消息
受付で美夕のことを尋ねたが、現在その名前で入院している患者はいないとのことだった。
今の世の中は個人情報にうるさい。過去に遡って美夕のことを調べろだの住所を教えろだの言うつもりはなかった。
だけど、病院を出た俺はがっくり肩を落としうずくまった。
もう会えないのか。そう思えば思う程、会いたくて。
……何故、こんなにも会いたくなったんだろう?
もし会えたとしても、向こうは俺のことなんか忘れてしまっているかもしれないのに。
実際、俺は丸三年も美夕のことを忘れ、思い出すことさえなかった。
「あ」
視界に入った人物に、俺は顔を上げた。
美夕の担当医だった男だ。
五、六年前見た時とさほど変わらない容姿のその医者は、疲れ切った表情で病院から出てきた。
……陽炎。
ルシフェルから教わった、死にたがっている人間の特徴である陽炎で彼は覆われていた。
死にたいのか、この医者。
そんなことはどうでもいい。知りたいのは美夕のことだ。
「あのっ、笠原美夕さんを担当してた先生ですよね!?」
突然声をかけられ、医者は驚いていた。
普段ならこんなことしない。
だけど、彼以外に美夕に関する情報を俺に与えてくれそうな人間はいなかった。
「いきなりすいません。俺、彼女の幼なじみで…美夕が今どうしてるか知りたくて……」
矢継ぎ早に喋る俺を怪訝な顔で見ていた医者は、俺の言葉を遮りこう言った。
「患者さんの個人情報はお教え出来ませんよ」
冷たい言い方だった。
「でも、俺……」
何とかして情報を引き出そうとする俺を無視して医者は立ち去ろうとした。
「待てよ。あんた死にたいんだろう」
「……」
低く言った俺の言葉にピタリと足を止めた医者は、振り返って悲痛な顔を見せた。
そんな彼に俺は容赦なく追い討ちをかける。
「図星だろ。俺には死にたい奴を見分ける能力があるんだ。信じられないかもしれないが、俺はあんたに新しい人生を与えることが出来るんだぜ?ただ死んで終わるより、全然別の世界に生まれ変わって新しい人生スタートさせてみないか?」
「な、何を馬鹿なことを……」
そう言って、医者はまた歩き出した。
「嘘だと思うなら、やってみろよ。方法は俺とチューするだけなんだ」
「やめなさい、君。あまりおかしなことを言うなら、警察を呼ぶよ」
「じゃあ、なんで立ち止まった?」
「それは……君が変なことを言い出すから……」
ニヤリと笑った俺は、きっと悪魔のような形相だったと思う。
医者は表情を歪めて苦しげに言った。
「ああ、そうだな。死にたいよ。来る日も来る日も他人の命を救う為に、私はもう何日も眠っていないんだ……!」
血でも吐くように苦しげに語る医者に、俺は悪魔のように囁く。
「大変だね……偉いよ、あんた。人の為に自分を捧げて。でも、もう疲れちゃったんだろ?大丈夫。次の人生では、毎日ぐっすり眠れるようにしてやるよ。いいじゃん、試してみなよ。やるだけやってみ?」
「あああ……」
がっくりと地面に膝を着き、俺を見上げた医者は本当に寝てないんだろう。真っ赤に充血した目、血の気の失せた顔…睡眠不足で的確な判断が出来なくなっているんだ。
笑っちまう。
俺、通りすがりの変な奴だぜ?こんな奴の言うことを信じるなんて、アタマ大丈夫か?
人間てなんて脆いんだろうな。
イジメられたり、眠れなかったりすると、辛くてもう生きていられないんだ。
心のどこかで俺の一部が叫ぶ。
“やめろ、これは殺人だ。この人は本当はきっと生きていたいんだ。俺がそうだったように――――“
その声に耳を塞ぎ、俺は欲しいものを手に入れる為に目の前の弱者にさらに囁く。
「教えてくれ、美夕のこと。そしたら転生させてやる」
「美夕ちゃん……笠原美夕ちゃんだろ。覚えてるよ」
医者は涙を流し、キスを求めながらこう言った。
「死んだよ、三年前に」