ジャックと異世界とはじめまして
さっそく何名かの方に読んでいただけたようで嬉しいです。
ブックマークしてくださった方もいるようで、感無量です。
「……っ。う…加藤!っあ、うぐ…。」
急激な意識の浮上に逆らわず跳ね起き、伸ばした手で空をかく。間を置かず襲いくる頭痛に呻き声を漏らし、きつく目を閉じ頭を抱えた。眉を寄せ、目はつぶったまま、徐々に頭痛がひいてゆくのを待つ。
「…っは、ヒデー夢だぜ、ったく。」
尻と足元から感じる柔らかさから寝具の存在を把握し、つまりはそういうことだろうと判断し、独り言ちる。目が覚める寸前に見た、いつもと同じピエロのような舞台衣装の友人の、滅多に見られない焦ったような表情を思い出し、軽く笑う。なんだ、俺。アイツにあんな必死に手を伸ばして貰いたいのか。どうなんだソレ。
「くくっ、アイツにも教えてやろう。オマエ、俺のことそんな大事に思ってたの?とか言ってやろう。」
嫌そうな顔が目に浮かぶ、とニヤつき。パッと目を開け枕元のケータイを探ろうとし、ようやく気が付いた。
「どこだ、ここ。」
まずはベットから這い出し、部屋の中心に仁王立ちする。ぐるりと一周観察し、ホテルだな、と当たりを付けた。どうせ酔った勢いでお水のねーちゃんでも引っ掛けたんだろう。いつものことだ。それにしても高そうな部屋だが、支払いは大丈夫だろうか…。少し不安になるが、まぁどうにかなるだろうと思い直し、次に身体の確認をする。着ているのは妙にツルツルした羽織りもの1枚で、髪はゴワゴワし、目はゴロゴロする。コンタクトの替えなどという高尚なものは持ち歩いてないので、何度か強く瞬きし、ごまかす。窓際には、いかにもアンティークですと言わんばかりのテーブルセットが備えられ、見覚えのある服が丁寧に畳まれてある。なるほど几帳面な女だったようだ。全く思い出せない昨晩のお相手を想像しながら、風呂場を探して歩き出す。
はじめに開けた扉はトイレだった。真っ黒い便器に微妙な気分になるものの、ついでだからと用を足す。蓋のない便器に座ると、ほのかに温かい。慣れ親しんだプラスチックとは違う感触だったが、悪くない。満足して紙を使おうとし、首を傾げる。普通ならペーパーホルダーのあるであろう位置に小さな棚が備え付けられ、ドライフラワーが編み込まれたお洒落な籠に、柔らかそうな薄布が数十枚つまれていた。明らかにそれ用であったので、流して良いものか悩みながらも使用し、立ち上がる。振り返って左右を確認し、便器横にぶら下がったそれらしい紐をひく。
「うわ!なんだ!?」
便器が発光した。ほんの1秒程のわずかな時間だったが、何事かと驚き2歩下がる。たっぷり10秒待った後、そっと中を覗き込む。ブツが消えていた。
「すげー、最新式かよ。」
初めて見るタイプのトイレに感動しつつ、安心して手に持ったままだった布を放り込み、また紐を引く。カッと再び便器が輝き、中身が消える。ついでになにやら爽やかな香りまで漂ってきた。ほんと、スゲーのな。
これは風呂にも期待ができる、とワクワクしながら隣のドアを開ける。そこそこに広い脱衣所に、大きな鏡が2枚。手前の全身鏡に目をやれば、思った通り、大量に付けたワックスでベタついた頭が、寝癖で酷いことになっている。なんともなしに寝癖部分を触る。そこはかとない、違和感。寝癖を触った右手を、そっと上に挙げる。鏡の中の俺も、右手を上げる。ホラーだろうか。
しばし旗揚げの真似事をしてから、どうやらこれも最新式だと納得し、風呂に向かう。大きな鏡のもう1枚、洗面台の上についた方は、普段通り左右が逆になるタイプだった。チラリと全身鏡に目をやる。鏡の中の俺も、チラリとこちらを見てくる。…本当に、まさかホラーじゃないだろうな。
湯船はそれなりに大きく、こういうホテルでたまに見かける、猫足のものだった。ただ、明らかに猫じゃない。なんかこう…ヒヨコみたいな、先の尖った足だ。湯は壁に生えた頭から絶えず流れ出ており、溢れた分は浴槽の下に流れ込んでいる。口からダバダバと湯を吐き出し続ける頭を眺める。ライオンじゃない。龍だった。
もしかして、この尖ったヤツは、龍の足のつもりなのかもしれないな。そんな風に考え、シャワーを探す。見当たらない。壁に彫り込まれた棚にシャンプーらしきボトルが5本並んでいるのを見つけ、近寄る。カチリ。何かを踏んだ…と思うと同時に、頭上から温水が降り注いだ。慌てて飛びのく、滑って転びかけたが、どうにか踏ん張る。降っていた湯も止まる。ふむ。そっと片足を伸ばし、スイッチと思わしき大きなタイルを踏んでみる。また温水が降ってきた。シャワーも最新式かよ。
しばらくシャワーを堪能し、シャンプーらしきボトルを手に取る。重い。陶器か何かのようだった。危ねーな、落としたら割れんじゃん。そう呟きつつ、並んだボトルのひとつを手に取る。
「……読めねぇ。」
ボトルの一部に文字らしきものが刻まれているが、読めない。アルファベットのような部分が多いが、ところどころ象形文字みたいなものも混ざっている。困ったと思いながら文字列を目で追うと、その中にbodyという単語を見つけた。よしわかった、こいつはボディーソープだな。落とさないように棚に戻すと、同じ要領で他の4つにも目を通す。うち2つの説明文の中に、なんと髪という字を見つけた。不思議に思ってよく見れば、他にものだとか、もだとか平仮名らしき文字も見つかった。なるほど。輸入物かと思ったが、お洒落なジョークボトルってわけだ。まさか中身に嘘はないだろうと、髪の字が紛れ込んだボトルの中身を出してみる。
「こっちはヌルヌル…、こっちは泡立つ…よし。」
泡立つ方を手にたっぷりと出し、ようやく髪を洗いはじめた。2度どころか3度洗いし、こびり付いたワックスをしっかりと洗い落とす。続けてヌルつく方を手に取り、丁寧に毛先から塗り込んだ。そこまで終えると、どっぷり湯船につかり、悠々と手足を伸ばす。かー、キモチイぜ。命の洗濯とか、はじめて言ったヤツ天才だよな。
心ゆくまで堪能し、リンスだろうものをながし、ボディーソープらしきもので全身を洗う。よもぎみたいな匂いがするな、と少し前に加藤と行ったよもぎ蒸しのリフレッシュ施設を思い出しながら身を清め、浴室を出る。脱衣所のタオルもフカフカで、気分がいい。
部屋に戻り、畳まれた服を身に着ける。装飾の多い、派手な服だ。ここにあるということは昨日も着ていたはずだが、汗臭さがない。むしろ、さっきのトイレみたいな爽やかな香りがした。サービスがいいな。いや、トイレと同じだと思うとイヤだが。ふいに、夢の…というか、昨日のライブはこの服だったな、と思い出した。外に出たはずなのに着替えなかったのかと不思議に思う。ベットに腰かけ、腕を組む。昨日はライブだった。俺のデビュー記念で、かなり盛り上がったのを覚えてる。調子に乗って客席ダイブしたのも記憶にあるが、その後は定かじゃない。一瞬浮いて、加藤がマジ顔してて、白く光って…いやいや、これは夢の方だ。そうじゃない。
まぁつまり、盛り上がりすぎてそのまま2130で飲んで、服も着替えず出かけてしっぽりってパターンだろう。カバンも財布もケータイもないのは痛いが、どうせ近場のホテルだろうから問題ない。会計も、女が済ませてくれてるかもしれないし、ダメでも財布を取ってくればすむ。誰か従業員が見張りにつくかもしれないが、踏み倒す気なんてないから問題ない。
そこまで考えて、とりあえず部屋を出ようと扉に向かう。鍵を探すが見当たらない。とりあえず、とドアノブを回し、押してみる。ガコン。開かない。そのまま引いてみる。ガコン。開かない。また最新式の設備なのかとスイッチの類がないか探してみるが、見つからない。ドアやその周りを軽く叩いたりしてみるが、なにも変わらない。もう1度、今度は力を込めて、ノブを回す。ガリッ、ポロッ。ドアノブがもげた。やべぇ。サッと血の気が引く。これはマズイ、弁償かもしれない。
コンコンコン。その時、はかったようなタイミングで目の前の扉がノックされた。ひえー、なんで今なんだ。顔が引きつる。握ったままのドアノブに目をやり、途方に暮れる。
「エクスオショッソございます。」
そっと扉が開かれ、訳のわからない言葉と共にメイド服の女が入ってきた。
「はっ?」
聞き間違えかと顔をあげれば、バッチリと目が合う。年かさの婦人だ。40歳ぐらいか。10歳若ければ…と思わせる彼女は、ほんの一瞬だけ驚いた顔をするも、すぐに綺麗な笑顔を浮かべた。
「アウスティンしょう、ムシュヘロー。くぇrちゅいおp…」
「……。」
好意的なのは確かだが、何を言っているのか全く分からない。たまに、聞き覚えのある単語が混じる気もするが、理解するのは無理だろう。俺は早々に諦め、ただ困った顔で、何か語りかけてくる相手を見つめるのだった。
記念すべき第1話だというのに、風呂とトイレの話で終わってしまいました。
イケメンなので、許してあげてください。
更新はゆっくりですが、どうぞお付き合いください。