甘く優しい悪夢の中でー3
「可哀相な妹よ、あんな男この短剣で殺しておしまいなさい」
「返り血を浴びればお前は元の姿に戻れると魔女が言っていたわ。このまま王子が他の女性と結ばれたら、お前は泡となって消えてしまうのですよ」
髪と引き換えに短剣を手に入れた姉達に礼を言いつつも、人魚姫はこう思っていました。
それでもいい――――シュルシュルと、この身が泡となり消えてもいいの。
あの人の幸せが私の幸せ。
大切なあの人が、どうか幸せになりますように――――。
◇◆◇
肉体と肉体の結び付きが何を意味しているか考えたことはあるか。
俺はない。
「ナツキ、ナツキ……も……っ、あ、アァッ……!」
動物みたいにただ本能のままに動くだけだ。
「ルシフェル……」
そこに意味なんてない。
「ナ……ツキ、あ……あぁ……ん……」
動きを止めてみつめると、ルシフェルが涙を浮かべながら懇願した。
「お願い、もっと、もっと……動いて……っ」
ホラ、ね。欲しいのは快感なんだ。
他人に乞うのは自分を満足させる為の行為。
他には何もない。
ましてや愛なんて、あるわけがない。
律動を再開した俺に、ルシフェルの細く白い足が絡みつく。離さないでと訴えるかのように。
「愛してる……」
「俺も愛してるよ、ルシフェル」
人間が他の動物と違うのは、嘘をつくところ。
大嫌いだ。人間なんて。
そんな人間になりたいと願うこの女も、こいつを騙して欲しいものを手に入れようとしている自分自身も。
ダイキライダ……。
◇◆◇
「本当に?この世界を守って、ここで私と……?」
俺の腕の中でルシフェルは涙ぐんだ。
「ああ。だからもう人を喰うのはやめろ。フェアビューランドがこのまま存続出来るよう、俺がソールと話をつけてくる。お前はここで待っててくれないか」
「美夕はどうするの?もうすぐ美夕の誕生日だけど……」
「美夕は転生なんか望んでいない。夢の中で小さい頃の美夕に会ったんだ。どこにも行きたくないと――――両親と別れるのは嫌だと言っていた。だから美夕はあのまま、命ある限りあっちの世界に置いておく」
「そうなの……?美夕、こっちに来たくないって……?」
ルシフェルは瞳を大きくして尋ねてきた。
ルシフェルは美夕の空想から生まれ、両者の間には意思の疎通があると言っていた。
しかし美夕から独立したからだろうか、ルシフェルは俺の夢に出てきた幼い美夕が言った内容を知らなかったようだ。
もしかすると、暴走するルシフェルを止めて欲しくて美夕は俺に助けを求めて来たのかもしれない――――そうだ、そうに違いない。
「……ああ、それが美夕本人の望みだ。たとえ眠ったまま、残り少ない命でも――――出来るだけ長くあっちの世界で生かしてやりたい。とにかく、今はこのフェアビューランドの存続を維持しないとな。俺とお前の為に」
俺はもう幾つ目かわからない嘘をついた。
「ナツキ……」
不安げに揺れる瞳にキスを落とし、俺はルシフェルの髪を撫でた。
「愛してる」
「……私も。何だか夢みたい……!」
外見だけは天使のように愛らしい魔女は歓喜の声を上げた。
ああ、そうだよルシフェル。これは夢なんだ。
ここから出たらすぐソールに会い、転移させた人間達の肉体はお前が喰ったと報告するつもりだ。
均衡を保つことを第一に考えている彼はきっと怒り狂い、お前に罰を下すだろう。
フェアビューランドについては何とか残してももらえるよう働きかけ、この女だけ断罪するように仕向けよう。
そして美夕をこっちに転生させる。
悪い魔女は火あぶりの刑に処され、王子様とお姫様は仲良く暮らしました――――おしまい。
童話のラストなんて、大抵こんなもんだろ?
「しかし本当に人間を喰ったら人間になれるもんなのかね。お前は今でも十分人間に見えるし触り心地も人間ぽいけど……」
まじまじとみつめると、ルシフェルは頬を赤く染めた。その姿は純真で愛くるしい。
でも、俺はこいつを破滅させる。その為にもう抱かないと決めていたこいつを抱いたんだ。
「……もう喰うなよ、人間を。そんなことしなくてもお前は今のままでいいんだ」
ぷに、と頬を軽くつまむとルシフェルはくすぐったそうな、切なそうな表情を見せた。
「うん、ナツキの言う通りにする……あ、でも――――」
「何だ」
「美夕が……」
「美夕が何だ?」
「何でもない……うまくいくといいなと思って」
「不安になった?大丈夫だって」
最後に濃厚なキスを交わして、俺はフェアビューランドを出た。
これが最後だルシフェル。
もう二度とお前と会うことはない。
俺は転移前の不安定な空間の中でソールを――――死と再生を司る者を呼んだ。




