異国語と魔素とはじめまして
ようやく、異世界らしくなってきた気がします。
「プロフェソル、アンシャンティー。イッヒ、トール・タンシュライン。アイネーラーズwxgmヤクトヴォルフぽぅrmq……」
ドロドロに溶けたままへばり付いていた化粧と、ついでに染髪剤を落とし、サッパリして振り返るやいなや。例の銀髪青年が物語の騎士みたいにしゃがんで、何やら勢い込んで話しはじめた。
挨拶した時、言葉通じてなかったよね?とツッコミたいのを飲み込み、加藤は黙って続きを聞く。
「のろぃチャイルドあぴvktん。プロフェソル、ニィ、けんじゃー、おぅマジーシャン?tぅだーいトートラヴィーン、ワーイカムにぃ。にぃwpdんjrmあいだ、イッヒ、ウィズ…オキトーキですか?」
「……え?」
疑問形らしく少し語尾を上げて青年の長いセリフが終わると、思わず疑問符が口をついた。
もちろん言葉はわからない。わからなかったのだが。
呪い、賢者、間、ですか
プロフェッソ、イッヒ、ヴォルフ
チャイルド、マジシャン、ウィズ
ざっと拾えただけで、これだけの聞き覚えのある単語が混じっていた。
ただの空耳かもしれないが、意思疎通の手掛かりになるのなら大きい。試してみる価値はあるだろう。
どれに、しようか。
返事をしない加藤に焦れたのか、険しい顔で睨みつけてくる青年を眺め、視線は外さず考える。何その顔、怖い。変なこと言ったら殺されちゃうんじゃないかなぁ。
イッヒはたしか、ドイツ語で“私は~”的な意味だったはずだ。さっきのセリフの中にも何回か出てきてた気がするし、うんうん、それっぽいそれっぽい。
焦っているのか余裕なのか、よくわからない思考でそう結論付けると、加藤はゆっくりと自分を指さし、言った。
「イッヒ、カトー。」
「……。」
「……。」
青年は黙ったまま動かない。5秒、10秒。無言の時が流れる。眉間にしわを寄せ、射殺さんばかりに睨み続ける青年に対し、加藤の眉はどんどんと下がっていく。
あぁ…失敗かー……困ったなぁ。
と、加藤がそう思ったあたりで、青年がスッと頭を下げた。
「プロフェソル、カトー。グラッチェございます!!」
それだけ言うと立ち上がり、おもむろに加藤の右手を掴んで上下にブンブンと振る。眉間の皺はそのままに、ギラギラと威力を増した瞳を見つめ返せば、ニヤリと口元を歪められた。
パサリ。頭にのせたままだったタオルが落ちる。さっと手を放した青年が、拾ってくれる。
刺さるような鋭い眼光、犬歯を覗かせ脅かすように歪んだ口元。そして、そっと優しく、頭に戻されたタオル。
「……ぐらっちぇー。」
なんて凶悪な笑顔なんだろう、加藤はそう思い苦笑して、きっと正しい、お礼の言葉を呟いた。
それから数時間。青年は自分の言葉で、加藤は身振り手振りを中心に、2人は会話を重ねた。ちょうど日が中天に昇るころ、ようやく言葉が通じていないことに気が付いた青年が大慌てをし、憤死しそうな勢いで謝り倒してからは、日が沈むまで、至極ゆっくりと言葉を交わしていった。
どうやらこの世界の言葉は、加藤たちが暮らしていた世界の様々な国の言葉が入り混じり、多少変化したような言語であるらしい。文法や、特に丁寧語で使われる語尾などは日本語に近かったことと、英語、フランス語、ドイツ語辺りは加藤が少し理解できたこと、何より、気付いてからの青年が単語ごとに分けて話してくれるようになったことが幸いし、どうにか会話が成り立つようになってきた。
「日、消えるねぇ。」
「今から、何を、する。」
「キミは、どうする…したい?」
「……プロフェソルと、共に。」
「えー…、帰る、場所ない?」
「……ある。オレ、居ると、困り、ますか?」
「違う、けど……。」
「お願い、します。」
「うーん……。」
「お願い、します。」
「うーん…まぁ、いいか。じゃあ、帰りたいになった時には、帰ってねぇ。」
「……はい。」
言葉が通じないというのはもどかしい。それでも、お互いに気を遣いあって、少しでも伝わるようにと工夫する会話は、どことなく心地が良かった。
「そういえばさ。」
「はい。」
「食べる、いる…ないの?」
「不要、です。プロフェソルは、まさか、空腹、ですか?」
「うーん…少し?」
「素晴らしい。こんなに、マナが、濃い、場所で、ございます、のに。」
「マナ?」
「命の、力、です。…わからない、です、か?プロフェソル、なのに…?」
加藤はクスリと笑う。やっと、知りたかった〝わからない“という言葉が出てきたな、と。
「わからないよ。…どうして、僕がプロフェソルなのか、わからない。僕は、家が、わからない。ここが、どこか、わからない。キミの、耳と尻尾が、わからない。……僕は、たくさん、わからないんだ。……ごめんね。」
「……っ。」
今まで以上にゆっくりと、一言ずつ噛みしめるように伝えられた言葉に、青年は息をのんだ。そういえば、彼を先生だと思い込んだのは、彼の話した知らない言葉を呪文だと思ったからだ。
眉根を下げ、寂しげに笑う加藤を見つめる。幼い顔立ち、線の細い身体、見たことのない派手な服装。きっと、遠くから来たのだろう。いつから、この谷にいるんだろう。ずっと、一人でいたのだろうか。寂しくは、なかったのだろうか。いや、こうやって勝手に考えても、また勘違いかもしれない。幸い時間はたっぷりあるし、少しずつゆっくり、知ればいい。
先生でないことがわかっても、不思議と敵かもしれないとは思わなかった。そんな自分を不思議に思いながら、青年もことさらゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ごめん、間違え、だった。オレが、教える。プロフェソルも…いや、カトーも、教えて、ゆっくり。」
「……うん、ありがとう…トール君。」
少し驚いたようにこちらを見た加藤が、ふんわりと笑う。その笑顔を見て、看病されていたとわかった時のように心臓辺りが暖かくなって……なぜか、唐突に、思い出した。
オレ、妹を助けた時、カトーを、モンスターと間違えて蹴り飛ばした……!!
「……!!!ごめん!ごめんなさい!!ごめんなさい!カトー!!!」
なごやかな雰囲気から一転。般若の形相で叫びだした青年に、加藤は目を白黒とさせ。
本当に、言葉が通じないのって……!!
一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をしてから、またいつもの飄々とした笑顔に戻り、加藤は青年を慰めにかかるのだった。
外国語のくだりは、そこそこに間違ってます。
ご了承ください。