅する道を選んだ」
ソールが言った。
「お前が笠原美夕の命を奪ったら、その時点でルシフェルは消える筈だった。アレは元々笠原美夕の空想から生まれたものだからな。お前の行動をここから私と共に見ている時、覚悟は出来ていると言っていた……しかし、お前は自分の命を差し出した。だから私がお前の命を奪った」
ゴトリ。何処から取り出したのか、ソールは長い柄の鎌を見せた。
「なんだ……やっぱりあんた死に神だったのか」
「それは人間達が勝手に付けた名だ。私の名前は――――」
「はいはい。名前などない。あっても人間には発音出来ない。だろ?でもソールってえらく言い易い通り名も持ってるみたいだけど?」
ヒラヒラと手を振ってみせる俺にソールはムッとした顔をした。何故だろう、彼はどんどん人間臭くなっていっている気がする。
「ルシフェルは、何か言ってたか?」
「泣いていた。そしてフェアビューランドと共に自分を消してくれと言った」
「そっか……」
ルシフェル……美夕が生きている限り、存在し続けられただろうに……罪の意識か、それとも――――。
『好きよ、ナツキ。どうしようもないくらい好き』
「お前は、これで良かったのか。自分は死に、ルシフェルはフェアビューランドと共に消滅。それに、最後に笠原美夕にあんな暗示まで――――」
「ああ、いいんだ……これでいい」
死の直前、俺は美夕にある暗示をかけた。他人に暗示をかけ、意のままに操る――――それはソールから与えられた能力の一つだった。
あの時、俺は眠る美夕に暗示をかけた。
“五十嵐夏生を忘れろ“と。
いつか目を覚ました時に、俺は彼女の記憶の中にいない方がいい。そんな気がしたから。
「人間は……自分のことを忘れないで欲しいと願う生き物だと思っていた」
不思議そうに俺を見ながらソールが言った。
「忘れられることによって、何かメリットがあるのか?」
その質問に俺は苦笑する。
「メリットとかデメリットの問題じゃないんだよ……まあ、神様にゃわかんないだろうけどな」
「……」
ソールは首を捻り、何か考え事をしているようだった。
俺のことなんか覚えてない方がきっと美夕は幸せだと思ったんだ。
悪夢と一緒に消し去った方がいい。
そして俺もいつか美夕やルシフェルのことを……俺という存在を、俺自身が忘れるだろう。
そして――――。
「……」
俯くと、嗚咽を上げて泣く美夕と目が合った。
「痛みは必要なの?なっちゃん。なっちゃんは痛くても平気なの…?」
ぽろぽろと涙を流す美夕の頭を撫でてやりながら、俺は頷いた。
「平気だよ。美夕もきっと平気だ」
「……一緒にいてくれる?」
「さっきダメだと言っただろう……」
口を挟むソールに目配せをして、俺は彼を黙らせた。
わかってる。俺はもう死んだ人間。
この幼い姿の美夕は、まだ生きている笠原美夕の一部。
一緒にはいられない。
「俺とはここでお別れしなくちゃ。大丈夫。美夕にはパパもママもいるだろ?」
「なっちゃんも行っちゃうの?なんで?なんでよぉぉ」
再び声を上げて泣き出した美夕の背中をトントンしながら言い聞かせる。
「泣かないで美夕。いつかきっと目を覚ます日が来るよ。そしたらもう一人じゃない。俺のことなんか忘れて、美夕を愛してくれてるパパとママをたくさん喜ばせてあげて」
「……なっちゃんは、美夕のこと忘れちゃう?忘れないでよ……」
「ああ、忘れないよ。次にどこかの誰かに生まれ変わるまではね」
「生まれ変わったら忘れちゃうの?ひどいよなっちゃん」
「覚えていない方がいいんだよ。どんなに好きだった人のことでも。でなきゃ次の人生で愛してくれる人を、自分を大切に出来なくなるんだ。だから……」
気付けば俺も涙を流していた。
「……なっちゃん、泣かないでなっちゃん……」
言葉が出て来なかった。こんなこと、幼い美夕にはきっと理解出来ないだろう。忘れないよ。それだけで済ませば良かったのかも知れない。
だけど、嘘をつくのが嫌で。
「……そろそろ時間だ」
ソールの声が白の世界に響いた。
「さ、美夕は自分の身体がある場所に帰って。俺ももう行かなくちゃ」
「うん。さよなら、なっちゃん……」
「さよなら、美夕。元気で」
笑顔で手を振ると、幼い美夕はスウッと消えた。




