楽園ー1
泣かないでルシフェル。どうすればいいか、私が教えてあげる。
あなたと私は表裏一体……鏡に映したもう一人の自分。
私に代わってあなたが彼と結ばれてくれたら、こんなに嬉しいことはないわ。
彼との恋を叶えるには、まずは人間にならなくちゃ。
人間の王子様に恋をした人魚姫の話は知ってる?
魔女から貰った秘密の薬を飲んで、人間になったのよ――――。
◇◆◇
ルシフェルは言った。
美夕の指示で人間を喰ったと。
喰えば喰う程人間に近付くことが出来ると言われたルシフェルは、フェアビューランドへ人間を送る時に肉体ごとこちら側に転移させ、魂を森の木々に植え付けた。魔法をかけられた植物はおとぎ話に出てくるような者達に姿を変えて街の住人になった。抜け殻となった肉体は城の地下室に置いておき、それを毎日喰ったという。
想像するだけでも悍ましいが、俺は実際にルシフェルが人肉を貪っているのを見た。
あんなことをあの美夕が――――俺の幼なじみが命じたなんて嘘だ。嘘に決まってる。
ルシフェルはきっと最初から人喰いの魔女なんだ。
このフェアビューランドはあいつの餌場として創られた。そうに違いない。
◇◆◇
街に着くと何人かが集まり、騒いでいた。
「おーい、早く手当してやってくれ。ヘルマンが足を怪我しちまった」
「今エルフのスレインを呼びにやったよ」
「大丈夫かい?ヘルマン」
そちらに行ってみると、何度か顔を合わせたことのあるガタイのいい男が太ももを大きく裂く重傷を負い、大量に出血していた。
「え、これってヤバいんじゃ……」
俺は思わずそう言ってしまった。医療ドラマで観たことがある。大腿部には心臓に直結する動脈が走ってて、たしか数十秒で――――。
「ああ、ナツキさん。平気だって。全然痛くな……」
バタン。男は言い終わらないうちに白目を剥いて意識を失った。
「あれれ、気絶しちゃったよ、こいつ」
「おーいスレイン先生はまだか~」
のんきな住人達に俺は背筋が寒くなった。
気絶じゃねえよ。もう死んでんだよ。わかってんのかこいつら……。
「あ、死んでるわ」
「マジで?出血多量かな……」
「まあ……苦しまずに逝けて良かったんじゃないの。痛くはなかった筈だし」
……なんだこいつら。人が一人死んだってのに、なんでそんなに平気な顔していられるんだ!?
「異様な光景でしょう」
下からの声にドキリとした。
見ると獣耳娘になった元広告代理店勤務のオッサンがいた。
「痛みがないから怪我をしてもたいして気にしなかったり、場所によっては致命傷を負ってるのに気付かずに放置して命を落とす者が続出してるんですよ。これってこの世界の欠陥な気がします。姫様には申し訳ないけど」
「痛みがない……そうか、美夕の望みで……」
「みゆ?みゆって誰です?」
「ああ、いや、何でもない……怪我には気をつけてくださいね」
「はい。ご心配ありがとうございます」
獣耳娘と別れ、俺は草原まで足を延ばした。
ルシフェルの正体をバラしてやるつもりで街に行ったが、今の出来事でその気が失せてしまった。
病床の美夕は痛みから解放されたいと願っていた。
ルシフェルはイジメに苦しむ俺を見て、辛い思いをしないで済む場所をと願い、美夕の空想を元にこの世界を創った……。
空想上の痛みのない世界――――それがこのフェアビューランド。
だけど……ダメだよ、美夕。さっきの男を見れば一目瞭然だ。
あんなに出血しておきながら止血もせずに医者が来るまで放置するなんて正気の沙汰じゃない。
痛みは必要なんだ。痛みがあるからこそ怪我に気付き、次に来る危険に備える。
この世界は優しいようで、やはり間違っている。
そもそも全員が前世の記憶を持ったままなのもどこかおかしい。
「……」
「難しい顔しちゃって、どうしたの?」
また下から声が聞こえてきて視線を下にやった。だが、誰もいない。
「もうちょっと下!下!」
「ええ?」
言われたと通りに足元に目やると、小さな茶色のウサギの姿が目に入った。
「なっ、なっ、何だ!?ウサギ!?」
「ヤダ、わかんないの?ナツ。私よ、私!」
フフフ、と笑うウサギ。ウサギに知り合いなんかいないぞ?
でも、このウサギ……俺のことを“ナツ“って呼んだ……。
「美絵子……!?」
「大正解~!」
草の上にちょこんと座ったウサギが可愛らしく答えた。




