泡沫の夢
夢を見た。美しい夢を。
目も眩むほど美しく、泡沫のように儚い夢を。
ベルオーリア
それが、「神が選んだ娘」である私に付けられた名だった
急に異世界に喚ばれ、その国に伝わる古くからの仕来たりだと右も左もわからない国の、王の妻になれという
非現実かつ、意味不明な説明にもならない理屈を告げられたところで
納得なんてできるはずもなく。
ましてや周囲の殆どはそれは名誉なことで、拒絶するなんて微塵も考えていない
ああ、なるほど。国どころか世界を跨いだ価値観の違いはどれほど言葉を交わしたところで決して分かり合えなどしないのだと、絶望した
国王だと名乗った男は、子供さえ産めば好きにしていいなんていうデリカシーのない言葉をオブラート何十枚にも包んだ表現ではあるものの、涼しい顔でいい放つような奴だった
もし私がお姫様に憧れるお花畑系女子か、欲に目が眩み権力を欲する打算的な女や、妃という響きに釣られるおつむの足りない小娘だったなら全身でよろこびを表したことだろう
しかし生憎私は前の場所にそこそこ満足していたし、なぜ私が持っていた全てを奪われなければいけないのかという憤りが爆発した
与えられた部屋から極力出ずに、本で帰る方法を模索するばかりの日々
けれど、彼に出会った
護衛として私に宛がわれた彼に。
男の人に、そういう意味で好かれるのは苦手だ。
嫌い、というのとは少し違うと思う。
男友達は多かったから、たぶん男女の関係というものに酷く抵抗があったのだろう。
一番身近な男女の関係が、とても歪なものだったから
父は酒に溺れ、賭け事を好み、酔えば手どころか足まで出るような人だった
そんな父に愛想をつかした母は私と弟を置いて、一度父のもとを去った
父が頑なに私たちを手離したがらなかったかららしい。けれど、それは私たちを愛していたからでも大切だったからでもないのは明白だった
なぜなら、父は私達をろくに世話することもなく他所に預けっぱなしだったからだ
父が愛していたのは母で、父にとって私たちは母が戻るための人質だった
父に抱き締められた記憶も、抱き上げられた記憶もない。
あるのは酷く大きな声で怒鳴られたことや、身を縮める私を蹴り飛ばす姿。
もしかしたら、あったかもしれない幸せな記憶はそんな真っ黒いもので塗りつぶされているのだ
今は、そんな状況を知り父から私達を救う準備を整え迎えに来た母と弟の3人暮らし
父はいまどこにいて、何をしているのかまったく知らない。
身内の愛すらそんな状況だった私は人から与えられる、特に男女間の愛というものを信じられない人間になった
他人には一定の壁を作り、其を気取らせない。
与えられる愛情を疑うことしかできない私は母と弟、あとは少ない肉親に見返りを求めない奉仕することをよろこびに生きていた
私にすれば、それはいつも通りの幸せでなんの不満もなかったから
友人もいたし、家族もいた
ただ、誰一人にも私のこの心のうちを吐露したことはないけれど。
ともかく、すこし歪んだ私がそれでもそこそこ幸せだった場所を奪われて、沈んでいた時に出会ったのが彼だった
王と比べれば見劣りするだろうが、整った顔立ち
真面目そうで、堅実そうで、誠実そう。
私も好きな人はいた。ただ、相手が私をそういうふうに見れば私はきっと怖くなる。それに私なんか相手にされるはずもないし嫌われたくもない。そんな卑屈さから、告白なんてしたことはない。
だから、思いを伝えることはないだろうが彼は、私の好みだった
自分が嫌いだった。愛されたい癖に愛せない自分が。
自分勝手で我が儘で、自己中心的でそのくせ卑屈で言い出したらきりがないくらい自分が嫌いで、かわろうともしない自分が
それでも、あの人は私の穢い部分まで受け入れてくれたから
最初は愛情なんかじゃなくて、同情だったけど私のペースに合わせてくれようとするその気持ちが嬉しくて、私と目が合えば安心させるように彼の翡翠の目が細められる度に心臓が早鐘のように煩く鳴った
貴方に聞こえないか不安だったけれど、大きな手で頭を撫でられることがどれだけ私を安心させたか。
すこしは外に出るように言われて、渋々従い不貞腐れた私の機嫌をとるために一生懸命に無骨な大きな手で作ってくれた花冠は、頭に乗せた瞬間にほどけてしまったけれど
それが私にいつかプレゼントするために彼の姪に教わっていたものだと知ったとき私がどれだけ幸福だったかを、彼は知らないだろう
赦されないことは分かっている。叶わないことも知っている。懺悔するように吐かれた彼の言葉に臆病者な筈の私は鳴りを潜めて
彼に思いの全てを打ち明けた
裏切られてもいい。嘘でもいい、彼と愛し合っていることを言葉にしたかったから
そして今、私は純白のドレスに身を包み玉座の間の妃が座る椅子の前で腹からナイフの柄を生やしたまま笑っていた
玉座の間にいるのは王を含め、国の重鎮数人と彼を含めた騎士数人
婚約を大々的に発表する前の顔見せ
内々の結婚式のようなものだ
彼と心を通わせたことが漏れて、周りが急いて用意した場
魔術師が私を監視していたことを初めて知らされ、彼と引き離された
大臣には、このままでは彼を罰っさなければならないと言われた。
けれど、私が王とこのまま無事に結ばれれば無かったことに出来ると私に告げ
最後に彼にもう一度会わせてくれると、そう言って
久しぶりに会った彼は結局項垂れながらすまない、と言った。
彼も言い含められたのだろう。その答えが全てだった。
なんの後ろ楯もなく私が生きられないだろうということも、材料とされていたと思う。
この世界で王や国を敵に回せば私じゃなくても二人で生きていくことは不可能だ。彼はそんな風に私に小さくそう言った
そんなこと、私だってわかっていたのに。
ーーー…それでも
その謝罪の言葉に、私は聞き分けの良い女のように仮面の笑顔を張り付けてしょうがないね、と笑った
ーー魔力は、その人を形作るもの
全てを拒絶し、線引きをしてきた私の微々たる魔力は結界という名の壁をつくることに秀でていた
少しずつ少しずつ魔石に魔力を溜めて無理矢理逃げ場を奪われ今日のような日が来たときのためにとずっと持っていた
「呪いあれ!かの地かの人、この世の全てに呪いあれ!」
結界を解こうとする人間もいるが、長い間溜め込んだものだ。そう簡単にはいかないだろう
王の命令で、貴族達は私が自分の腹部にナイフを突き立てた時点で追い出された故に少人数
それでも十分だ
せり上がる赤い血を吐きながら、呪詛の言葉を紡いだ
痛みと叫びたくなるほどの熱を湛えながら、それでも力強いその言葉には荘厳ささえあっただろう
「待っています!約束を、あの日の約束を果たせる日を!永遠に!」
ここには事情を知るものしかいない。だから、彼を見つめながら広い玉座の間に響き渡るほどの大きな声で叫ぶ
酷い女だと自覚している。これでは後を追って死ねと言っているようなものだ
ーーいや実際にそうあれば良いと思う
生きて結ばれないならばいっそ、と
そんな趣味の悪い昼ドラのような展開を、まさか自分が演じることになるなんて。
自嘲の笑みを称えながら、どくどくと脈打つ傷口は鋭い刃を刺したままなためゆっくりではあるが、確実に命の赤を溢していく
王であるブリューデルヒは、根は悪い人間ではないのだろう
侍従や騎士達の話を聞けばそうなんだろうとおもったし、後継さえ産めば望む全てを保証すると確約してくれていた
自由も、男も、金も、地位も
望むものはできうる限り与えると
けれど男という存在を信用することなど出来なかった自分に、裏切られてもいいと思えるほどの愛をくれた人がいる今、他の男のものになるなど耐えきれない
この未だ清い体も、愛を知ったばかりの稚拙な心も小指の爪から髪の毛一筋にいたるまで、他の男に許すつもりなどない。
けれど、もはやこれ以外に方法は見つからない。
だから呪いを残しましょう。
私のあとを追って来てほしい。
ーーこれは偽らざる本心
……だけど
一つ大きく深呼吸する
「…どうか、生きて!あなたが終わるその日まで、私は永久に待ちましょう!だから、生きて!いきなさい!」
けれど、これも間違いなく本心だった
彼は、優しい。私が何も言わなければきっと約束をすぐに果たせといったまま、生きろと遺さなければ直ぐにでもその命を散らしただろう
私は彼が全てを棄てなかったことに安堵したと同時に、裏切られた気にもなっていたのだ
私を選んではくれなかった貴方。
絵本の騎士様のように何もかもを棄ててはくれなかった人
この国の言葉を覚えることを拒んだ私に、彼が読みやすいからと進めてくれた本のなかに混ざっていたお伽噺の一つ。
それを彼が選択すれば、自分のせいだと塞ぎこんで彼を責めたかもしれないとおもうあたりなんて自分勝手なんだろうか
ただ、彼と共に在れればそれでよかったのに
私の為に死んで。私の為に生きて。
相反した思いがせめぎあう
酷い人。国のため王の為に生きることを決めた癖に私に思いを伝えるなんて。
いっそ、気づかないで片想いだと思っていれば、諦めもついたかもしれないのに
とても残酷で愛しい人。隠し事や、嘘が苦手な可愛い人。
だけど許してあげる。
愛してるから。愛してるから、許してあげるわ。
たった一度、最後だからとねだったキスさえしてくれなかった酷い人
いつだって、貴方は騎士のままだった
それでも、私の全てを愛していると受け入れてくれたから貴方を、私も愛してしまったから
愛は人を愚かにするのだと、わかっていたのに
「全てに、全てに呪いあれと私は願う!」
伴侶探しを全て流れに任せ、召喚を止めなかった王
召喚した術師
古い仕来たりに従い私を縛り付けようと動いた国の重鎮
彼と私を引き離した人達
そしてーー彼
いい人もいた。だけど私は聖女様でもましてや神の娘でもないから
ありったけの呪詛の言葉を
とても醜いだろう。血の気を失った顔は青白いはずだし、歪めた顔も吐く言葉も
そして、私は最後の呪いの言葉を吐くのだ
床に足を縫い付けられたようにその場を動かぬ彼ににっこりと微笑んで
唇を伝う紅は美しい死に化粧になっていることだろう。今日の姿に紅色はよく映える
他にも結界の周りには人がいたにも関わらず、彼と目が合い彼もそれに気がついたのだろう
びくりと何かの呪縛が解けたかのようにこちらに走り寄ってくる
かれの翡翠の瞳が私を捉えていることに満足し、声にならぬ声で彼に言葉を紡ぐ
「 」
目が見開かれ、それによって伝わったのだと確信する
もう音は聞こえず、指先は冷たい
いや、体中冷たいのか熱いのか。
ただ全てを伝えた安堵からか崩れ落ちるようにその場に伏した
それと同時に結界も砕けたようだった
抱き起こされた私を抱えるその腕は、頬に宛がわれた手は彼のもの
貴方に呪いをかけましょう。
全部全部許してあげる。私を選ばなかったこと。私をつれて逃げてくれなかったこと。私を一番にはしてくれなかったこと。
その全てを許しましょう
けれど、けれどね、私以外の誰かを愛することは赦さない
私が思っていた通り真面目で堅実で誠実な貴方は、私の遺言を決して反故にすることはないだろう
最後の力を振り絞り、血塗れの手を彼の頬に宛てれば彼は、その手を握ってくれる
誰の邪魔も入らないのは、王の計らいだろうか
彼にもう一度その言葉をかけるが、やはり音にはならない
しかし彼は、何度も何度も頷いた
私は安心して、急にとてつもなく眠いことを思いだした
終わりが近い。
走馬灯なのか、彼との思い出が溢れる
とても、とても幸せだ。
あちらの世界で、母や弟のことは心配だが二人は支え合って生きていくだろう。
彼は、私と約束を交わし生きていく
彼の腕の中で逝ける私に心残りなどあろうものか
私は彼の全てを赦し、そして彼の此れからも私のために生きてくれる彼の中で生き続ける
彼が他の女性と愛し合うことはないだろう
歪なままに、歪だと知りながら、それでも……私は、貴方を…ーーー
「わたしをわすれないで」
夢を見た。美しい夢を。
目が眩むほどに美しく、泡沫のように儚い夢を。
そして、私の意識は完全に暗く……ーーー
いつか続編か、「彼」視点も書きたいなーとおもったり、思わなかったり?(笑)